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『からこといのち通信 №25』7月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/6/29 発行

『からこといのち通信 №25』7月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/6/29 発行

人生地図、水平面上で現在の位置をプロットしてみる。その点は時間の経過とともに移動する。移動しなければ時間が経過しても同じ位置に留まる。移動が始まればまた時間の経過とともに位置を変える。他の人の位置を加えれば、複雑な動きとなるが、私の位置が他の人と同じ位置を取ることはない。それは人間が体積を持つからである。

こうして考えると、人は一日中、集合離散を繰り返す。人が大勢集まるところは、エネルギーの密度が濃い。学校の教室や会社、セミナー、政治団体、友人、悪だくみ、観劇、その他等々と、いろいろな目的だろうが、人が集まると場のエネルギーが高まる。それをコミュニティーと呼ぶ。

これは、一生を通じて描かれる動線だ。個人と他者との絡まりもある。

これに時間軸を加えると、一生の動きが見える。(因みに一生で大切なのは、生まれるとき死ぬとき。父と母の2点に1点が加わる。3点になる。亡くなると1点が消える。)

私は以前、コミュニティーが大嫌いだった。私が所属するコミュニティーが無いと思っていたからだ。例えば、英語のセミナーには、私の興味がないので所属できない。政治の団体にも興味がないので参加したくない。私の興味が繋がるだろうと思って参加したら期待外れ。その時の私の感想は「~は違う」だ。私と同じにならない!否定的な意見を考えると同時に、その場で孤独感が襲う。唯一、コミュニティーと言えばもう既に求めようのない、40年前の竹内との関係である。

そんなことを考えていたら、果たして自分はコミュニティーを求めていたのだろうかと言う疑問がわいてきた。人間には体積がある。ボリュームである。私は他者との一体感を求めてきた。人との物理的な距離である。この世は物理でできている。その前提の中で、私はコミュニティーを求めていた。人との物理的距離が0になるところ。そんな距離があることを夢見て追いかけてきた。距離の無い信頼関係を求めてきた。

ところが目を覚まして考えてみたら、人と人とは物理的に一体になりようがない。溶け合うことは出来ないのだ。からだのボリュームが邪魔して一体になどなりようが無い。でも何故か私はそんな一体感のあることを信じて、40年間を生きてきた。SEXである。素敵な相手を見つけてSEXをすれば、本当の一体感が得られて、孤独ではなくなる。そんな極上のSEXがあるという幻想。性欲があるゆえに、そんな幻想も成り立つ。

何故かコミュニティーの仲間は女性であった。男は大嫌いであるから、コミュニティーに入れられない。おかしな話である。それでは男性は私一人、あとは全て女性。唯一の女性、それは女王バチであり、他の女性はその配下である。そんなことにも私は気が付かない。性欲とは恐ろしいものである。

現実には、悉くからだの持つボリュームに妨げられて来た。いくらSEXをしても、一体になることは無い。これは相手が違うのかも。他の相手ならば距離を超えられて、一体となれるかも知れないと、女性を虎視眈々と見ている。ずっと本気で考えてきた。どこからそんな発想が生まれたのか、大いなる勘違いである。欲から生まれてきたのだ。

ボリュームに妨げられて、それを繰り返し何とかしようとする。いつかこのボリュームを乗り越え一つになれるだろう。そのために女性を探し求める。そんな発想からようやく自由になれたのが、最近である。50才を過ぎて性欲は衰えたが、そんな発想は私の中で64才の今になるまで生きていた。恐ろしいと言えば恐ろしい。性欲のせいで相手を求め、期待を裏切られ、眼を塞がれ、私は孤独だったのだ。

今は、こんな一体感を求めない。だから孤独も無い。孤独だとか、そうでないとか、比較することが無くなった。誰が好きだとか嫌いだとかもない。人生地図の一点である。距離が出来たり、集まったり。第一、距離があるから自由になる。性欲に捕らわれて、距離が無いことを夢見続けることのなんと不自由なことか。

