『からこといのち通信 №26』8月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/7/30 発行
からこといのち通信 №26』8月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/7/30 発行
私のレッスンに「ぶら下がりの話しかけ」というのがある。
私が、相手の腰を後ろから持って、「からだ」の中身がいろいろに変化するよう動かしていく。
上手くいくと「からだ」が、波や流れになったように動き出す。まるで実体の無いアメーバーのように良く動く。
二人組になって、みんなでこれをやってみるのだが、実はなかなか難しい。
力ずくで動かそうとすると、相手も中身を固めてしまうので動けない。
上手く行っているように見えたのが、じつは相手に合わせて動いているだけで、フェイントをかけると、動きについてこれなくなる。動かす人と動かされる人の間に、意識の壁がある。
私がこれをやると、なぜか出来てしまう。けれども私以外の人がやると、意識の壁が出来てしまう。何が問題か分からない。
合宿では、時間をかけて探ってみた。
はじめは意識が強い。相手を動かそうとして、意識は胸部から上、肩、腕、首等に集中している。
足腰には注意が行かない。手先を固めて動かそうとする。力みに気が付いて、それを外してみる。
触れ方が変わった。意識が肚(はら)や足の裏に落ち着いて、力みが消える。相手との間に立ちはだかる意識の壁が消える。
ところが、まだ動けない。まだ意識が残っている。全身と全身という意識である。良く全身で相手に関われというが、これも意識の一つの在り方である。意識する限り、壁になる。
そして、この先に在るのが、赤ちゃんの「からだ」の世界である。他者との関係も、大地との関係もまだない段階。私は海宙に浮いているポヤポヤの生き物で、我と汝という意識の境を持たずに、開けっ放しのまんまの私。笑えば世界が笑い、泣けば世界が泣く。そんな世界だ。
そんな私が「からだ」に触れるのだから、相手の壁を突破して(否、突破の必要も無い)流れ合い溶かしてしまう。
それが「ぶら下がりの話しかけ」。
「からだ」は、イメージの仕方によって変わる。固いモノとして扱えば固いモノとなる。地に足を付ければ、安定感を持ったものとなる。そして赤ん坊のように、羊水の中で境を持たないものと見れば、自由である。
私は子供のころから、この赤ん坊の「からだ」のイメージを自分のものとしてきた。何かに集中すれば、この「からだ」に戻るのである。実はそれは良いことばかりではない。自閉症の子供を考えると良い。意識の壁が弱い。壁を普通に持った人には分からないことで傷つく。意識の壁で守られてはいないのである。
意識の壁にあこがれて、みんなのようにならねばと思った。だから赤ん坊の「からだ」は自分には関係のないものと思っていた。けれども意識の壁を身に付けることは、私には出来なかったのだ。
レッスンは、私の「からだ」のこんな個性を利用して、意識の壁の無い世界へと参加者を連れて行く。
ご一緒していただければと思う。
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【1】 琵琶湖合宿のこと
【2】 あまねとばんの交換日記
【3】 レッスンのご案内
【4】 あとがき
【5】 バックナンバー( ばん|note )
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【1】琵琶湖合宿のこと
賢治童話『水仙月の四日』を読んだ。
その時に舞台に立って少年の役を読んだ人の感想が面白い。
「(4~5回になるか)繰り返し読んでみて、一度も飽きなかった。むしろ読むたびに同じ話が、異なった物語となる。私は雪に埋もれて目をつむり、他の役の言葉を聞いていた。読むたびに、その人の声だったのが、役の声になり、今度は役の声が物語を作り、しまいには役の世界を見ている自分がいた。そしてその内容も、読むたびに次々と変わっていく。」当然のことかもしれないが、そこには答えがない。これはこう読むべきだという解答も無い。そのお陰で物語自体が自由に変化しながら、次々に姿を見せる。
私は子供のころのことを思い出した。
同じ絵本を持って、母親に何度もお話を頼んだ。
いま思えば何が面白いのか分からないが、繰り返し同じ本を読んでも、飽きることが無かった。
レッスン場では、これと同じことが起きているのでは無いか?
大人になると、読む先から意味付けをしてしまう。意味をとらえるのが読むことだ。だから一度意味が分かってしまうと、それでお仕舞い。二度読んでも受け取る印象は変わらない。
ところが現実には、読む時間も状況も違うのだから、二度と同じに読むことなんて不可能だ。読む人の心の動きを絵本が受けて、微妙に変化する。そこを子供たちは掴まえているのではないだろうか?
