身体感覚的意識の高さについて
意識の高さとは
意識が高い、という言葉はよく使われます。
それは、揶揄としても使われますが、現代という時代が、肉体から意識へと主役が変わる過渡期だからでしょう。
意識は想像ともつながりが大きいものです。
意識が高い、というのは結果的には想像も大きな状態。視点も高く、視野も広くなり、いろんな事がわかる、わかってしまうと考えると、これは実に「身体感覚」的な状態です。
昔々だって、意識の高い人はいたはずです。
むしろ、意識高く、先を見通していた人が政治を行い、国を守っていたはず。そうでなければ、こんな小さな国が長い歴史を守ってこれるとは思いません。
多くの国民は意識を高くせずに、目の前の地面に向き合い生きていたのかも、とも思うのです。
ただ、これは意識が低いからダメ、というのではありません。
まずなにより、「高い低いが身体にあった」という点が素晴らしい事だと思うのです。
意識が高い事を揶揄されてしまう事があるのは、せっかくの高さを活かせない人が多いから、かもしれません。
意識を高くして問題と向き合っていても、現実という地に足をつけた事で出てくる問題に縛られた時、せっかくの意識の高さを無くしてしまう事があります。
意識を高く持ち、現実に苦しむ姿を見せてしまうと、口だけの人、に見えるかもしれません。
そうなるのは、地に足がついて肉体の意識が強くなった時に、身体感覚を生かしきれていないから。意識が身体感覚化していないと、肉体の重さに負けて動けなくなります。
しかし、これも経験。
重い肉体を意識するからこそ、上へと行けます。
意識という心に近い部分を基準にすると、その基準を維持するのが難しいのは当然です。
地に足をつけざるを得ない肉体を基準にして、自覚しながら意識を上げていけば、その意識の高さは失われないものになるのではないか、と考えます。
今日は意識がどう上がっていくのか、という話。
いつものように、エビデンスのない話。
しかし、手合わせてみれば、感触と確信を持って伝えられる話です。
これを言葉にするのには珍しく時間がかかりました。
あまりに荒唐無稽な話だからです。自分に確信があっても、客観的に見れば、理解されないよなーと思うからです。
ただ、時間と共に、これは当たり前となり、客観的にどうこうされるのではなく、私の中では消えないものになりました。
そして、この見方を持って世の中を見た時に、この先行きが見えない変な時代も心に余裕を持って生きていける、そう感じます。
せっかく、私に興味を持ってくださる人がいるのです。ちょっとでも、自分なりの身体感覚で世界をみるきっかけになってくれたらうれしいです。
とりあえず、私の中にある事実をそのまま紹介していきます。
超具体的なものと確信する
意識の高さ、をテーマにして話をしますが、きっと、これを読む多くの方は、考え方として読まれるかと思います。
しかし、今日お話しするのは「超具体的」な話です。
あまりに具体的な変化であり、信じられないかもしれません。
それ、わかります。だって、私もそうです(笑)。
これを見つけて、何年も経ちますが、未だに、こんな事あるんかな、と不思議でなりません。
きっかけは「下駄」でした。
下駄をはく事で、地面から跳ね返りの力が生まれます。
下から上へと流れが生まれます。
その流れに乗れば、踏ん張っていた時には考えもしなかった動きが生まれます。
肉体だけではなく、環境という世界も自分のものとする、そのきっかけを下駄は与えてくれました。
その後、下駄の研究は進み、それは「層」を作るものだ、とわかりました。
そこで板に足をつけた下駄板を作り、自然とそれを重ねだした事で次々と新しい身体感覚と出会う事になったのです。
1枚から始まった研究はすぐに9枚までに進みました。
その後、何年かは9枚どまりでしたが、今年に入り、一気にその数を増やし、今、私は57枚まではその変化を見つけています。
上へと層が積み重なる中で意識に生まれる変化。
それこそ、意識の高さを決めるものだったのです。
この意識の高さを普段、我々は自然に、無意識に行っています。
この世界には意識の高い人もいれば、低い人もいます。