人生地図の上を、私は自由に歩いていける。プロットが自由に他者との関係の中で、動き回り、止まり、まるで海の波のように姿を移して行く。私は他者との関係の中に洗われ、時に離れて、彷徨う。それが自由だ。そしてその自由は誰もが所有している。

自由を自覚するものは少ないようだ。私の場合は、自由への憧れが性欲と強く結びつき、自他の壁を壊すこととSEXをすることとが、一つの大きな理想となっていた。いつまで行っても本当の自由へは行きつかない。結局、偽の自由を理想として目指していた。

本当の自由とは、人への期待を持たないことである。人と一つになろうなんて、とんでもない夢を持ったもんだ。他人任せのこんな夢を、人は多く抱えていることだろう。本当の自由に至るには、そんな欲に基づいた、歪んだ夢を知り、それを一つづつ捨てて行くことだろう。風通しの良い自分、それが自由な自分なのだろう。

瀬戸嶋 充 ばん

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【1】 レッスン生活40周年記念(その9)
【2】 あまねとばんの交換日記
【3】 レッスンのご案内
【4】 あとがき
【5】 バックナンバー( ばん|note )

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【1】 瀬戸嶋レッスン40周年記念(その9)

言葉が見えてくる。。。。

「からだ」をほぐして行く。野口体操からの応用である。「からだ」の流れを調えて、息を深くする。息の通り道を開け放ち、「あ」の声を出して行く。全身に響く声が出て来る。「からだ」の力が抜ければ、声が溢れてくる。緊張を圧して声がどんどん開けてくる。「からだ」は薄く広がる空気のよう。

「あ」の声とは解放である。声を抑える「からだ」の緊張を解いていくことで、「あ」の声は開けてくる。やがて「からだ」と声とは一つになって、私たちの相対の世界を離れる。「からだ」と声は、一つの「こえ」となって、響きのみが空間を満たす。私たちの意識的なコントロールを離れるのだ。

これが声出しである。「あ」の「こえ」は、そのまま天からの送りものというほどに、広がりを持ち、柔らかくそれでいてはっきりとした一つの存在である。その場を満たし、その場の人々を溶かし込む。

そのまま台本を読んでみる。「そのとき西のぎらぎらの縮れた雲の間から、夕日は赤く斜めに苔の野原に注ぎ」と読んでみる。読むことは「呼む(ぶ)」ことだ。どこからともなく、まぶしい光が揺れて、世界を染める。文字ではない、言葉を語ることで夕日に染まる光景がやって来る。景色が目の前に広がるのだ。これが語りの仕事である。語り部は、魂を持って、光景と出会っている。

彼女・彼が観る世界へ、私たち観客も入っていく。もちろん舞台に立つ者たちも。「ことば」の共有である。皆が手放しでその舞台を観る。自分の見方を捨てて、語りの語る言葉をそのままに受けとめる。語りの言葉は一人の言葉でありながら、皆の言葉でもある。

ただし難しいのが、溢れてくる「ことば」をそのままに語ることと、それを手放しで受け止めることだ。語るのに解釈が入ったり、聞くときに自分の聞き方を持ち込むと、集中が途切れる。全員が語りの言葉に集中しなければならない。難しいのは、聞く者が聞く主体として、あり続けることだ。ただ聞くというのとは違う。語られる対象に向けて手を伸ばしながら聞いたり、足を踏ん張ったり、、、。何とか関係を切らずに聞くことが大切だろう。

それが成り立つとき、舞台には異空間がやって来る。言葉の世界が、生きて見えてくる。私たちはこの世界を忘れて、あちらの世界に住み込んでいく。ここが何処であったか、貴方が誰であったかなどという、区別のない世界。語りの言葉によって、夕日に映える世界への旅が始まる。

「ただし」を付けよう。ただし、このような意味での言葉と舞台を誰も望んでいない。だから私たちは、プロやアマチュアに関係を持たない。そこに関係のない一般の仲間たちと、一緒にレッスンを深めている。


「語り部」が皆の前に立って語り出すと、「物語り」の世界が実際に見えてくる。これが私たちのレッスンでの体験である。こうやって文章にするのは、これが初めてのこと。1人が語り、それを共に見て支えあう。そんな関係が出来てくれば面白い。そしてそれを具体化する手掛かりはすでに様々に為されているはずだ。言葉にしてはいないが。

