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エースコンバット 勝手に投書箱 #2 『シリーズ過去作と共に見る”ゲームの作り方”』

※当記事にはエースコンバットの一部タイトルに対して批判的な内容が含まれます。
※当記事には筆者の憶測が多分に含まれております。当記事の内容を事実かの様に拡散する、当記事の内容について関係各所に問い合わせするなどの行為はくれぐれもお控えください。

前回から大体1か月となる。

この間にシリーズが29周年を迎えたり、Switch版『7』が発売されたりしたが、筆者を含むシリーズファンが期待していたであろう完全新作に関する続報は今のところ出ていない。

個人的にはクソウイルスの蔓延以降、オンライン配信の重要度が上がったことで、わざわざ大作の発表が重なる大規模ゲームイベントで新作を発表するメリットが無くなりつつあると考えており、シリーズ周年である6月30日がその絶好の機会であると考えていたのだが、Switch版の発売直前であることを考慮したのか、新作の情報は勿論、「匂わせ」の類も一切無かった。

(もっとも、こちらの記事(※過激な表現に注意※)にも書いた通り、思わせぶりな情報を出すだけ出して無意味に期待を煽られるよりは遥かにマシではある)

という事で、次に新作発表の機会として期待されるのは8月のGamescomか、9月のTGS、という事になりそうだ。

個人的には一日も早く新作を正式発表して欲しいところだが、コンテンツの性質上世界情勢の影響も無視できず、そもそも今年中に発表されるという保証もない。

結局のところ、いつ新作が発表されるかはバンナムの匙加減次第であるから、一人のしがないファンとしては、いつ新作が発表されてもいいように「今できること」を粛々とやっていくのみである。

幸いにも、近々でSwitch版が発売されたことで『7』を再び遊ぶようになっており、本作の良い面と課題の両方を再認識、多少は解像度も上げられたと思うので、今回は7を含む過去作がどの様なゲームだったかを振り返りつつ、次回作をより良い形にするために何が必要か考えていきたいと思う。

なお、毎回のことになるが、筆者はあくまでもエースコンバットの1ファンに過ぎず、全てのファンを代弁する立場ではない。ゲーム業界での実務経験もないため、あくまでも筆者の想像に寄る部分も大きいという事は先に断っておきたい。

「理想のエースコンバット」はファンの数だけあると思うので、是非とも読者の皆様の意見も筆者のX(と称する事実上のTwitter)や当記事のコメント等でお聞かせいただきたい。


『04』以前と『5』以降で作り方が違う?

筆者が知る限り、Project ACESが創設される前と後で、エースコンバットのゲーム作りに対するアプローチが異なっていると感じる。

フライトシューティングの「根幹」を築き上げた『04』以前

『04』以前はフライトシューティングのコア部分である、「空戦の駆け引き」を洗練していく過程だった。

『2』では1と比較してグラフィックの質が劇的に上がり、敵やミッションのバリエーションも増え、ネームド機や勲章などの周回要素も充実した。

『3』では更に兵装選択やカメラ操作など、以後のエースコンバットに不可欠な要素が追加されている。

『04』は上記3作品の進化を踏まえた集大成と呼ぶべき作品であり、システム面で真新しい要素はないものの、『3』までで追加された要素をより洗練し、ハードのマシンパワー向上を受けて敵味方の描画数も大幅に増やしたことで、スコアアタック要素を前面に出したゲーム性となった。

『04』をもって、「フライトシューティング」としてのエースコンバットは一つの完成形に至ったと言っていいだろう。

この進化の過程においては一貫して、空戦の「駆け引き」の要素を強め、敵機を撃墜した時の達成感や爽快感が最大化できるよう、手応えとストレスのバランスが調整されていた様に感じる。

コンセプトドリブンな開発で「枝葉」を伸ばした『5』以降

これに対し、Project ACESが創設された5以降のタイトルでは、全く異なるアプローチが取られている。作品ごとに明確なコンセプトが設けられ、ゲームシステムだけでなく、ストーリーや演出面もそのコンセプトに準拠するようになったのだ。

