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「箸使い」について

いろいろな人と一緒に食事をする機会が少なくない。その際に、お箸の正しい使い方ができていない人が意外と多いことに気づかされる。

僕は人のしぐさやふるまい等に違和感を感じると、そればかりに注目してしまい、目を離そうにも離せなくなるクセがある。つまりガン見である。

箸使いの間違いは、多くの場合、本人は自覚している。気にもなっており、内心は後ろめたさや気恥ずかしさを感じてもいる。だが、結果的に矯正できていないのだ。だから、他人にガン見されたり、ましてや注意されたりすると、逆上したり、過剰な反応をする人も少なくない。職場内だったら、今ならパワハラ案件になるかもしれない。本人の非常に気にしているウィークポイントにズバリ切り込む行為だからである。

僕も、以前、箸使いの間違っている人に間違いを指摘をして、正しい持ち方をご指導しようとしたところ、それ以来、その人とはすっかり疎遠になってしまったことがある。そんなことがあったのに、ヘンな箸使いを見ると、気になって、目が離せなくなるのだ。全然、懲りていないようである。

ネット記事によれば、30代女性で箸を正しく使える人は約3割にすぎず、40代や50代でも30%台で、男性もほぼ同じ結果であり、正しく使える人の割合は、年々減っているということである。

一方、これは僕の体感であるが、外国人で日本を訪れる人たちで、ちゃんとした正しい箸使いのできる人は、かなりの割合を占めるという気がする。

要するに、箸の正しい使い方と言ったところで、そんな高等技術を要するようなことではない。教わったとおりに正しいやり方を実践できるかどうか。ただそれだけのことである。ネイティブな日本人であるにも拘らず、いい年をして、正しい箸使いができない人は、「できない」のではなくて、単に「やらない」、あるいは「やろうとしない」、もっと言えば、正しい箸使いをすることに大した価値を感じないということではなかろうか。

普通であれば、幼少期に親から教わることである。親が教えなかったのか、親があまりリスペクトされていなかったのか、親自体が正しい箸使いができなかったのか。理由はそれぞれであろうが、これらすべてがミックスされているような気がする。

つまり、親が子どもを躾けることに熱心ではなく、子どもも親の言いつけを守ろうという姿勢が欠如してしまっている。親自身も、親の親からしっかりと躾けられていないから、自分自身も大してわかっていない。「負の連鎖」である。これは単に箸使いだけの問題ではなく、家庭教育全般に通じることかもしれない。

いわば、箸使いは、その人のこれまでの半生、特に家庭教育とか親との関係性等を物語る1つのシンボリックな具体例に過ぎないということである。いくら小奇麗に装っても、ブランド品を身につけていても、エラそうなことを言っても、箸すら正しく使えないようでは、とんだ艶消し、馬脚が現れてしまうということになる。

大げさな言い方になるかもしれないが、こういったことも「文化の継承」である。いくら勉強ができても、日々の食事のマナーとか、生活習慣とか、言葉遣いとか、敬語の使い方とか、たとえ1つ1つは些細なことであっても、それらの積み重ねは大きい。

裕福な家庭出身であっても、そうしたところで残念な人は少なくない。その逆のパターンもある。「民度」などといったアバウトな言葉は使いたくないが、各家庭の躾の集大成として国民や民族の資質が決まるとするならば、それこそ「民度」というものであろう。


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