いきだ
昨日のオンライン、二つ枠。
からだが消える。。。実感が消える。常識的に言って、あることはあるのだが、実感自体が消えてしまう。あの空気感とでもいうか?
心地よい・愛しい空虚とでもいうか?
空気が吹き上がる。。。私たちは空気という言葉の意味するところを、酸素の供給という大変狭い眼差しで見ていないか?
「空」「気」である。天に吹き抜けるその勢い。同時に天から下降してくる流れがある。この天地の流れの同時性。
二つで一つの流れともいえる。そのバランスが止まったところ、相互の流れが合流しはた目には動いて見えない。そこに静けさが、激しい静けさが成立する。
一如とはそういうことだろう。動的バランスである。静と動と分けてかたることができない。
あの、腕の無重量状態。遠心力と重力(求心力)のバランスが取れたときに、腕は宙に浮かぶのだ。
静けさとは、最もエネルギーの高い状態。そこからバランス(平衡)を崩すことで動きが生まれる。
立つことの基本もこれだ。大地からの膨大なエネルギーと自分とがひとつになり、大地と同等にエネルギーを身内に湛えた状態。その渦巻きうごめき続けるエネルギーが身内を駆け巡っている。それが静けさなのだ。
ここから、表現=存在は始まる。
自己の湛える膨大なエネルギーを何に消費するか?どう使っていくのか?
これは核反応の原理と同じではないか?エネルギーの開放。