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僕の音楽遍歴について④

少し以前、僕が若い頃にどういう音楽を聴いていたのかについて、3回にわたって書いたことがある。

この時は、中高生時代から大学にかけて聴いていた、主として洋楽、ロックミュージックについての話ばかりになってしまったが、今回は、そこからどうやってクラシックを聴くようになったのかについて、書いてみたいと思う。

クラシック音楽に関しては、ご多分に漏れず、学校時代の音楽の授業等で聴かされた、「お勉強」としての音楽鑑賞を除けば、あまりご縁のないままで過ごしていた。

プログレッシブ・ロックを聴いていたので、「クラシック的なもの」に対する下準備、ウォームアップは知らず知らず行なわれていたのかもしれないが、自ら意識してクラシック音楽を聴いていたわけではない。

クラシック音楽を聴くようになった「きっかけ」は、ある小説を読んでいて、たまたまリヒャルト・ワーグナーの楽劇について興味を持ったことにある。

ベートーヴェンとか、モーツァルトとか、ブラームスといった、オーソドックスな王道路線からは、随分と外れたところに興味を持ったものである。

「ある小説」と書いたが、それは高木彬光の『帝国の死角』というミステリー小説である。

この作品において、リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」が重要なテーマとして登場する。

楽劇「ニーベルングの指輪」というのは、ワーグナーが四半世紀くらいの歳月を費やして完成させた大作であり、全部で4作品から構成される。演奏時間は、トータルで実に15時間以上を要する(何しろ大作なので、指揮者のペース配分次第でかなりの違いあり)。

通常の歌劇(オペラ)だと、作曲家と、台本(リブレット)の作者は異なるのが普通であるが、ワーグナーの場合は、自分で台本を書き、かつ作曲をする。

ちなみに、ワーグナーのパトロンだったのが、あのバイエルン王国のルートヴィヒ2世であるが、ワーグナーはこの「太い」スポンサーを得たのを良いことに、湯水のごとく盛大に散財して、挙句、自分の作品を上演するためだけの専用の劇場までバイロイトに作ってしまった。今も毎年夏に音楽祭が開催されている「バイロイト祝祭劇場」である。

当時の僕には、上演に4日間もかかる音楽劇などと言われても、まるで想像もつかず、そもそもワーグナーの音楽がどのようなものであるのか知りたくて購入したのが、ワーグナーの楽曲の「さわり」だけを集めたようなレコードであった。

当時は、まだCDもDVDも存在しない時代であるから、アナログレコードである。「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」とか、「タンホイザー序曲」とか、「ワルキューレの騎行」やら、「トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死」とかいった断片的な楽曲の寄せ集めのようなレコードであった。

ワーグナーの楽曲には危険な毒がある。官能的で、めくるめくような陶酔感、恍惚感に満ち満ちていて、麻薬のような旋律と和声で聴く者の心を揺さぶる。中途半端な断片ばかりのレコードを聴いただけでも、すっかり魅了されてしまった僕は、もっとちゃんとワーグナーの楽劇を鑑賞したいと思ったのだが、当時、大学生の分際では、ワーグナーの楽劇を聴く機会など、そう簡単に得られるものではなかった。

楽劇というのは、文字どおり、音楽と演劇から成る総合芸術だから、レコードの音楽だけ聴いても、わけがわからないのだ。しかもドイツ語である。今のようにネットやDVDで、オペラを視聴できるような環境はない。

ワーグナーのオペラ全曲盤は、アナログレコードだと4枚ものとか5枚ものになる。お値段も大学生にとっては決して安くはない。僕が最初に購入したワーグナーの全曲盤レコードは、レナード・バーンスタイン指揮の「トリスタンとイゾルデ」であったが、あれは何枚ものだったのやら……。

「指輪」全曲のセットとなれば、たぶん20枚近いレコードであったろう。そんな大層なものは、大学生には手が出るはずもなく、「指輪」全曲盤を入手したのは、もっと後、社会人になってからのこと、それもCD盤であった。

というわけで、舞台での実演に接する機会を得られず、レコードやらCDやら、NHK-FMで年末頃に放送されるバイロイト音楽祭の録音などの数少ない機会のみを通じて、それも音楽だけでの体験しかできないまま、僕のきわめて限定的なワーグナー体験はしばらくの間、続くことになった。

僕が、劇場でリアルにワーグナーの楽劇を体験したのは、87年4月8日(水)、建替え前の「大阪フェスティバルホール」で、まだドイツが東西に分かれていた頃の「ベルリン国立歌劇場」(東側)の日本公演においてであった。指揮者はオトマール・スウィトナーである。

その次は、88年11月13日(日)、渋谷の「NHKホール」で、「バイエルン国立歌劇場」の日本公演においてであった。指揮者はヴォルフガング・サヴァリッシュである。

この頃になると、レーザーディスクやVHSビデオといった媒体を通じて、映像によるクラシック音楽体験も身近なものになっていた(まだDVDは出現していない)。バイロイト音楽祭の映像(ただしライヴではなくて、ゲネプロ等を録画したものと思われる)をレーザーディスク化したソフトが発売されたの際には、高価なので迷ったものだが、思い切って購入した。

今では、DVDやYouTubeで、いくらでも「指輪」全曲だって視聴することが可能であるので、当時のことを思うと、まさに隔世の感がある。

そういうわけで、ワーグナーの楽劇のCDもDVDも、今や選り取り見取りで、逆に選ぶのに困るほどであるが、やはり映像もセットであった方が、わかりやすい。ジェイムズ・レヴァインのMETのライヴ盤を紹介したのは、演出面もオーソドックスで安心して観ていられるからである。

「指輪」全曲を聴き通そうと思うと、今の僕の忍耐力だと、1日に1幕ずつくらいが限度である。したがって、トータル10日程度かかる計算になる。途中で息抜きも必要だから、まあ2週間、半月くらいかけるくらいの覚悟で丁度良いのかもしれない。

「指輪」以外の楽劇、「トリスタン」「マイスタージンガー」「パルシファル」も同様の基準で選択した。METの上演というのは、先走り過ぎず保守的・伝統的なものが多く、レヴァインの指揮もそれに適した穏健なものである。したがって、それを物足りないと感じる人もいるかもしれない。

バーンスタイン指揮の「トリスタン」は、演奏会形式で、しかも1回に1幕ずつという異色のやり方で上演された記録である。バーンスタインの指揮は、かなり異様なほどに遅いテンポである。僕が今まで聴いた「トリスタン」の中でも、間違いなく最遅バージョンになる。

それでも、聴いていると、だんだんと作品世界にのめり込んでしまうのである。ワーグナーの毒を堪能させてくれる。




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