レッスンで読むのも一緒である。意味だけではなくて、響きを含めて、物語を聞いている。そのたびに新鮮なお話を聞けることになる。ついでながら、レッスンでは「からだ」も変わっていく。二度と同じ「からだ」は無い。毎回、異なる人が、物語に触れているのに近い。
意味の世界を離れて、心の自由を持って聞く。そこに物語の新たな発見がある。水路が違う。そういう聞き方を私も出来るようになったようだ。実に楽しい。
瀬戸嶋 充 ばん
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【2】あまねとばんの交換日記
あまねさんは、美大出身で油絵専攻、インタビューをライフワークとして、現在は子育てに奮闘中。
( あまねさんの最近の記事は「あそどっぐ インタビュー」 https://note.com/kobagazin/m/m52dc197ffbaf )
あまね→ばん
ばんさんの「からだほぐし」を受けていて思い出すのは、娘のことです。現在3才。
ときどき彼女がわたしのからだをゆらしたり、手足をもちあげてうごかしてみたりすることがあるんですが、その作為のなさに毎回ノックアウトされます。
からだをゆらすことに関して、ばんさんに肩を並べることができるとしたら娘のこれだなあ、といつも思っています(娘はとくべつ、とかいう親バカな意味ではなく、おそらくキッズはだいたいこんな調子なんじゃないでしょうか)。
ありゃなんと言ったらいいのか・・・すんごい気楽なさわりかたなんだけど、わたしのことをどうでもいいと思っているかといえば、そうでもなくって、だからといって、単なる好奇心で相手をふりまわしたりいじくり回すのでもなく・・・あのさわり方は、とてもふしぎです。
かといって、彼女には「からだほぐししよう」とかいうくっきりとした目標があるわけでもないので、一瞬でおわってしまうものなんですが。
なので、ばんさんは幼児とはちがって、いちおう「からだほぐしをしよう」というか、
場に応じて「これをしよう」というのはあって、「それをする」というところまでは、何かでコントロールしている部分はあると思うんですよね。
それでも、「それ」をしている最中はコントロールから逃れたところにじぶんを置けるわけじゃないですか。そこっていつも不思議で。どうやってんだろうなあ、って思っています。
もしかすると「慣れ」からくる自由さみたいなところはあるのかもしれませんね。むかし青森、八戸の魚市場でみた、おばあさんがヒラメをさばく手つきも、おばあさんが「ヒラメひらくぞ!」と意識しているというよりもむしろ、瞑想状態に近いというか・・・見ている私も、おばあさんの呼吸感のようなものを、手つきから受け取り、いたく感激しました(未だによくおもいだす)。
おばあさんのさばいたヒラメはきれいでしたよ〜
(あれが保存も評価もされない、というところにグッとくるような、もったいない!と思うような・・・でも、「生活」だからひっそりと現れてひっそりと消えていくのが自然なのかしら、とも思ったり)
ばん→あまね
無作為ですね。無心ですね。生活ですね。そうなんです。意識してやるわけでは無いんです。むしろ何にもないところに、自分を置く。外からはレッスンをやっているように見えるかもしれませんが、自分は何もしていない。スッと「からだ」が動いて集中していく。それがレッスンが上手く行くときです。
「~しよう」として動くとき、私は眠くなってしまう。意識の壁に自分が取り囲まれて、動こうとしても「からだ」は動かない。そこには重たい時間の中を、自分の重さを引きずって歩くような感じ。意識を失いそうになるのです。
集中すると、何もしていないような感じ。時間の経過も無くなる。でも実際には、思い切り動いている。調子に乗って逆立ちをしたりする。そこに、周りの人から見たら、ヒラメを裁く、不思議がある。
私にとって生きられる時間は、レッスンの中に在るのかもしれません。私にとっては普段の生活は、集中できないもの。生きる喜びをなかなか見いだせないもののようです。ヒラメの裁き方にあまり興味を持たない世界ですね。
私も「生活」の中にひっそりと消えて行くのかな?