5であれば、「仲間」というコンセプトに基づき、ゲームシステム面では僚機指示、幕間を主人公の所属部隊を取材する記者の視点で描くことで、プレイヤーに仲間の存在を強く意識させる工夫が凝らされた。

ZEROであれば、「エースの生き様」というコンセプトの元、3つのエーススタイル(ナイト、ソルジャー、マーセナリー)を用意、それを定量的に評価する仕組みを実装し、評価によって戦う敵エースやゲーム内での演出が変わるようにした。そして幕間を、ゲーム内で実際に戦った敵エースの証言VTR形式にすることで、かつての敵の視点からプレイヤーの戦いぶりが窺い知れるようにした。

6の場合は少し特殊で、表向きには「大軍VS大軍」「空の集団戦」がコンセプトとなっているが、言い方を変えると「ミクロからマクロへの波及」がテーマだったとも言える。

ゲーム部分では「プレイヤーから戦場への波及」が描かれる。ダイナミックミッションや支援要請といった6独自のシステムにより、プレイヤー(ミクロ)の行動が戦場(マクロ)に影響を与えているという実感を強く得られる様になっている。幕間では、戦争に巻き込まれた母娘(ミクロ)の合言葉であった「天使とダンス」が、侵略を受けた国家(マクロ)の反撃の象徴へと変わって行く様子が描かれる。

※『X』『アサルトホライゾン(AH)』『インフィニティ(INF)』などの番外作は作品としての前提条件がそもそも異なる(携帯機、破壊的なシステム改変、F2P)ため除外する。

上記の通り、コンセプトベースで開発されたタイトルにおいては、フライトシューティングに必ずしも必要でない要素をあえて追加することで、プレイヤーに新たな遊びを提供するだけでなく、プレイヤーをストーリーや世界観に没入させる仕掛けとして機能させているのである。

エースコンバットというコンテンツを一つの木とするなら、04以前は幹や根を太くしていく過程であり、5以降は枝葉を広げる過程だった、とも言えるかもしれない。

『04』ほど空戦を洗練できず、『5』の様に明確なコンセプトも無かった7

では最新作の『7』はどうだっただろうか。

新ゲームエンジンで「根幹」を作り直した結果

結論から言ってしまうと、『7』ではこれまでのシリーズが積み重ねてきた技術的知見がほぼリセットされている。理由は単純で、これまで長らく使い続けて来た内製のゲームエンジンを捨ててUnreal Engine(UE)に乗り換えたからである。

先に言っておくと、筆者にはこの判断自体を批判するつもりは一切ない。むしろエースコンバットを持続可能なコンテンツにするためには避けて通れない判断だったと考えている。

20年前に作ったソフトウェアをメンテナンスし続けるのは現実的でないし、既成製品を使う事は人材の獲得や育成、得られた知見の横展開(バンナム内の別プロジェクトへの共有)など、あらゆる点において有利に働く。Project ACESは今やバンナムにとって貴重な「技術力のある自社開発チーム」であり、経営層に「エースコンバットは必要ないのでは?」などというふざけた事を二度と言わせないためにも、売り上げ以外の面でバンナムグループに貢献していく必要がある。

それよりも問題なのは、過去作で培った技術的知見が、『7』において事実上断絶してしまった点だ。

この点については、バンダイナムコエイセスに関するAUTOMATONのインタビュー記事にて、ブランドディレクターの河野氏も以下の様に言及している。

『エースコンバット』の過去の開発体制って、その一作の開発が終わると解散するようなかたちもあったんですよ。そうすると技術の蓄積とか、人の知見の蓄積が毎回失われてしまう。世界の開発元が同じシリーズを作ってどんどん知見を溜めて、強くなっている構図の中で、「このままだと僕ら負けちゃうな」というのは感じてて。そんな時、『エースコンバット7』で一緒に仕事をさせていいただいたのがILCAさん(岩﨑氏が社長を務める制作会社、バンダイナムコエイセスを合弁会社として立ち上げた)でした。