ただ、多くの人が襲われ、肉体的に捕まると、身体を固め、地面と同化し、身動きが取れずにいるのです。
その「仕組み」を知れば、意識を高く望めば、そこへととどまらせる事ができるはずだし、あえて意識を落として、地面、肉体へと主役を戻せば、動物的な力を発揮する事が出来るでしょう。
とりあえずは全部、経験しておく。これが大切になるはずです。
疑問もあるでしょうが、とにかく、ありのままを書き残しておきます。
1~9枚
1枚 胸が揺れる
2枚 頭が揺れる
3枚 目が揺れる
4枚 背中が揺れる
5枚 手のひらが揺れる
6枚 ゲンコツを作る
7枚 指先が動く
8枚 音が気になる
9枚 想像力が働く
1枚から9枚はこんな感じです。
これは、私自身が集中して感じたものです。
人間は不安定なもの。常に、バランスをとっています。
一枚ずつ板を増やして層を重ねていくと、不安定さが増加します。
その不安定の中でバランスをとるもの、そこに個性が現れます。
綱渡りを考えてみてください。
体幹は止まり、指先、目線でバランスを維持しています。
足元からぎりぎりの条件を出されているのです。腹や胸では応えられないレベルだからこそ、目線や指先が働くのでしょう。
面白いのは、綱渡りのようなリアルにギリギリの環境ではなく、頭では全く不安を感じない状況であっても、身体はそれに適応して変化をする、という点です。
おそらく、1枚から9枚に関しては「体幹」の世界です。
そして、仕事をするのはたいていが手足。体幹はバランスをとり、手足に力を渡すのが仕事なのだ、とわかってきます。
この1枚から9枚。
これには人それぞれ個性があり、手を上げる、という動きをしようとした時、手と体幹の間で喧嘩が起きなければ結果として手が上がる現象が現れます。
普段、呼吸が気になる人、うんうんと頭が気になる人、じっと目に力が入る人など、個性があります。
環境と自分の個性がぴたりと合った時、体幹と手はそのリズムが繋がり、結果的にいい仕事をするようです。
心身の個性、どれぐらいの緊張感が好みなのか、それを身体感覚で知っておくのも必要な事だと思います。
頭で思っていた私と、身体が勝手に反応する私、そこにギャップがあると、成功した後、あれ?と、違和感が生まれ、後悔にもつながりかねません。
9枚~
この9枚までの観察で十分楽しむ事が出来ました。
腹、胸、頭、目、背中、手のひら、ゲンコツ、音、想像。
上手下手は有れど、それぞれ間違いなく、「持っている」ものです。それぞれに主役に渡し、それに従えば、心の迷いはなくなっていきます。
9枚もあるのです。十分、稽古を楽しむ時間を与えられました。
その後、たまたまでしたが、10枚以上の世界を探る事になりましたが、そこで見つかってきたものはとにかく、予想外なものでした。
9枚までには個性があったものの、10枚以上はほぼ、個性なく働きを見せてくれます。
そしてたどり着いたのは、人間の構造の話です。
普段、私たちは頭で考え、予測をします。
この時、主役になるのは頭、思考、意識です。
そして、それは体幹、背骨、頭、脳といった中心を作るものが行っています。
しかし、無意識にできる事は中心が主役、というわけではありません。
例えば、キーボードを打つ時、慣れてしまえば、指先がどんどんと望むキーを打ち、文章を作ります。
スマホだってそうです。指先がどんどんとスクロールをさせ、タップして、情報を得ていきます。
道具をもって何かを作る時だってそうです。
料理をする時だって、手慣れていれば、考える事なく、身体は無意識のうちに働きます。
この時、体幹は「邪魔をしない」という仕事を与えられるのです。
体幹が主張しないでいられるほど慣れている動き。それが無意識の働きです。
そして、ここで思いつくのは、体幹に主役をいかに渡さないでおけるか、となります。
現代は体幹が流行りです。体幹トレーニングはもちろん、日々の姿勢にしても、体幹、背骨の形を求められます。
まぁ、これは当然の事。体幹に歪みがあれば、心だって苦しくなるし、内臓だって負担を受けます。
しかし、それを気に出来るのは、仕事を外へと任せられるから、とも言えます。
手足に仕事が要求される場合、体幹をどうしようとか、考える余裕はなく、ただひたすら力の源として縁の下で頑張り続けるもの、それが本来の体幹の仕事ではないか、と思っています。
