あなたは悪くない、悪いのは社会だ
つい先日、イ・ランさんが「オオカミが現れた」を歌う動画を見た。この動画は韓国の大統領弾劾訴追を求めて国会議事堂前に集まった市民たちの前で歌ったもので、私は非常に胸を打たれてしまった。
まずはこの動画を見てほしいのだけど、とくに読んでほしい歌詞の和訳を下記に抜粋した。
(和訳は次の記事より引用しました。https://note.com/hogenosuke/n/n32d0efe9e221)
貧困というテーマを中世的な世界観で歌った曲。心の底から打ち震えてしまった。私が必要としていた言葉、表現がここにあると思った。私だけでなく、私たち、世界にも必要だと思った。
この曲は韓国政府から検閲を受けて「歌詞を変えてくれ」と言われたらしいが、イ・ランさんは「それはしない」と強く言ったという。それだけ強く、人を、国を、世界を動かすほどの力があると思われたということだ。そして国に言われても「変えない」と言った彼女の強さにも救われる。
今の社会はどう考えてもおかしい。
まじめで優しい人が社会のシステムから弾き出されている。明るく元気で聡明な人が、社会に働きに出たとたんに心と体を病んでしまう。まじめにコツコツ働いて生活しても、高い税金と社会保険料で給料の半分が持っていかれる。値上げが続くのに賃金は上がらない。物価高に対する政策は何も打たれない。人々は生活のために必死になり、心と体をすり減らして働き、どんどん余裕がなくなる。余裕がなくなって病気になったり事件が増えたりする。
裏金問題、献金、企業と政治家の癒着、軍事化、環境を無視した開発、絶えない性暴力、進まない能登の復旧、今夜のご飯にも困っている子どもがいる。世界では戦争、虐殺が行われている。ガザは19日から停戦するというが、なぜ19日からなのか。人の命を奪っていい期日などないはずだ。本来なら今すぐ停戦すべきなのに。結局は政治だ。政治に振り回されて命を落とすのは民間人だ。私たちだ。悪政で命を落とすのは私たちだ。
こんなのはおかしいと怒っていいはずだ。もう無理だとストライキをしていいはずだ。でも、具体的にどうしたらいいのかわからない。おかしいとわかっているのにどう声を上げたらいいのか、どんな行動をしたらいいのかわからないから、ひとまず今の生活を続ける。
私自身、まさにそういう人の一人だ。だから、声を上げない人を責めるつもりは全くない。それに、声を上げる気力もないくらい社会に、世界に痛めつけられて立ち上がれなくなっている人もたくさんいる。思考停止させて、諦めさせてしまうくらいに働かせて疲れさせているのは社会だ、政治だ。
だから、今の社会システムに適応できない自分がいけない、と思っている人がいたら、私は迷いなく「あなたではなく社会がおかしい。変わるべきは社会であって、あなたは変わらなくていい」と言い切る。
私は今の社会システムの中でギリギリ生きられている、と思う。冗談抜きに、“この貧しさは直ちに私のことになる”と危機感を抱いている。表面張力ギリギリで生きている人たちの水が溢れる未来は、いつ来てもおかしくない。
仕方ない、こんな世の中でも適応して生きるしかない、そういうものだ、と今のままを続けるのはいやだ。本当はそう思っている人がたくさんいるはずだ。
政治的発言をすると冷笑したり「思想強いw」と揶揄する人がいる。でも、政治は生活に直結している。政治のことを発言するのは何もおかしくないし特別なことではないはずだ。
「文句があるなら代案を示せ」という人がいる。でも、代案を考えるのが政治家の仕事であって、市民は「政治がおかしい」「今のままでは苦しい」とただ主張する権利があるはずだ。
無知だから、無職だから、病気だから何も言えない、なんて思わなくていい。
私たちはもっと、ただ「苦しい」と言っていい。「こんなのはおかしい」と怒っていい。「もう無理だ」と泣いて訴えていい。
日本でも、「オオカミが現れた」のような歌を国会前でみんなで歌いたい。
“この土地には衝撃が必要だ”
今の日本には衝撃が必要だ。日本だけじゃない、この世界全体に衝撃が必要だ。
どうしたらいいのか、この曲を毎日聴きながら考えている。