信じるもの信じる時信じる時代
今朝、近所の八幡宮にお参りに行ったら
予想外の人手で驚きました。
まだ、夜明け前後の6時半頃。
東の空がやっと明るみを帯びてきたくらいです。
屋台こそやってなかったけれども
夜のうち、大晦日はさぞかし賑わっていたんだろうなと。
地元の人たちが信頼を置く神社。
いいもんですね。
なんだか、気がつくと時代の波に押し流されそうな今この時。
目には見えないけれども、厳かな存在に祈り、錨をそこに留めるのも大切かもしれません。
風の時代と言われている通り、時間も情報も何もかも、飛ばされていく感がある。
確かな足場を築いて、しっかりと根づいていないと持っていかれてしまう。
そんな不安感を持つ人もいるかもしれません。
または、風に身を任せて、滑空する鳥のように自由に羽ばたく意識を持つ人もいるかもしれません。
私は凧のように、大地と繋がりながら大空に浮かんでみたいな。
そのほうが、はるか遠くまで見渡せるし、でも足場がしっかりとしているから。
それは、自分がどうしたいのか、ちゃんと分かっていて行動する時と似ている。
確かな自分の足場があって、自分の足場を信じながら飛んでいく。そんな感じ。
信じるものは自分の胸の内にある。
それがブレなければ、いつも初心に戻ってこられる。
確かなものが内側にあって、だから自分の行動も信じられるんだな。
内側にあるものって、信じてるものならなんでもいい。
神様でも天使でも、自分の分身でも。
自分が帰れる安心できる場所。
それが内側の世界。
その世界は誰にも侵害されないたった一つの場所。
安心て、そんな感じなんだろうな。
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