瀬戸嶋 充 ばん

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【2】あまねとばんの交換日記

あまねさんは、美大出身で油絵専攻、インタビューをライフワークとして、現在は子育てに奮闘中。
( あまねさんの最近の記事は「あそどっぐ インタビュー」 https://note.com/kobagazin/m/m52dc197ffbaf )

※ 交換日記、復活です。


2022/06/15

あまねちゃん

あまねちゃん

そうか、財産を捨てるのね。
そこが違うんだよね。
神というのは、私たちの周りに遍満している。
そこに近づくにはどうしたら良いかという問いに対する答えだね。
お金を捨てるのではなくて、お金への「欲」を捨てるんだよ。
その他にも欲と名のつく物はたくさんあるけど、それらへの「欲」を捨てること。
私たちの眼は「欲」に囚われて、真っすぐにものを見ることが出来なくなっている。自分では真っすぐに見ているつもりが、実は曲がっている。そっぽを向いていたり、閉じていたり、自分の方ばかりを見ていたり。
真っすぐな眼には、いつも神様が映っているはずなのに、それ以外のものが視野を塞いでいる。
だから、視野にかかっている欲のフィルターと言うか、目を覆っている欲を外すことが大切。
お金もだけど、さまざまな欲も同じ。
お金ではなくて、お金にしがみ付いている手を離せば、少なくとも紙一枚くらいは神さまに近づく。欲というモノは百八つもあるのだから、殆ど無限にあるけれど、手を離した瞬間には、神が顔を出しては消えて行く。それが有難いんだね。
よくお金を捨てろ、喜捨しろというけど、あれは嘘だね。現物で神に手が届くとでも思っているのだろうか。
くれぐれも、現物ではなく、現物と離れられない自分=欲張りを捨てるのだ。
そして捨てると神さまがちょっぴりと顔を出す。そこを見て神さまが一つの成功を喜ぶ、当人も喜ぶ。喜びを通じて神さまと私が一つになる。そこを一度通ればあとは楽だ。繰り返せば良いし、その苦労を忘れはしない。神は私だし私は神で一つになって笑っている。
始めての時は、誰かの手助けがいるかな。横に立って、見えるまで見ることを助ける人が必要だ。
神の世界に渡って帰ってくる人が。
こういう立場の人を、菩薩と呼ぶのだろう。
迷いの世界から、浄土を見て帰ってくる。浄土には渡らないで、この世で死ぬまで生きる。死んだらまあしょうがないから、あの世に行ってまた修行かな。
この世に神さまは「居るけどいない、居ないけどいる」、それが面白いところだな。
神も仏も私までもが一緒だね。

ばん


2022/06/18

ばんさん

う〜ん、そうかあ。こりゃもうほとんどレッスンのお話ですね。
「自分では真っすぐに見ているつもりが、実は曲がっている。そっぽを向いていたり、閉じていたり、自分の方ばかりを見ていたり。」
が先か、
「自分では真っすぐにやっているつもりが、実は曲がっている。そっぽを向いていたり、閉じていたり、自分のことばかりをやっていたり。」
が先か。
そこはニワトリタマゴなんだろうけど、
前者においては「欲」、後者においては「体のこわばり」がジャマしちゃってるので、
そこを除けて、スッキリたのしく生きたいぜ!
というか、きっといのちはそういうふうにできているのだぜ!そのたび、神さまの気配をかんじるのだぜ!
というふうに私は受け取りました。

「お金にしがみ付いている手を離せば」のくだりは、
まっくろくろすけを思い出しますね。
メイが正体をたしかめるべく、握り締めるといなくなって、てのひらにはススしかのこらない。

直感的に、こういうことをつくる「欲」と「体のこわばり」って同根だと思うんですが
(いずれも以前はなしにでた、「個」の幻想からくるものだと思っています)、
この二つのつながりというか、関係性は、ばんさんの目から見ると、どういうふうに見えているんでしょう。

