日本の貧しさについて
日経新聞の記事によれば、日本人1人当たりGDPが、22年に韓国に、24年には台湾を下回ったという。円安・ドル高の影響や日本経済の低成長などが要因としてあげられている。
さらに読売新聞の記事では、23年の日本人1人当たりGDPは、ドル換算で3万3,849ドルで、OECD加盟国38ヶ国中22位となっている。これは先進7ヶ国(G7)中でも最下位である。
「失われた30年」と言われ、ずっと経済成長が滞ったままであるから、こういう結果になっても何ら不思議ではない。
『就職氷河期世代』によれば、「就職氷河期」に続く世代においても、依然として雇用が不安定で年収が低く、格差が解消しない状態が続いているという。
「就職氷河期」というのは、93年から04年に高校・大学を卒業して社会人になった世代のことである。生まれ年で言うならば、70年から86年生まれの人たちが該当する。
本書によれば、単に氷河期世代だけの問題ではなくて、70年生まれ以降の世代すべてが、それまでの世代に比べると非正規雇用の割合が増えて、低所得化が進み、未婚者の増加、出生率の低下といった傾向が認められることであるから、ある時期以降の日本人はそれまでの世代よりも総じて貧しくなっているということである。
70年生まれということは、今年54歳であり、86年生まれであっても、今年38歳である。決して若くはないし、既に中高年ということになる。そこから導き出される近い将来の日本は、年金だけでは生活できない単身高齢者たちが大きなウェイトを占めるようになるということであり、彼らが揃って生活保護を求めるようになれば、ますます日本は貧しい国になるであろう。
話はそれだけでは終わらない。
日本の教育制度は、中等教育までは世界的に見ても優れているが、高等教育となるとダメだということで定評がある。有名大学の学生であっても、大学入学までは目の色を変えて受験勉強をするのに、大学に合格してしまうと、途端にサボってしまい、4年間のモラトリアムを経て、大企業に就職してホワイトカラーになったら、それで人生の「勝ち組」だと言われて、ますます油断する。正社員になれば、年功序列、終身雇用で身分保障されるからである。僕らが若い頃も、今も、こうした図式は基本的に何も変わっていない。
しかしながら、AIやチャットGPTが発達した現在、何となくホワイトカラーになったような人間よりも、機械の方がよほど優秀なのは間違いない。
『ホワイトカラー消滅』によれば、間もなく、ひと握りの「ボス」以外のホワイトカラーはAIに代替されてしまうという。もちろん機械では代わりが務まらないような「ボス」は残るが、多くは必要ない。定型的な業務をただ言われるがままこなしているようなホワイトカラーは必要ない。
一方、少子高齢化による人手不足は深刻であることから、優秀で高付加価値な「エッセンシャルワーカー」は、むしろ今後もてはやされるという。いわば「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」になれれば、機械に代替されるしかないホワイトカラーよりも高い給与を得ることが可能となるのだが、そのためには、日本の教育制度も変わる必要があるし、個々のワーカーも付加価値のある人材になるための自己研鑽が必要である。いわば、「シン・学問のすすめ」とも言うべき、今の世の中で必要とされる「実学」を身につけなければならないということになる。
日本以外の国々においては、社会人になった瞬間から、労働市場で値段をつけられることに慣れているが、日本人は横並びの年功序列的な人事制度で甘やかされてきているので、そうしたシビアな競争には慣れていない。だが、今後はジョブ型、プロフェッショナル型の労働市場で競い合うことが必然となる。つまり、低所得者層だけでなく、「勝ち組」とされていた階層も、安閑とはしていられないということになる。
僕のような世代は、ギリギリ逃げ切ったかなということで、所詮は「他人事」という感じなのだが、現役世代は「勝ち組」も「負け組」もたいへんである。
ホワイトカラーから脱落してしまい、エッセンシャルワーカーとしてリスタートして、「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」として敗者復活できる人もいれば、うまくキャリアチェンジできないまま沈んでしまう人もいるのだろう。
逆に、もともと非正規雇用で「負け組」の烙印を押されてていたものの、そこから頭角を現して、同じく「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」として下剋上を果たせる人もいるのだろう。
考えようによっては、社会の流動性が大きくなって、面白い世の中になる可能性も感じられるのだが、そのためには、官民そろって意識改革を行ない、変化を厭わぬ世の中になる必要がある。