北方領土
問題の概観
北方領土問題は、第二次世界大戦後、大日本帝国(日本)とソヴィエト連邦(崩壊後はロシア連邦)との間で、歯舞群島以北択捉島以南における島々の帰属を巡って議論が巻き起こっている問題である。
この問題は、アメリカの要請に基づいた1945年8月のソ連の対日参戦による千島列島と南樺太の占領から始まった。
戦後、日本はサンフランシスコ講和条約でそれらを放棄したが、その中でも北方四島(国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島)については、日本領土であるとして、ソ連による不法占拠を訴え返還を求め続けている。
アメリカによる邪魔
しかし、この北方領土の返還交渉において、ソ連と日本が合意に達するたびに、アメリカ合衆国が干渉し、交渉が停滞する事態が繰り返された。
例えば、1956年の日ソ共同宣言では、ソ連が歯舞群島と色丹島の返還に同意したが、この時アメリカは、日本が全千島列島を放棄しない限り沖縄の施政権を返還しないと警告を発した。
つまり、アメリカは、沖縄を人質にして、「ソ連に接近するな」と言ったわけである。
これにより、日本政府は北方領土問題の解決に慎重な態度を取らざるを得なくなった(井上 1996)。
アメリカの干渉は、冷戦期において日本を、「反共の防波堤」として位置づけ、ソ連との和解を避けるための反共政策の一環の中で行われた。
アメリカにとって、日ソ間の和解や領土問題の解決は、極東における自国の軍事的および政治的優位を脅かす可能性があったため、これを阻止することが重要であった(斉藤 2000)。冷戦終結後に至るまで、日本とロシア(旧ソ連)の間で北方領土問題の解決が試みられたが、アメリカの影響でそれは実現せずにいた。
アメリカの二枚舌外交
アメリカ「ソ連さん、北海道まであげるから日本に侵攻してくれない?」
アメリカ「日本さん、北方領土ちゃんと返してもらえるように頑張ってね。でもソ連と仲良くしていたら沖縄がどうなっても知らないよ?」
ざっとこういう感じである。
アメリカ帝国主義の醜悪さが分かるだろう。
我々はアメリカにひれ伏すのか?
このように、北方領土問題の解決が困難を極めた背景には、日ソ(日露)両国間の複雑な歴史的経緯に加え、アメリカの地政学的利益が絡んでいたと言える(田中 2010)。
以上のような歴史的事実を踏まえると、北方領土問題の解決には、日露両国の合意だけでなく、アメリカの意向や国際政治の大局的視点も考慮しなければならないことが明白である。
参考文献
・井上隆史, 『北方領土問題と日米関係』, 1996年.
・斉藤直樹, 『冷戦期の日本外交とアメリカ』, 2000年.
・田中一郎, 『北方領土交渉史とその背景』, 2010年.