仕事の質が変わり、機械やコンピューター、他人に実務が渡せるようになり、手先の仕事が減りました。
結果的に、体幹が見栄えを作るという役目を得て、主役に戻ってきた、とも言えます。
ただ、それでも、手足はあるものです。
ちゃんと意識を外というか、上において、体幹としての私は仕事をしない、と決めれば、「ただ存在する」という仕事をまっとうすればいいのですが、現実のところ、体幹に力を入れなくてはいけない時だって出てくるわけです。
この時、役割としてごっちゃになり、何をすべきなのかが狂います。
体幹に力が入り緊張するのであれば、その時の部位を見つけ、主役を渡す。これを学ぶのには9枚までの経験が役に立ちます。
10枚以降は仕事の話。
俺がやる、という感覚ではなく、いかに任せるか、というのを学ぶ段階なのかな、と思います。
10枚、11枚、12枚と一枚ずつ積み重ねて身体の動きを確かめてみました。
そしてわかるのは、「ほとんどの場所が苦しい」という事実です。
なんとか工夫しなくてはいけない、それではダメなのです。気にせず、普通に過ごせる私になりたい、それを求めています。
ただ、時折、自由な私と出会える事がわかってきました。
それが12枚、24枚、31枚、37枚、42枚、47枚、52枚、57枚・・・です。
この数字に意味があるのか、それはわかりません。
ただ、ここに個性はなく、そこに乗ってもらうと、私が感じた感覚を共有する事が出来るようです。
まぁ、これもこの先、実験を繰り返していくとわかりません。
いま、こうして言葉に出来るのも、これまでは自分でも怪しんでいたからです。しかし、どうにも、これは確かではないか、と思うようになり、今回言葉に残しておこうと決めました。
もし、体験する機会があれば、これは暗示ではなかろうか、という疑問も持ちながら、疑い百パーセントで確かめてみてください。
不自由の中にある自由な場所
まずは私が見つけた「自由」な場所を紹介します。
先に言った通り、大抵の場所は窮屈であり、不自由です。
手を上げようと思っても、自分の中に衝突が生まれ、動けません。
しかし、下記の枚数は、自然と身体の各所が主役となり、バランスが保たれるのか、自由を感じられるようになります。
不自由なものにしか見えなかったものの中にも、自由があるんだ、と経験しておく事で、絶望という世界から逃げる希望が与えられる気がします。
どうすればいいのかわからなくても、自分は大丈夫、まだ動ける、そんな場所がいつもあるんだ、それが分かります。
そして、とにかく、下記の程度であれば、誰もが感じられるものだ、とわかってきました。層を重ね、身体が上へと運ばれるたびに、体幹と手足がバランスをとりだすのです。
そして、そこには個性がありません。身体が持つ構造から生まれる自由なようです。
身体は不自由なもの、しかし、そこに自然とバランスが合い、自由になれる場所が生まれるだ、と考えています。
12枚 肩甲骨
24枚 肘
31枚 手首
37枚 指先
42枚 相手
47枚 相手以外の周り
52枚 憑依
57枚 道
もう一体、何を言っているのか???とわからない事ばかりだと思います。
それ、私もわかります。
これは言葉にして伝わるのだろうか・・・、と思っていたからこそ、この術理に関してははっきりと言葉にしてこなかったのです。
しかし、試してみれば、確かに身体はちょっとずつ上へと上げられ、意識が上がっているのがわかります。
体幹に閉じ込められていた私が、腕へと入り、手指へと行く。
この時、私を縛っていた肉体は減っていき、思考の力が増えていきます。
思考が広がり、自由になって世界を見渡す。意識が高い、という現象はそういう身体感覚ではないか、と考えています。
私という我の部分を無くして、この世界と向き合う。
そのためにはどうしたって、肉体から出なくてはなりません。
我を無くす、我を手放す、言葉は簡単です。
しかし、それを実感するのは簡単ではありません。いや、思考を自由にする事自体は出来るようになってきました。視野を高く、未来に希望を持てる人、夢に生きる人は増えました。
