人間は分身出来る・・・
しばらくぶりの更新になりました。
川崎での稽古の後、甲野先生の道場、松聲館に寄らせていただきました。そこで4,5発でしょうか、突きを経験し、あぁ、まだまだ今のままでは対応できないのだな、とショックを受けて帰ってきました。
この「ショック」が重要なのです。
私はそもそも、自信が無い者。それでも、やれる事が分かってくれば、そこには「出来る」という気持ちが出てきます。この出来るは自信という心的なものではなく、身体的に、当然、こうなる、みたいなもの。何度やってもそうなる、法則のようなものです。
表情についていくつか書き残してきましたが、その表情によって出来る事がだいぶわかってきました。
まず、第一に相手との間合い、距離を決めるものだ、という事。この距離は物理的な意味も多少含みますが、大部分は心的なもの。相手との間に壁を作るかどうかを決める一番の要因になっているのが表情だ、とわかってきました。
最初から「敵」と認識してしまうと後が大変です(笑)。
多くの人にとって、武術武道が危険に見えるのは、相手を敵と認識してしまう壁が相手との間に出来てしまったから。もし、この壁を作らずいられるのならどうなるか。それはもう、敵ではなくなります。
人と出会ったら行う事。それは「挨拶」です。
しかし、襲われた!と思った瞬間、目の前の相手は敵になり、つい、身体は逃げたくなるはず。挨拶をしよう、と考える前に身体に反応が生まれてしまいます。
この時、もうすでに、表情から頭、そして胴体へと動いてしまっているのです。しかし、術理として表情の力を認識できていれば、身体を緊張させて、敵認定をする前に相手との距離をなくし、挨拶をする事が出来るようになるはず。
敵味方、レッテルなく挨拶が出来た時、相手の気持ちは高ぶらず、力も入らなくなります。結果的に争いを起こさないで済むわけです。
なんだ「挨拶」か、と思うかもしれません。
そんなこと知っているよ、と当たり前に思うし、もうしている、と思うかもしれません。
しかし、無意識に行われている事、それを自覚する人は少ないです。
普段、コミュニケーションを得意にする人は、人との間に壁を作らず、上手に懐に飛び込み、相手と心を通わせます。人間関係が得意、と胸を張れる人も多いでしょう。
しかし、実際に、襲われている時に、その人間関係スキルを発揮できるでしょうか。
目の前にこぶしが飛んでくる。突きを食らい、痛みが身体に出て、血が流れ、腕を抑えられ、倒され、馬乗りになり首を絞められる。
この状況で「挨拶」をする、という発想になるでしょうか。
実はこの状況であっても挨拶が重要になるのです。
表情が強張れば、その後の動きは固くなる。それがはっきりとわかっていれば、どんどん挨拶がしたくなるはず(笑)。
相手が我を忘れて、激高し、体暴れさせてきたとしても、こんにちは、と声をかける事をまず、行うのです。そして、それがある意味、唯一のピンチ脱出の方法なのだ、とわかります。
と、まぁ、表情についてこんなに働きのあるものだったのか、とこの一月余りの間、研究してきて、成果も得ていたのですが、甲野先生に出会い、全力をもって向き合ってみたところ、その表情が「間に合わない」事に気づかされたのです。
腕が違う、といえばまぁ、そうなのですが、どうにも敵わない、とわからなければ、ついつい、「今の術理」を頑張ってしまいます。無意識に努力は始まるものです。
しかし、全く間に合わない、と絶望感も得れば、それまでとはまるで違うものを脳は求め始めます。
そして、おそらく、これが原因だったのでしょう。帰ってきてからの稽古で見つかってきたものは、これまでとはまた、違う働きを見せてくれてきています。
その一つが「分身」です。
人間は分身出来る存在
それを色々と屁理屈をこねてまた、数回書いていきたいと思います(笑)。
なんだ、そんな事でいいなら、確かに人間って分身出来るな、と思ってくれたらうれしいです。
【稽古予定】参加受付中
12/19(日)甲野先生の浜松稽古会
1/16(日)つくば稽古会
12/15(水) 大垣
12/16(木) 瀬戸
12/17(金) 名古屋熱田
12/22(水) 名古屋
12/25(土) 浜松8時間稽古
12/29(水)~30(木) 名古屋徹夜稽古
詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト