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整形した過去と今の私

18の夏休み、初めてまぶたに糸をいれて二重にした。それだけじゃ私の重たいまぶたはどうにもならないからまぶたの脂肪も一緒にとった。

誕生日を迎えてすぐの冬、物足りなくて二重を広げた。

初めての彼氏ができた1週間後「二重の左右差あるよね」の一言で2日後に右目の二重の修正した。

二重になっても可愛くないと気づいて、就活が終わったすぐ後に目頭切開した。きっと会社の人履歴書の顔と見比べてびっくりしたと思う。

彼氏と別れ、恋活も婚活も仕事もひとつも上手くいかなくて辛い独身生活を送るんだろうなって思ってた社会人数年目の冬、鼻の下を短くする人中短縮をした。今でも鼻の下にはくっきり縫い後が残ってる。


どうして、こんなに顔に執着するんだろうと振り返っても明確にはわからない。

ただお母さんはしょっちゅう自分の顔を卑下していて、私たちの家系はブスだからと私も一括りにしていたこととか、あとはまだ分別がつかないときに2ちゃんねるの容姿叩きとかを見てしまったとか、中学生のときカースト上位のギャルが周りからも教師からもちやほやされて勉強だけできる太ったニキビ面の私は男子から気持ち悪がられたこととか、

女子が少ない高校の理系のクラスに入って、コンタクトにしてなんならディファインとか使っちゃって、痩せて、ニキビも減って、その程度でも女子が少ないから男子からも褒められるようになったこととか、

でもそうやってちやほやしてくれる人ももっと可愛い女の子たちにはもっともっと対応が違うのを見ちゃったこととか、

断片的な思い出が色々出てくるけど、そういう色んなごちゃまぜの容姿に対する負の感情が「もっと可愛かったら人生うまくいってたのに」に変わってしまったんだと思う。

二重にした直後の万能感は今でも覚えている。痛くても、DTが辛くても、世間に認められない醜い顔を変えられた喜び。自信がついた。たくさん写真を撮った。男の子と喋ることが全然できなかったのに、自分からアタックして彼氏もできた。

でも東京の私立大学にはもっともっと垢抜けてて細くて可愛い子が数えきれないほどいて、SNSにはもっともっと可愛い人がいっぱいいて、可愛い人が可愛い故に受けた恩恵を目にしてしまう。

二重になっただけの芋ブスはこんな恩恵を受けられなかった。もっと可愛かったらもっと得を得られるのかな?幸せになれるのかな?

憧れていた東京の大学生になってる間、私はずっと顔に、美醜に囚われていたと思う。



整形は今も風当たりが強い。美を売りにする職業であったり突き抜けた整形の女性のルックスは称賛される傾向になってきているし、整形している人も相当数いると思う。それでも私の周りにはキャバで働いていた友人以外、整形なんて誰一人していないし、職場には二重じゃない人もたくさんいる。

会社のアイドルみたいに可愛い後輩も、毎日ミスをして先輩に怒られていて、SNSで見たような「顔が可愛いから仕事もちやほやされて薔薇色♡」な感じじゃないし、それでも毎日仕事を頑張ってる。

地域で一番可愛くて声優目指してた、お母さんがヤンキーの女の子は、シンママになってかつての同級生と不倫してる。

特に男子たちの話題に上がるような子じゃなかった、ごくごく普通の友人や同級生たちは皆素敵な男の人を見つけて結婚して、子供の可愛い写真をインスタにあげてる。

私が容姿に囚われていた時間は戻らないし、整形した過去も消せない。整形したことを後悔したことはないし、もっと早くやっておけばよかったと思う。今でも自分の顔はもっとここを整形した方がいいって考えてしまう。

それでも今はもう整形をしようとも、整形すれば幸せになれるとも考えていない。

就職を機に地元に戻り地元の友人たちと会い、地元で毎日を過ごしていくうちに、そのままの自分で作り出す幸せをたくさん目にしてきた。

きっと無理して東京にいたら私はきっと気づけなかったと思う。SNSの顔の可愛い見知らぬ他人の幸せを妬み、自分の醜さを呪って人生が終わってしまっていたと思う。

休職してしまった会社だけど、地元に戻ってきたことで私は色んなことを気付くことができた。


Twitterで見かける中高生、大学生くらいの若い美容垢や整形垢が容姿に囚われているのを見るたびにかつての自分を思い出す。

どうか少しでも多くの容姿に悩む女の子たちが、SNSで誉めそやされる幸せじゃない、等身大の幸せを見つけ出せますように。

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