あと、単純な見た目の「体のこわばり」だけでは測れないものもあるよな、とおもって。
年齢や個体差のこともあるだろうからあれですが、見た目や形としてのやわらかさは私のほうがやわらかいけど、
ばんさんは、ばんさんのなんらかのやわらかさによって、だれかを見た時、その人の「体のこわばり」をキャッチするじゃないですか。
ありゃいったいなんなんでしょう?すごくふしぎ。"胎眼"の話は聞けたけど、それでもまだふしぎ。
その答えは、「ぶら下がり」でわたしが書いた、ばんさんの「巨きな根拠」だとか、風見鶏であることとかと繋がるんじゃないかしら?
どうなんだろう。
あとあれですね、外形はどうあれ、ばんさんの中身の濃やかさも大いに関係ありそう、とも思っています。

「欲」と「体のこわばり」の関係性、
ばんさんの濃やかさから見える他者のからだ、
このふたつって、関係あるんじゃないかって思うんです。

・・・と、ここまで嗅覚だけで話してます笑 おおはずれだったらすみません笑

あまね

(つづく)

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【3】 レッスンのご案内

● 無料体験会のお知らせ
・6/26(日)20:30~22:00
・7/3(日)10:00~11:30
・7/10(日)20:30~22:00
レッスン体験会を開きます。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E7%84%A1%E6%96%99%E4%BD%93%E9%A8%93%E4%BC%9A/

● 琵琶湖和邇浜夏の合宿開催
2022年7月16日(土)~18日(月)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%A4%8F%E5%90%88%E5%AE%BF-7-16-7-18/
前回朗読劇『鹿踊りのはじまり』を YouTube https://youtu.be/-rm3YAVdIoQでご覧になれます。

● 伊豆川奈 夏の合宿
2022年8月19日(金)~21日(日)
https://ningen-engeki.jimdo.com/2022%E5%B9%B4%E5%88%9D%E5%A4%8F-%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%B7%9D%E5%A5%88%E5%90%88%E5%AE%BF-8-19-8-21/

● ワークショップ・合宿などのイベントのご案内は Facebookページ https://www.facebook.com/SensibilityMovement に「いいね!」して頂ければ、詳細が出来次第、FB通知でご案内します。

● オンライン・レッスン『野口体操を楽しむ』のご案内は、
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%95%99%E5%AE%A4/

● オンライン・プライベート・セッション開始
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-entry-370.html

●「出会いのレッスン☆ラジオ」https://www.youtube.com/playlist?list=PLnDMDlLE0m1LaDrvijAQA8RwzaiNAAdpZ
番組表は、https://ningen-engeki.jimdo.com/

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【4】 おあまり(あとがき)

● 気が付いたら先月で24号、2年に渡って通信を送り続けてきました。今月は間に合うだろうかといつも思いながら、繰り返しています。書くことに自信が無いから仕方が無いのですが、目の前の記事に集中。そうこうしている内に、月末には通信が出来て発送。不思議なものです。そうそう、2年に渡って読んでくれているひとへのご挨拶。『 おかげ様で今月も無事に発送出来ました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします❤ 』

● 伊豆川奈合宿スタッフの大澤さんが「からだとことばといのちのレッスン」PVを作ってくれました。楽しく仕上がっています。ぜひご覧ください。
https://youtu.be/9ro2xpaGYnc

● レッスンに参加したいけれど、どうも内容の説明が分かりづらい。との問い合わせを受けました。レッスンの資料をホームページにまとめてみました。ご覧ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%81%A8%EF%BD%97%EF%BD%93%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%83%B3%E3%81%A8%E5%8B%95%E7%94%BB/

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● 私、瀬戸嶋 並びに 人間と演劇研究所『からだとことばといのちのレッスン教室』の 活動と情報は、ホームページで告知しています。
レッスンへ参加頂く際は、ホームページをご確認ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/

● 問合せ・申し込みは、メール karadazerohonpo@gmail.com 又は 電話 090-9019-7547 へご連絡ください。

人間と演劇研究所代表 瀬戸嶋 充 ばん

『からこといのち通信 №25』7月号 2022/6/29 発行

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