AUTOMATON JP「『エースコンバット』新作を開発するための会社・バンダイナムコエイセスはなぜ生まれたのか?求める仲間と、ここだからこそできる仕事がある理由」
https://automaton-media.com/articles/hiring/20230718-255944/

つまり、バンダイナムコエイセスの創設以前は、過去作で得られた知見を蓄積したり、社内の横軸で連携する様な仕組みが殆ど存在しておらず、新作を作る度に過去作の資料を掘り起こして、「前ってどうやって作ってたっけ?」みたな感じで過去の開発を振り返るところから始めていたと思われる。

この問題に拍車をかけていたと考えられるのが、前述の内製ゲームエンジンの問題だ。

ここからは完全に筆者の邪推だが、恐らく同じ内製エンジンを20年間に渡り使い続けた結果、開発当時の仕様書はその役割を果たせなくなり(あるいは、元々そんなもの無かった可能性もあるが)、開発環境が変わるたびにその場しのぎの修正を繰り返してコードの保守性も悪化していき、開発者自身も仕様把握が困難になっていた。もしくは開発者が退職してしまい、仕様を完全に把握しているスタッフがいない状態だったのではないだろうか?

20年間、修正しながら使い続けてきた秘伝のタレのような専用ゲームエンジンは、エースコンバットの核であり、20年間の技術蓄積の結晶であり、それそのものが「仕様書」にもなってしまっていたのだろう。

例えば機体のピッチ機動一つとっても、入力に対する反応の速さ、機動の速さ、機体に働く慣性の大きさ、機体の状態(速度・高度・姿勢)による挙動の変化など、膨大な数の変数があり、作品や機体ごとにその値が調整されている。同じ機体でも、作品ごとにこれらの数値は変わっており、作品ごとの「個性」にもなっている。

機体挙動だけでなく、兵装周りや敵味方のAIなど、細かい数値の違いがゲーム性に大きな影響を与えてくる。こうした細部の調整が出来る様に『7』が作られていたのか、個人的には甚だ疑問だ。

ロールが重く慣性が強く働く機体挙動。
カスタマイズありきで調整された機体性能。
誘導性能が低いミサイル。
多重ロックで無駄撃ちが多発するマルチロック兵装。
不自然に画面をぴょこぴょこ跳ね回り使い物にならない機銃レティクル。
ドックファイトをする気のない敵機。

主要なものだけでもこれだけ多くの問題がある。
これらの問題点には過去作から指摘されていたものも多くあったわけだが、改善されるどころか一部改悪されていたりするのは、「ガワ」の再現で手一杯で、「それによって空戦が楽しくなるか」という、より本質的な部分に気を回す余裕が無かったからに他ならない。

かくして、PS2時代に培われてきた技術的知見は、ゲームエンジンの移行に合わせて一度断絶し、もう一度土台から再建しなければならない状態になっている、と言っていい。

『7』のコンセプトはなんだったのか?

上記の通りフライトシューティングとしての「根幹」に大きな問題を抱えた『7』だが、「枝葉」の部分はどうだっただろうか?

これについては、そもそも『7』のコンセプトがなんだったのかを考えなければならない。

『7』発表から間もない2015年12月17日付のファミ通インタビュー記事で河野氏が「ナンバリングタイトルとして大事なところは何かを見極めて、よりよい“ナンバリングの『エースコンバット』”にする」事がコンセプトと語っているが、これはコンセプトというより抱負であり、過去作の「仲間(5)」や「エースの生き様(ZERO)」のような「『7』という作品を端的に表す言葉」たり得ない。

開発の総指揮を取るブランドディレクターが明確なコンセプトを示せておらず、実際『7』を遊んでみても、この作品にテーマが複数存在し、明確な軸が存在していない事がわかる。

キャンペーンモードだけを見れば、ゲームシステム上の真新しい要素は特に無く、セールスポイントは雲や嵐などの天候表現くらい。それも基本的にプレイヤーにとってストレス要素にしかなっておらず、ゲームへの組み込みはあまり上手くいっていた様に感じない。

