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松雪泰子さんについて考える(95)『ビギナー』(第8話)
※ネタバレを多く含みます。(第8話以外の回にも話が及びます)
老夫婦殺人事件の解決編。かなり濃い内容。
繰り返しになりますが、やはり法曹界に進もうとしている若い人には全員観て欲しい。
■序盤:裁判所
東京地裁に赴く楓(ミムラ)。事件の担当裁判官(若林豪)と挨拶。若林豪さんは山口P代表作『ランチの女王』にもご出演。声がいい。
本物の裁判所資料に、被告人(夫)や被害者(妻)の本名。これまで8人で議論した際の事件資料では「男A」だったが、“現実の事件”という感触に襲われる。
法廷で裁判開始。被告人が、手錠・腰縄をつけて現れる。
・・・裁判傍聴について・・・
ドラマ放送当時に高校生だった私は、その後、関東某県の大学の法学部に進学。在学中に東京地裁で初めて裁判を傍聴。手錠・腰縄をつけた被告人の姿は、いくら当人が犯罪者(厳密には犯罪者と確定してない)としても、ショックだった。
2024年の現在。つい1~2か月前のこと。平日の休暇日があり、数年ぶりに傍聴へ行った。大学を卒業してからも一度だけ傍聴したことがあり、それ以来だったが、やはり考えさせられることが多い。
この被告人たちと私たち傍聴者とに、一体何の違いがあるのだろうかと。私たちは、ただの“幸運”でこういう人生を送れているだけで、個人の能力や性格などあまり関係ないのではないか。家庭的出自や社会的境遇が異なっていれば、誰しもこの被告人のようになっていた可能性があるはず。何だかそう思えてきてちょっと胸が苦しくなるとともに、綺麗事なんかでなく、人に上も下も無いということが実感として湧いてくる。
裁判傍聴は、年齢制限なく基本的に誰でも可能。当然無料で、予約不要。東京地裁(高裁)は、庁舎1階でその日の裁判メニューが閲覧でき、その中から気になる裁判を見つけて法廷へ入るだけであり、特段の手続は不要。平日しか開かれていないが、行って損は無いので、未経験の方には強くおすすめします。
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ドラマに話を戻すと、楓もどうやら初めて法廷で被告人を見たようだ(前回のラストシーンでの母親への手紙より)。これによって、事件への考え方が変わり始める。
■中盤①:教室で再議論
前回最後に喧嘩別れした8人だったが、気を取り直して再度議論。羽佐間(オダギリジョー)だけ蟠りが消えず沈黙。
桐原(堤真一)と松永(奥菜恵)は変わらず殺人罪(被告人に厳しい)を主張するが、話しても埒があかないので、8人の合議結果は多数派の同意殺人罪(被告人に同情的)に譲る。
■中盤②:桐原&森乃、桐原&野佐木教官
桐原と森乃(松雪泰子)が、高級レストランでディナー。どっちが払うかで軽く漫才をして、森乃が桐原に「男Aの最終弁論(裁判)を見に行きなさい」と。
森乃を置いて先に店を出た桐原は、野佐木教官(石橋凌)の待つ小料理屋へ。どうでもいいことだが、なんでわざわざダブルブッキングするのだろう。政治家が宴席をハシゴするならわかるけど。政治家でなく元“官僚”だが、霞ヶ関・永田町界隈の癖がしみついている?
桐原が野佐木教官に吐露した「男Aの気持ちを理解できない」に対し、教官は「しょせん人は分かり合えない」「わかると思うこと自体、傲慢だ」「(裁判の)公平さを保つ上で、男Aを理解しようなんて思いは邪魔なだけだ」と。
本作の奥底に、この「しょせん人は分かり合えない」という人間観・価値観が流れていると思う。それを野佐木教官はストレートかつ冷酷に語るが、ドラマはオブラートに包んで明るく描く。ニコニコと、現実を突きつけてくるような。
一方、森乃は、レストランの出がけに第3話で出て来た桐原の友人である”素敵な猪瀬夫人”(エンドロールより)と遭遇し、桐原の過去について話を聴く。官僚失脚当時は絶望に近い苦悩を抱え、相当孤独だったはずと。
■中盤③:事件現場の公園
男Aが妻を殺害した公園を見に来た桐原に、羽佐間が遭遇。食堂で二人で定食を食べる。漫才的会話が面白いが、桐原の失脚を「大したことない」と言う羽佐間もまた、自分を”人の気持ちが解る人間”だと恃みながら、桐原の気持ちを理解していない。こういうところも、「しょせん人は分かり合えない」の片鱗のような気がする。人の気持ちを一番に考える羽佐間ですらこうなのだから。
男Aが逮捕されたベンチ。ここで何を思っていたか。桐原は再び男Aを扱き下ろす発言。悲憤慷慨する羽佐間。
