民主主義と一揆

日本でここ数年、デモが盛んにおこなわれるようになり、SNS上では、ハッシュタグデモなんてものも起こるようになりました。

僕はそうした活動に参加したことはありません。
一度だけ、乙武大行進という安倍晋三さん銃殺後の企画に参加しましたが、途中で列を抜けて帰ってきました。

なぜデモに惹かれる人々を冷めた目で見てしまうのかというと、
「自分が主権者になって物事を決断する覚悟がない」
という風に見えてしまうからです。

たとえば、居酒屋で会社の上役を批判する人たちの多くは、
「自分が社長になってたくさんの従業員の矢面に立つ」
という覚悟を持って批判しているようには見えない。

同じようにSNS上で政権を批判する人たちの多くも、
「自分が主権者として、国の方針に対して責任をもつ」
という意識を持っているようには見えません。

まるでスポーツの試合で野次を飛ばす観客のように、
「そこはこうすべきだろ!俺でもそのくらいわかるぞ!」
と好き放題いい、自分がピッチに立つことなんて考えてもいない。


どうして日本の政治運動がそんな風に見えてしまうのかについて、僕はひとつの仮説…というか物語をもっています。

今から2000年以上前の中国では、孔子や墨子など様々な思想家がそれぞれ統治論を発表していました。
当時はまだ紙も鉛筆もなく、木や竹の板に書いていたようです。

孔子の『論語』にも書かれているように、中国思想では統治の中心は "天子" と呼ばれる君主です。
いまでいうと国王のような最高権力者のことで、他の人々はその人物の決定に従うべきだと考えられていました。

更にそこには呪術や神秘に対する信仰もあったようです。
"天" というのは、いわば神のようなもので、天候などを司る存在だと考えられていました。
台風や自然災害が天子のせいにされることもあったようです。

日本の伝統である天皇制度や聖徳太子の十七条の憲法が、こうした中国思想を輸入したものだというのはご存知だと思います。

文字が伝わってきたのも同じころで、漢文で書かれた思想書や仏教の経典などが輸入されて、日本人はそれを解読しながら漢字を習得し、やがて独自のカタカナやひらがなを発明しました。

だからもともとの日本の政治は中国と似ていて、
・ 最高権力者である "天皇" を中心とし、
・ 天候や自然現象への呪術・神秘的な信仰をもち、
・ 一般ピープルはその権威にしたがう、
いわゆる "君主政" にちかい政治だったのだと思います。


僕の仮説は、
「日本の人々は今でも "君主政" の考え方をしている」
というものです。

約1500年前に中国から輸入した『論語』などの政治観が、大きな変革もなくそのまま維持されていることが、日本の人々の主権者意識のなさとつながっているんじゃないかと。

今から250年くらい前までは、間違いなくそうだったと思います。
江戸時代、一般ピープルは政治に参加することができず、天皇・徳川を中心とした "お上" が政治的権力を独占していました。

明治維新と敗戦を経て "民主政" の時代になりましたが、パンピーに投票権が与えられたのは、せいぜいここ100年の話です。
いきなり 「これからはあなたたちが主権者です!」 と言われても、考え方まで変えることはできなかったんじゃないでしょうか。

そこで思いあたったのが江戸時代の一揆です。
僕は現代日本のデモがこの一揆に似ていると思っています。

これはぱっと見では民主主義っぽく見えるんですが、居酒屋の愚痴や、外野からの野次のように、主権者として政治を担う意識が欠けています。

「政治は "お上" がやるもの」 という伝統の強い日本では、パンピーが意思決定を担うという考え方がそもそもなかった。
古代ギリシャ・ローマからの伝統を持つヨーロッパ流の政治観を、中国思想を軸にしてきた日本が、いきなり再現するのには無理がある。

それでもなんとか日本なりに民主政っぽいことをやろうとした結果、一揆に似たハッシュタグデモなどにいきついたんじゃないでしょうか。


この民主主義とは微妙に違う日本の政治観を、
仮に "一揆主義" と呼ぶことにします。

最初に書いたように、一揆主義の特徴は主権者意識がないことです。
江戸時代の農民たちは反乱を起こしましたが、それは自分たちが政権を握るためのクーデターではなく、あくまで 「お上を動かすための意思表明」 でした。

現代日本でいうと 「自民党にお灸をすえる」 という表現もこれにちかい。
「別の政党に投票して、与党に危機感をもたせる」 という投票行動からは、投票を主権の行使ではなくお上への意思表示として考えていることが窺えます。

共通しているのは、
1. 政治をおこなうのは "お上" で
2. 自分たちは外野から意見を言う存在
という政治観です。

一方、ヨーロッパ流の民主主義は、
1. 自分たちの手で統治をするために
2. 投票によって "政府" をつくりあげる
という政治観をもっている。

一揆主義…という流行りそうにないネーミングはともかくとして、
政府を "お上" と捉えるか、"自分たちの意思" と捉えるかの違いは、政治観に大きな差をもたらすんじゃないかと思っています。

日本では政府が、天上人たちの組織のように思われがちですが、ヨーロッパ流の政府は、単なる意思決定のための装置に見えます。
民の意思を集積し、そのバランスを意思決定に反映させるために、選挙や政府という装置を使って、意見を取りまとめ実行していく。

そこに "お上" という存在はいなくて、あるのは "民の意思" と "取りまとめる装置" だけ。
もし装置の不備で民の意思がうまく反映されていないと考えれば、憲法改正をして選挙制度や議員の定数・任期を変えたりもする。

日本の政治は装置の枠組みがヨーロッパ流の民主主義なのに、人々の意識の中には伝統的な "お上" が残っているから、主権者であるはずの民がその自覚を持てず、「意見を聞いてもらう」 的なアプローチばかりになってしまうのかなと。


以上が僕の考えた仮説 (物語) です。

最後に、調べていたら関連しそうなネット記事を見つけたので紹介します。
呉座勇一さんの本『一揆の原理』の書評です。

かなり長い書評で内容がうっすらと読み取れるのですが、著者の呉座さんは一揆をSNSと結びつけて考えていたようです。2012年の本なので10年以上前ですね。すごい。

記事では與那覇よなは 潤さんの引用もされていて、それによると與那覇さんはどこかで 「一揆の態度と、戦後リベラルの態度が似ていること」 を指摘したらしい。

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