ストーリーに関しても明確な軸がなく、とにかく色々な要素がとっ散らかっている印象だった。

戦争の遠因となった軌道エレベーターと、建設を押し進めたハーリングの思惑。
エルジアによる無人機開発と、その裏に潜むベルカの暗躍。
世界の秩序を守る覇権国家を自認しながら、懲罰部隊を運用するオーシアの野蛮さや自己矛盾。

ただでさえ何かととっ散らかっている上に、後半は通信網の混乱で敵と味方の区別さえまともに出来なくなり、状況は更に混迷を極めてしまう。

主人公(トリガー)を、これらのカオスを収拾した英雄、即ち「灯」と位置付けているのはなんとなく分かるのだが、終始行き当たりばったりで動いている様にしか見えないせいでその実感が全く湧かない。

唯一ストーリーとゲームシステムがリンクしていたのがM16、17の敵味方識別だが、これはどちらかというとミッションごとのギミックであり、しかもフライトシューティング的にはストレス要素にしかなっていなかった印象だ。

以上から『7』では『5』『ZERO』『6』のように明確なコンセプトが無いまま開発が進み今の形に至ったと考えられる。

これも筆者の勝手な憶測だが、恐らくシナリオ担当とゲームシステム担当の双方がほぼ同タイミングで「こういう事やりたい」を考え始め、後からそれをマージするアプローチが取られたのでは無いだろうか。そうでもなければこのとっ散らかり方には説明がつかない。

どうすればよかったのか?

あくまでも後付けではあるが、本作の大きなテーマの一つに「有人機vs無人機」があり、これはゲーム的には大きな軸になりうるものだった。

最終的に新型無人機と人類の存続を賭けて戦うという展開、レーザーやレールガンなどの近い将来実用化が見込まれる先進的な兵装が使用可能な点を踏まえ、無人機との駆け引きを全面に押し出したゲーム作りをしていれば、ベストでは無いにしろ幾分かマシになったかもしれない。

これは『7』発売以前から言っていた事だが、例えば雑魚UAVなら一撃で撃墜、ADFシリーズのような高性能UAVでも一定時間機動を鈍らせることが出来るEMPミサイルとか、敵無人機の制御を奪って味方に出来るハッキングモジュールなど、無人機特攻の特殊兵装を実装して欲しかったという気持ちはいまだに強い。

そもそも無人戦闘機自体は『7』以前にも度々登場しているにも関わらず、オーシアほどの大国が効果的な対抗策を確立出来ていなかった、という明らかに無理のある設定自体、作中でのハーリングの扱いも含めて、トリガーを懲罰部隊送りにするためのご都合主義を強く感じてしまうのだ。

不評の多い天候表現についても、例えば無人機に囲まれた状態で雲に逃げ込むと追尾を振り切る事が出来るとか、逆に無人機を積乱雲の中に誘い込み、風雨や落雷で機動性が落ちた所を狙い撃ちにする、みたいな戦い方が出来れば、少なくとも今ほど不満は出ていなかったのでは無いだろうか?

無人機側が、プレイヤーには出来ない超機動を繰り出して来るなら、プレイヤー側にも相応の対抗手段があって然るべきだ。

こういうことを書くと、「道具に頼っていたらトリガーが最強のエースではなくなってしまうじゃないか!」という意見も出てきそうだが「その様な対抗手段を持ってしても一般のパイロットでは尚及ばない強敵」の演出なんて、それこそ無線なりカットシーンなり敵味方の挙動なりでいくらでも出来よう。単なる見せ方の問題でしかない。

まとめ

長々と書いたが、結局のところ筆者がエースコンバットの次回作の開発にあたって強く望むのは、以下の2つだ。

  • 「根幹」のシステムについて、フライトシューティングとしての快適性や爽快感を重視した調整を徹底して行うこと。

  • 作品のコンセプトを明確化し、ゲームシステムとシナリオの双方を、そのコンセプトを軸に組み立てること。

今回の話は割と概念的な話で、まだ具体的なイメージを持てない方も多いと思うので、今後はミッション設計や機体・兵装周りなどのより具体的な内容について個別に触れた記事を書いていきたいと思う。

次回の更新は8月前半を予定している。


最後までご覧いただきありがとうございました。
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