風が吹き荒び、梢を揺らす。緊張感が走る。そういえば第3話では、桐原と森乃の早口喧嘩シーンでも強い風が吹いていた。狙った演出? 偶然だとしても、場面にいい効果を与えている。
■中盤④:最終弁論
最終弁論。裁判過程における最後のステップで、これを終えたら判決を待つのみとなる。
裁判官から促され、最後に被告人が思いを語る。妻から殺害を依頼されたあと、何をしていたか。妻を殺した後、ベンチで何を考えていたか。
世の中を知らない高校生だった放送当時でも少しジーンとした覚えがあるが、今見るとなおさら涙腺が緩む。とにかく運が悪い上、控えめな性格が祟って、こんなことになってしまった被告人。裁判傍聴で感じたとおり、本当に人生は紙一重だと思う。
2話分の時間を割いて丁寧にエピソードを練り上げただけあって、大いなる示唆に富んだ事件であり、テレビドラマの域を超えている。
そして、この事件にリアリティをもたらした三井善忠さんの演技が、もはや”実在の人物”と錯覚してしまうような熱演ぶり。楓が法廷で被告人を見て男Aが“実在の人物”であるという実感に至ることを、画面のこちら側にも追体験させてくれる。この点も、テレビドラマの域を超えている。
傍聴席に来ていた桐原も涙を流す。
場面が変わって、東京メトロ「霞ヶ関」駅の地上出口前(東京地裁前の道を渡って反対側)で森乃が待っていて、桐原と合流。涙を流したことがバレる。
それでも桐原は「殺人罪」「情状酌量なし」「実刑判決」と言い切る。「人を裁くってのは、そんな甘いもんじゃない」と。
■終盤①:楓の結論
被告人に同情的で同意殺人罪派だった楓も、最後は殺人罪が妥当と考えを改める。いくら困窮を極めた絶望的状況だったとはいえ行政に助けを求めるなどの手段があったはずという論拠で、桐原の理論に近い。
第1話から、名も無き人や声なき声に耳を傾けてきた楓は、今回は死者である妻(の命)に思いを寄せた。
裁判官(若林豪)も、殺人罪の実刑を下すことに。
桐原は終始殺人罪を主張し、被告人を厳しく指弾する酷薄な人間のように見えていたが、人命を重く見るという意味では最も人間味があったとも言える。裁判の難しさの一端を示している気がする。
桐原は涙まで流したので考えを変える方向に舵を切るかと思いきや、楓もろとも殺人罪という結論に着地したところに、このドラマが持つ法曹界に対する畏敬の念を感じる。
法律を面白おかしくエンタメ化しているシーンも度々出てくるが(それはそれで悪くない)、今回のような真面目に描くべき部分については思慮分別を弁えている。それどころか、これほど分かりやすく裁判の難しさを描いていることに、頭が下がる。
また、繰り返しになるが、綺麗事を描きつつ最後は現実を突きつける姿勢も一貫している。今回の判決結果のように。
■終盤②:桐原と羽佐間
教室に、桐原以外の7人。楓が裁判のことを報告。桐原が泣いていたことがバラされ、みな意外そうな顔つきをする中、羽佐間は飛んで出て行く。桐原にも人間的温かみがあることが分かり、よほど嬉しかったようで、今回以降、最終回に向けて桐原&羽佐間が触発し合うように。
■人と人は分かり合えるか?
以上、第7&8話は非常に重い空気だったが、法律とは?裁判とは?を考えさせられる有意義な内容。
加えて、“人と人は分かり合えるか?”に関しては、最後の羽佐間の喜びようを見る限りハッピーエンドに思えつつも、一方でけっこうドライな現実を提示している気がして、奥が深い。
考え方を変えたのは楓だけで、他7人は変わっていない。現に黒沢(横山めぐみ)は「(判決は)厳しい」、崎田(北村総一朗)は「控訴するだろうね」など、不満そうなセリフを漏らす。
楓にしても、議論をして変わったのではなく、現実の被告人を見て変わったに過ぎない。そう思うと、野佐木教官が言い放った「しょせん人は分かり合えない」が、いっそうズシリと響く。
じゃあ議論する意味は無いのか?と問われれば、そうとも言っていないように感じられる。1つの物事をそれぞれ全く別の角度から論じる8人の姿を客観視して、何を思い、何を得るか。その点に関しては作品は立ち入らず、視聴者に委ねている気がする。
■森乃の指輪
第7話以降第10話までは、一部を除き次のとおり。今回も同じく。
右手:薬指 →「心の安定(を求める)」
左手:小指 →「チャンス」「変化」
ちなみに、右手薬指の指輪は2種類(以上?)あるように見える。前半と後半では、嵌めている指は同じでも指輪そのものは違う。指輪自体の意味までは分からないが。
第9話▶