【編集会議=あまねちゃんへのお礼の手紙】
ありがとう。
おかげさんで、私が何を目指しているのか?はっきりして来たみたいです。
『ぶら下がり話しかけ』が成立するには、結局集中なんです。そして相手にそれをサポートするのが、私の仕事なんです。
相手が集中できる地点へと、私は一緒に歩いていける。そこをはっきりとして、レッスンに臨まなければならないようです。
そして相手が自分を超える集中が可能なのは、相手が求めることが第一ですが、同時に私の個性によるもので、誰でも可能なことではないようです。
その人が何かが出来ることと、私の求める集中とは違うんですね。
普通にはもう少し浅いところで、済ませている。
私の求める集中は、全く新しいその人が顔を出すのです。
私も今思えば、自閉症スペクトラムです。いまネットフリックスで『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』という連続ドラマをやっていますが、私の過去と結びつきます。
物をきっちり並べること、目を合わせられないこと、人様とは繋がれずに自閉していること、孤独に満足していること、等々、思い当たるところは多くあります。
友達から、変わった奴だと言い続けられてきたこと。きっと友達との応対がずれていたのでしょう。
でもなぜ、そういう症状を症状と考えずに、これまで生きてこれたのか?それは、レッスンがあったからだと思います。
竹内敏晴も同様に、障がい者で、レッスンをやることでその症状の中に入ることから、社会と自分を知っていけたのでしょう。
集中は何かへの集中では無いのです。何かが分かっていることへの集中は、良くある集中で努力によって、共有されるものでしょう。
ところが、竹内や私の集中は、何が起こるか分からない地点にともに立って、その人の全く新たな生まれ変わりを見るのです。
私の集中とは、私の努力ではなく個性なのだと思います。
ただし、私一人ではできない。相手と一緒になって成立する。
相手からしても同じく、一人では立てない地点へと私が一緒になることで、ジャンプすることが出来る。
このことが昨今、鮮やかになって来たようす。集中という一つのことに、自分の個性があることを求めるのは、たいへんな事でした。
そんなものを個性とは、だれも思わないことでしょう。自分でもそうでした。
ところが、そんな集中を私は成り立たせてきたのです。
あまねちゃんの母ちゃんも、世間の常識を自分の中に入れられずに来た。
それでは、生きられないんですね。
外れたものにとっては、生きづらい世間ですね。
でも、外れたものには、外れたものなりの生きることが在ります。
この間のレッスンの時、あまねちゃんとお母さんが、素麺をすすっている絵を想像していました。
幸せな光景ですね。
日記というより、今回の手間への、お礼です。
でもこっちの方が交換日記らしくなってしまった(笑)
ばん
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【3】 レッスンのご案内
● 無料体験会のお知らせ
レッスン体験会を開きます。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E7%84%A1%E6%96%99%E4%BD%93%E9%A8%93%E4%BC%9A/
● 琵琶湖和邇浜夏の合宿開催
2022年7月16日(土)~18日(月)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%A4%8F%E5%90%88%E5%AE%BF-7-16-7-18/
前回朗読劇『鹿踊りのはじまり』を YouTube https://youtu.be/-rm3YAVdIoQでご覧になれます。
● 伊豆川奈 夏の合宿
2022年8月19日(金)~21日(日)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E5%88%9D%E5%A4%8F-%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B7%9D%E5%A5%88%E5%90%88%E5%AE%BF-8-19-8-21/
● 神戸市東灘区 ゆらゆらワークの会主催WS
『「からだ」から始まるコミュニケーション入門 』
2022年9月3日(土)~4日(日)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%82%86%E3%82%89%E3%82%86%E3%82%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%BC%9A-9-3-9-4/
● ワークショップ・合宿などのイベントのご案内は Facebookページ https://www.facebook.com/SensibilityMovement に「いいね!」して頂ければ、詳細が出来次第、FB通知でご案内します。
● オンライン・レッスン『野口体操を楽しむ』のご案内は、
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%95%99%E5%AE%A4/
● オンライン・プライベート・セッション開始
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-entry-370.html
●「出会いのレッスン☆ラジオ」https://www.youtube.com/playlist?list=PLnDMDlLE0m1LaDrvijAQA8RwzaiNAAdpZ
番組表は、https://ningen-engeki.jimdo.com/
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【4】 おあまり(あとがき)
● 5月に病気が見つかった。あまりにひどい便秘(夜から明け方まで、トイレと布団をひっきりなしに往復。明け方になってようやく現物が出て、眠りにつく。苦しかった。)で、1週間も休めば大丈夫と高をくくって、一週間目に同じ症状を繰り返す。さすがに医者に行った。その時にした検査で、糖尿病が見つかった。
いまは三食毎日、自分で献立を作って、料理して食べている。間もなく2か月。
手際が悪いので、一食3時間、三食で9時間。睡眠時間を7時間として、16時間。残り8時間が自分の自由になる時間。といっても歯を磨いたり、ふろに入ったり、ギターの弾き語りの練習時間を取ると、仕事につかえる時間は、一日3時間くらいか?外でのレッスンが入った日には、その他には食事をするだけで一日を終える。
仕事への集中は変わらないし、よりシンプルになったが、食うために追われる毎日。献立を立てなければ、食事が出来ない。だから毎日追われるように、献立を立てる。
勿論その時間は、お金にならない。
さてさて、困ったものだ。皆さん、是非レッスンにご参加ください。お願いします。
● レッスンに参加したいけれど、どうも内容の説明が分かりづらい。との問い合わせを受けました。レッスンの資料をホームページにまとめてみました。ご覧ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%81%A8%EF%BD%97%EF%BD%93%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%81%A8%E5%8B%95%E7%94%BB/
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● 私、瀬戸嶋 並びに 人間と演劇研究所『からだとことばといのちのレッスン教室』の 活動と情報は、ホームページで告知しています。
レッスンへ参加頂く際は、ホームページをご確認ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/
● 問合せ・申し込みは、メール karadazerohonpo@gmail.com 又は 電話 090-9019-7547 へご連絡ください。
人間と演劇研究所代表 瀬戸嶋 充 ばん
『からこといのち通信 №26』8月号 2022/7/30 発行
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