同期の通夜について
僕は、基本的に過去を振り返ってみたり、「あの時、こうすれば良かった」とか、クヨクヨと後悔するようなタイプの人間ではない。時間は逆回転できないのだから、そんなことを考えるヒマがあったら、未来のことを考えた方が良いからである。
同様に、昔の若い頃を回顧して、思い出に浸る趣味もない。
とはいえ、今週はどうやら、柄にもなく昔々のことを回顧する1週間なのかもしれない。
高校の同窓会に約40年ぶりに出席した話は、先日、書いた。その際に、銀行時代の同期が亡くなった知らせを受けた話も書いた。
昨日、その同期の通夜があり、参列した。
僕は、冠婚葬祭が苦手である。銀行時代は、「お仕事」として、取引先のエライさんの通夜や告別式には数えきれないほど参列した。湿っぽい席は合わないので、正直、とても苦痛だったが、仕事だから仕方がない。同僚や部下の結婚式にも随分と出た。そういう席で、歯の浮いたような、心にもない祝辞を述べるのは本当に苦痛だった。要するに、祝儀も不祝儀もどちらにも向いていないのだ。たぶん、感情表現が苦手なのだろう。
「人生百年時代」と言われる昨今においては、かなりの若死の部類であるせいか、またごく最近まで現役だったせいか、通夜には、会社関係者、銀行時代の部下や同僚が大勢参列していた。入行同期のメンバーも、僕を含めて数名が参列していた。中には通夜に出るためだけに、わざわざ新幹線で日帰りでやってきた人もいた。不精な僕にはマネができない律義さに感心した。
当たり前であるが、同期は皆、それぞれに老けていた。僕が無沙汰を重ねているせいでもあるが、街中でばったり会っても、たぶんわからないであろう。
今回、亡くなった同期の話に戻るが、話を聞けば、前々から胃の不調を感じつつも、医者にかかるのが遅れたらしい。胃腸系のガンは発見が早ければ、今どきは命を落とすような病気ではないだけに、とても残念なことである。その点、膵臓、肝臓、胆管、肺といった臓器のガンとは異なる。この辺りの部位のガンに罹った知り合いで、逆に助かったという話はついぞ聞かぬからである。
死顔を見せてもらったが、抗ガン剤の影響なのか、(表現が悪くて恐縮だが)黒ずんでいて、まるでホラー映画に登場するゾンビのような異様な顔色であった。プロが死化粧を施しても覆い隠しようもなかったのであろうが、僕がもしガンになったとしても、手術、抗ガン剤治療、放射線治療のいずれも断固拒否しようと改めて思った。
最後まで勇気を振り絞って、家族のために病気と闘った同期を貶める意図はないが、前にも書いたように、ガンで死ぬのは、死に方としては悪くはない。したがって、余命を受け容れ、いろいろな意味での無理はしないと決めているのだ。
遺影に手を合わせつつ、自分ももう若くもないのだから、いざという時のために、遺影になりそうな写真くらいは今のうちに用意をしておこうと思ったのだが、実は、既に何枚かの遺影候補は密かに用意している。僕が両親の葬儀の時にやったみたいに、残された人間がアルバムをひっくり返して適当な写真を選ぶなんて、選ぶ方も面倒くさいし、選ばれる方にとっても悔いが残るではないか。
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