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22匹の猫と過ごした35年とこれから

 生まれた時から猫と共にあった。茶トラのミイが、ベビーバスケットの足元で丸くなっている写真が残されている。赤子の私は足の指をグーパーして、ミイの背中を摘んでいたらしい。お陰で足長が26cmに達した。女物の靴はほぼ履けない。
 ミイは野良猫だったが愛嬌があり、近所中で可愛がられていたそうだ。あの手この手を尽くして祖母がハートを射止め、同居することになったという。
 私の誕生から程なくして、近隣の畑の堆肥置き場に子猫が捨てられているのを祖母が発見した。当然のように迎え入れ、ピーピー鳴くからピー助と名付けた。幼い孫がいるのに猫を増やすとは何事か、と祖父は快く思っていなかったそうだが、私の物心がついた頃、ミイとピー助を格別に可愛がっていたのは祖父だった。本棚には内田百閒の『ノラや』があった。

 猫に育てられて私は4歳になった。幼稚園から帰ると、ロシアンブルーのような毛色の猫が玄関前に座り込んでいた。なんと美しい猫だ、と幼心に感動に打ち震えたのを覚えている。どこかのお家の子かもね、そのうち帰るでしょ、と母が言う。少し寂しく思いながら扉を開けると、美しい猫はさも当然のように家に上がり込んだ。私は大興奮した。しかし、既に先住猫が2匹もいるのにこれ以上猫は増やせない、とまたもや祖父が水を差す。近所に野良猫の世話をしてくれる神社があるから預けてくると言い、祖父は美しい猫をカゴに入れ、出かけていった。
 30分後、美しい猫は祖父よりも先に帰ってきた。ジジと名付けた。何十年も前から住んでいるような顔でくつろぐジジを見て、祖父もすぐに諦めた。

 ジジのお腹は大きかった。居着いて1週間後には出産、私のベビーバスケットが再び日の目を見ることになった。生まれた子のうち、チャーとバットマンとウランは我が家に留まり、さくらともみじとももは母の友人宅で育てられることになった。勝手に取り決めて「バイバイ」させてくれなかった母を、私は危うく呪い殺すところだった。

 その後も、我が家を住処に選ぶ猫が後を絶たなかった。
 お腹を大きくした錆柄の猫が、玄関の扉を開けた拍子にまたもや勝手に上がり込んできた。カナと名付けた。3日後にラムとおじゃるとスポットが生まれた。先住猫たちは至極不満そうだったが、カナの厚かましさに折れるしかなかった。
 子育てが落ち着くと、発情期のカナは脱走を図った。しっかり仕込んで帰ってきた。福助とあんみつが産まれた。
 買い物の帰りに、車道の真ん中で何かが蠢いているのを見つけた。アメショー柄の子猫だった。連れ帰り、ミルクと名付けた。七夕だった。
 福助が生後半年を迎えると同時に、去勢手術をした。これで一安心と思いきや時既に遅し、母猫で筆下ろししていた。きなことカルラと那智が産まれた。
 私が17歳になった時点で、19匹の猫と縁があったことになる。人間の友人は片手で数えられるほどもいないのに、不思議だ。

 猫にかまけにかまけて私は30歳になった。時の流れには逆らえず、一匹、また一匹と原始に還り、残るは福助だけとなっていた。

夢のベッド独り占めを満喫する福助

 福助は念願の“一匹飼い”の喜びに浸っていたが、その幸せは長く続かなかった。
 まだ少し寒さが残る4月のある日、物置の下に子猫が3匹“落ちて”いた。近くに母猫の姿はない。我が家はにゃんにゃんネットワークで五つ星の家に認定されているのだろうか。すぐに迎え入れ、松子と梅吉と竹やんと名付けた。

元祖松竹梅トリオ(右端が竹やん)

 一番小柄だった竹やんはよく鳴く子で、そのお陰で3匹の存在に気付くことができた。しかし、必死で鳴き続けたせいか衰弱していて、手当の甲斐なく1週間後に天使になった。
 松子と梅吉は、竹やんの分まで元気に育った。

「モード反転、裏コード…ザ・ビースト!」梅吉(左)&松子(右)

「また猫増えた! しかもうるさいやつ! 話がちゃうやないか!」と福助は怒り狂った。
 しかし、人間と長年を共にしてきた経験から、意地を張っていても仕方ないと悟ったのだろう。1週間もすると子猫の世話を焼くようになった。

梅吉のごはんを横取りする福助

 松子と梅吉のトイレトレーニングまで完璧に済ませた福助おじいは、なんだかんだで2匹に愛されていた。

福助おじい、ありがとう

 松子と梅吉を迎えて3ヶ月が経った頃、福助は認知症になり、程なくして天寿を全うした。17才だった。

 福助を溺愛していた私の落ち込みようは凄まじく、申し訳ないが父が亡くなった時よりも泣いた。松子と梅吉の成長が唯一の慰めだった。

4ヶ月目の松子(手前)と梅吉(奥)

 仕事中も隙あらばスマホに保存された福助の写真を眺めて過ごした。3ヶ月経っても悲しみは癒えない。すると母から、「帰ってきたよ」とメッセージが送られてきた。アプリを開くと、白黒の子猫の写真があった。

まいど!(生後1ヶ月?)

 近所の人が保護したものの、どうすればいいのかわからず、母を訪ねてきたらしい。「二つ返事で引き受けた!」と母は誇らしげだった。
 動物病院に連れて行ったところ、オスと診断されたので竹まろと名付けた。しかしどう見てもメスだった。案の定、後に“たけまろこぽよみ”に改名された。

あざとかわゆいでちゅね〜

 松竹梅トリオ、復活である。
 それから4年が経ち、現在に至る。

 終始こんな調子なので、猫が“欲しい”と思ったことは一度もない。何より「猫が欲しい」という言葉に違和感を感じる。“欲しい”とは、何かを自分の“もの”にしたいということである。猫は物ではない。
 では保護しているのかというと、それもしっくりこない。一緒にいるとお互い幸せになれそうなので同居している、ただそれだけのことだ。
 しかし猫たちの胸中を知ることはできない。子供を作れない体にされ、家に閉じ込められ、ことあるごとにわしゃわしゃと体を弄られ、「マジ最悪滅びろ人類」と思っていないと、誰が断言できるだろう。
 最高品質のキャットフードと、清潔なトイレと、ふわふわのベッドと、毎日30分のマッサージをさせていただいても、それは人間の自己満足でしかない。
 そもそも、なぜ人間が地球という惑星の主のような顔をしているのか。
 いい加減身の程を知らないと、そのうち宇宙人がやってきて、人間をペットや家畜として扱うようになるのではないか。
 昨今の社会情勢を見ていると、それもいいかと思わなくもない。いや、既にそうなっているのかもしれない。

 ああ、心がざわつき始めた。松竹梅の健康チェックをしよう。思い思いの場所でくつろぐ御三方の、お尻のニオイを嗅がせていただく。

麗しい
手編みの猫ハウスを取り合ってくださっている

 菊の御紋から芳香が放たれている。体調はすこぶる良いようだ。彼らが日々健やかで、側にいてくれるお陰で、私は生きる目的を見失わずにいられる。

 なんだ、保護されているのは私の方だったのか、と今更ながらに気付く。
 我が家の歴代の猫たちに、そして全宇宙の猫に、感謝を。

#うちの保護いぬ保護ねこ

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