勝手にズーラシアの最強ルートを考えてみた〜総括編〜

 連載記事になったが、この記事で連載も終わる。

 最初は、この記事から始まった。

 まだ気温も高くない春の時点だったが、そこから約1ヶ月ほどかけて連載したことになる。
 次の記事では実際に訪れてみて感じた欠点を炙り出すという方法を採用した。

 そして感じたことを再度検証し、よりルートを良くするために再度考察するということを行った。

 そして今回、実際に再考察した上で歩いてみて感じたことを述べて総括する。

猛暑が厳しい状況ならではのリスク

 この頃、相当な猛暑が続いている。このような状況下で屋外でのレジャーは熱中症のリスクが伴う。そう考えると、一日中外にいるような状況というのは、「この夏は」推奨できない。
 そういうこともあり、広い園内を長時間移動することになるルート設定は危険であると判断し、夏場では勧めないようにする。

 水分補給や体温の冷却といったことを考えると、きちんと余裕を持って行動した方が安全となる。 あちこちに休憩できる場所や自動販売機があるとはいえ、長時間屋外にいることに変わりはない。
 適宜休憩を挟んでも難しい状態だからこそ、この夏では無理に1日でできる限り楽しいルートを実行し、誰かに勧めるのは危険と判断した。

無理に1日で巡らなくても良いということ

 広い園内に一日中いれば熱中症のリスクが伴うということは述べたが、だからこそ、「無理に1日ずっといなくても良い」ということを推奨したい。
 そもそもの話として、「最強ルート」は「無理に全ての生きものを見る必要はない」という前提がある。だからこそ、無理をしてまでも1日ずっとズーラシアにいる必要は無いのだ。
 ずっと屋外にいたことで深部体温が数日下がらないことによる熱中症もあるからこそ、無理をして一日中いる必要は無い。安全のために撤退することも大切なのだ。

動物園を、余裕を持って楽しむということ

 動物園を楽しむということにしても、娯楽に効率を求めるということが重視されてしまうのはある種の危険性を伴うこともある。娯楽の種類も増えて、量が多くなれば、全てのコンテンツを楽しむのは難しくなるだろう。だからこそ、「当たりコンテンツだけを楽しみたい」や「時間をかけずに見所だけを楽しみたい」ということも常態化しつつある。

 もはや、飽娯楽の時代とも言えるかもしれない。飽食と同じように、たくさんの娯楽が溢れて流れていく。その果てに何があるのかは、正直僕には分からない。自分にとって心地よいものに囲まれるのは、楽なことである。けれど、楽な方向へと流れ続けてしまえば……。その果てに何があるのかは、僕は想像ができない。
 「人間は堕落する。だからこそ堕落の仕方が重要になる」とはいうけれど、飽娯楽の時代においてどのような立ち位置で動物園が存在していけば良いのだろうか。

 僕としては、「生きものたちのことを大切にすることを前提として、好きなように楽しめる心の余裕を持って」動物園を楽しんでほしい。他者を尊重できるというのは、余裕がなければできないことである。無理に全てを巡って余裕のない行動をするよりも、ポイントを押さえてじっくりと巡ったり、いっそのこと好きな生きもののところだけ巡ってじっくりと過ごしたりするのもいいのだ。

 とはいえ、どんなことであっても、「楽しみ方」が分からなければ楽しめるようにはなれない。ゲームの操作方法がわからなければゲームを楽しむことができないように、動物園を楽しむ方法が分からなければ楽しめるようにはなれないだろう。

 個人的な考え方ではあるが、動物園を楽しむ方法は「視点を考える」ことにあると思っている。生きものを見る視点、生きものが暮らす場所を考える視点、生きものの個体や種を見る視点、どこにいるのかを見つける視点、そういった、「たくさんの見方」が動物園には溢れている。見ることのできる視点が増えれば増えるほど、「センス」が研ぎ澄まされ、「ふしぎ」や「好奇心」を捉えられるようになる。受動的に捉えるだけでなく、「能動的に」楽しみを見つけて、考えて、視点を変えていく。

 生きものが見えなくても、「いない」と考えてしまうのではなく「見えない」から「どこにいるのだろう」と考えてみて、ふと立ち止まって物事を考える。そういう心の余裕を、考え方の余裕を、動物園で見つけるようにしてみるとより深く楽しめるようになる。

 ほんの少しだけ、視点を変えてみて、心に余裕をを持って動物園を巡ってみる。そうやって動物園を楽しんでほしい。そうやって世界を捉える見方を増やせれば、きっと世界の見方は豊かになるだろう。

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