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トゥバのイギル起源伝説語り部について

「スーホの白い馬」はトゥバの民話だった可能性について、自分用まとめ」で取り上げた、トゥバのイギル起源伝説。その語り部について新たな情報を得ました。

語り部について

トゥバのイギル起源伝説Aの語り部ことオンダール・ナムチャルマー(1927年生まれ、スト=フル・コジューン、イシュキン村)。この方は、楽器研究者のスズケイさんの実のお母さんであるとのこと。スズケイさんによると、イギル起源伝説は、お母さん以外は語っていなかったそうです。Bの語り部はアルダン=マーダル村出身であり、そのお話の内容は、スズケイさんのお母さんが話していたものの伝え聞きであるそうです。

ではそのスズケイさんのお母さんはどこからきいたのかというと、まとめで記述したように、父方の祖母からきいたそうです。スズケイさんは、曽祖母がいろんなトゥバの民話や言い習わしを知っていて夜毎に寝かしつけに語っていた、ときいたそうです。

イギル起源伝説がトゥバの人々に広まった経緯

今では大変トゥバの人口に膾炙しているイギル起源伝説。しかし、確認できる限りの元を辿れば、スズケイさんの曾祖母さんが伝え、スズケイさんのお母さんが語ったお話だけが、記録されたものとして残っていることがわかりました。一人の語ったお話がどうやってトゥバ中の人々に広まったのか、歴史研究者サルチャク・ワシリーさんが2019年にまとめた文章によると、

1986年、詩人・作家のアレクサンドル・ダルジャイ氏が「Игил ыызы(イギルの音)」という詩を書く。

スズケイの母ことナムチャルマーが語ったお話が、スズケイによって記録される。1989年に著書「トゥバの人々の楽器」に掲載される。

民話研究者のゾーヤ・サムダンに引用される

1998年、ダルジャイの詩と記録された民話を元に、演出家・劇作家のオオルジャク・アレクセイとヘルテク・シリーン=オールが劇「「戻って来い、友よ、戻ってこい!(ЭГИЛ, ЭЖИМ, ЭГИЛ!)」を作る。
その際、不世出の楽曲や、衣装、舞台背景、踊りなどが考案される

めっちゃ広まる

という経緯をたどったそうです。
2003年にはモングシュ・サイダシュが同じくトゥバの楽器「チャダガン(筝)」をテーマに劇を作ったとのこと。

私はこのイギル起源伝説を、スズケイさんのひいお祖母さんだけが知っていたとは限らないと思っています。楽器学者のスズケイさんだからこそ、そのお話に価値を見出し記録できたけれど、多くの語り部の話はそうはならなかったということではないだろうかと思います。もしかしたら、チャハルとトゥバの間のモンゴルに伝わっていないのも、そういうことだったりするのでしょうか。

一人とはいえ、「スーホの白い馬」に似た話がトゥバで1927年生まれの人が子供の時にきいていた話として記録されていることは変わらないので「スーホの白い馬の原作がトゥバの民話もしくは類話だった可能性」説を引き続き推していき、トゥバの他の民話での「ノヤン(領主)」の描かれ方を機会があれば調べていこうと思います。

そのほか

サルチャクさんは他にも面白い情報をご存じで、トゥバには3大語り部がいたことや、まとめの最後に載せた民話「チュラ―=ホールという馬を持つチュチューナク=ムゲ」を語ったチュリドゥム=オールは何故イギル奏者として抜きんでているのか、というお話をやりとりする中で教えて下さいました。「スーホの白い馬の原作がトゥバの民話もしくは類話だった可能性」説に関係するところでは、1762年からノヤンという身分(?)をモンゴルが(中国が?)与えたというのがありました。ただ、その当時はノヤンとは呼ばずに「全てにおいての長(бүгүде-дарга)」と呼んでいた、「ノヤン」は世襲が可能だった、22あった地区を10ずつ分けてДаа-ноян, Гун-ноянなど称号を与えた(?)など興味深い情報が沢山ありました。ただ、?が多いことでもわかるように、この理解が正しいのか自信がありません。

情報を下さった、スズケイさん、サルチャクさんに篤く御礼申し上げます。


参考文献:Василий Салчак "Сергей Пюрбю болгаш Александр Даржай: Чогаадыкчы харылзаалар"(プリュブュ・セルゲイとダルジャイ・アレクサンドル:作家たちの関係) 2019

見出し画像はトゥバの伝統的住居ウグを模したおもちゃ

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