【短編小説】 「スマホを見ないと死んじゃう病」の試験運用について
10月3日 午前8時
今朝もラッシュアワーの地下鉄の車内は通勤客で超満員だ。動こうとしても、腕も足もびくとも動かせない。
隣の学生がスマホをいじるたびに彼の肘が僕の二の腕に突き刺さり、とても不快だ。学生を軽く睨んでみたものの、彼はスマホに夢中でこちらに気付きもしない。
周りを見渡すとあっちでもこっちでも不自由な姿勢のまま食いつくようにスマホに見入っている人々が見える。
「まったくこいつらはスマホをいじってないと生きていられないのか?こんな混雑しているところでスマホを見る必要なんてないだろ!」
僕は心の中で大声で叫ぶ。
『本日は、市営地下鉄 古今東西線をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は、寂しヶ丘公園行きです。次は、多々良目、多々良目。お出口は右側です。お年寄りや体の不自由な方に、席をお譲りくだ ガガッ!キィーン!!』
耳慣れた車内放送に突然甲高いハウリング音が重なり、乗客は皆、顔をしかめた。
『ザザ…ザ…本日も通勤通学、大変お疲れ様です。』
ん?いつもの無機質な音声だけど、こんなアナウンス初めて聞いたな。
『車内が大変混雑しており、皆様にご迷惑をおかけしております。さて、市営地下鉄 古今東西線では、混雑の緩和を図るため「スマホを見ないと死んじゃう病」の試験運用を始めることにいたしました。』
いったい何を言っているのかと僕たちは怪訝な顔をしながら車内放送に耳を傾けた。
『車内が混雑する原因はさまざまですが、スマートフォンを見るときに周りのスペースを無駄に使うことは、混雑をさらに悪化させます。したがいまして、混雑時のこうした行為を根絶するため、このたび、お客様の自覚を促すことといたしました。今回の試験運用の対象者は、現在車内でスマートフォンを御使用になられているお客様全員です。』
スマホを手にしていた多くの人々がピクっと反応する。
『対象者のお客様は、ただいまから「スマホを見ないと死んじゃう病」にかかります。この病気は、1分以上スマートフォンを見ない状態が発生した場合に死亡するものです。なお、特例措置といたしまして、お客様の睡眠時間を確保するため、22時から翌朝4時までの間は、30分以上スマートフォンを見ない状態が発生した場合に死亡するという条件に変わります。』
あちこちから「ドッキリだろ…」「バカじゃないの?」と戸惑った声がザワザワと聞こえてくる。
スマホを見ていなかった人々にとっては、この車内放送は所詮他人事だ。薄笑いを浮かべながら、対象者とされる人を眺めている。
一方で、対象者とされた人々は、不安げに車内放送に聞き入っている。
『この病気は、1週間後に完治いたします。また、この病気は他人には感染いたしません。対象者のお客様におかれましては、この1週間スマートフォンにしっかり向かい合っていただき、自己反省の時間に充てていただくことで、今後の電車内マナー向上の礎にしていただければ幸いです。』
『「スマホを見ないと死んじゃう病」の本格実施につきましては、今回の試験運用の結果を踏まえ、広くお客様のご意見をいただきながら、対象条件や開始時期等詳細を決定し、公報でお知らせいたします。今後とも、電車内マナーの向上に御協力いただきますようお願いいたします。ガガッ!キィーン!!』
ハウリング音でハッと我に返った僕は、すぐに隣の学生を見た。
ガクンと前に倒れた頭と土気色になった顔がわずかに見える。立錐の余地もない電車内で学生は周りの乗客に挟まれて立ったまま死んでいた。
半信半疑のまま車内放送に気を取られて、1分ルールに引っかかったということか。
学生と同じような死亡者が出ているのか、電車内のあちこちから大きな悲鳴が聞こえ始めた。
僕たちは、ようやく車内放送が真実を告げたものだと理解し始めた。
乗客がパニック状態に陥る中、対象者は血眼になって一瞬たりとも視線を外すまいとスマホの画面をにらみ続けている。
死体から離れようとする人の流れに巻き込まれ、スマホを落としてしまった対象者の女性は、泣きわめきながら周りの乗客にスマホの画面を見せてくれるよう懇願している。
しかし、自分も対象者になることを恐れて誰も自分のスマホに触ろうとはしない。
『多々良目、多々良目。市バスターミナル方面は、ホーム中央の階段をご利用ください。JR乗り換えの方は右方向にお進みください。』
車内放送が淡々と駅への到着を告げる。
(続く)