しかし、同時に人の力で作った平和です。どうしたって、その世界が合わなくなり、苦しさを経験する時だってあります。
苦しさとどう向き合えばいいのか、現代人はそれを忘れました。もちろん、裕福で平和になったからです。望んで苦しい道へと入る人は多くありません。
本来武術武道はそれを学ぶところ、探るところだったはず。
しかし、武術武道も、現代の中で組織を作るうえで、社会的な責任を負う事を求められ、「普通」になりました。
オリンピックや世界大会、平和に安全で楽しさを求める事へと力を向けています。それならば、武術武道でなくても学べるものです。
だからこそ、一人稽古として自分に向き合う。
そんな姿勢をお勧めしているのです。
そしてこうして、成果として、おおよそ誰にも認められないものが見つかったよ!と威張っています(笑)。
共感されない成果を得て喜びを得る。こんな不思議な事ってありません(笑)。
しかし、それにより、自分しか知らないかもなぁ、という世界の不思議に触れている喜びも湧いてきます。まぁ、こんな贅沢ってないな、と思うばかりです。
勘違いの力
さて、一通り、「数」としての違いを言葉にして残しておく作業が終わりました。
これで、この先、また、この記事を読み返せば、あぁ、こんな時もあったなぁ、とわかるわけです。
実はこれ、この先に「勘違い」という新しい世界があるのではないか、と思えてきます。
今、私の意識は何かがあって、やっと動き出しました。
生身だけではどうしても、不安や心配が先に生まれ、窮屈になり、意識を高く持つ事ができません。
しかし、層を前にして、触れる事で、肩、肘、手首、指先、相手、周り、憑依、道、と徐々に外へと意識を動かせる事がわかりました。
そして、そこには厳密に層の数の力が関わっています。
ただ、時折、それを間違うのです。
勘違いによってなのか、日々のちょっとして気持ちと意識のずれなのか、1枚、2枚、ずれがあっても、自由を感じる事が出来たりします。
これが機械ならば、法則が間違っている、とゼロから理論を探らなくてはいけません。
しかし、私たちは人間。心を持ち、そもそもがあいまいなものかもしれません。
勘違い、という力を自覚して、発揮したなら、どんな世界であっても、それを自由とも考えられるし、不自由とも考えられるかもしれません。
そんな事を考えて、ワクワクしたところで、今日の研究発表を終わります(笑)。
【不定期稽古】
「甲野善紀先生名古屋講習会(9月)」
稽古日時:2023/9/23(土祝) PM1:30~PM4:00(最終退出4:30)
稽古場所:名古屋市西生涯学習センター/第2集会室
会場住所:名古屋市西区浄心一丁目1-45地下鉄:鶴舞線「浄心」下車6番出口 徒歩約1分
参加費:8000円
「甲野善紀先生名古屋講習会(10月)」
稽古日時:2023/10/22(日) PM2:00~PM4:30
稽古場所:ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)/フィットネスルーム
会場住所:名古屋市中区二の丸1-1名古屋城駅(名古屋市営地下鉄名城線)7番出口より徒歩5分(令和5年1月4日から地下鉄市役所駅が名古屋城駅へと駅名が変ります。)
参加費:8000円
共に詳細、申し込みは下記のリンクから。
http://www.karadalab.com/archives/1872
「浜松ロングヒーリング」
日時:10/23(月)10:00-16:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数5名
会場:浜松市武道館 会議室
住所:浜松市中区西浅田二丁目3番1号
詳細、お申し込みは下記のリンクから
http://www.karadalab.com/healing
10/30,31に予定していた「東京ヒーリング」は延期になっています。また、お知らせいたします。
【定期稽古】
10/20(金)熱田
10/24(火)豊田中日文化センター
10/26(木)瀬戸ヒーリング
10/27(金)名古屋東山、名駅名鉄カルチャー
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