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「恥を知る」ということについて
自分が以前に書いた記事を見返していて、今の世の中のことを言い表しているようなものを見つけた。およそ2年前の記事である。
「恥を知る」とか、「名こそ惜しめよ」について書いた、2年前の記事をそのまま引用する。少々、長くなるが、ご容赦願いたい。
<R.ベネディクトが『菊と刀』 の中で、日本人特有の文化体系、行動様式として、恥をかかないとか、恥をかかせるとかいうように「恥」の道徳律が内面化されていることが、日本人の文化を特色づけているとして、これを「恥の文化」と呼んだ。
昨今の世の中を見ていると、恥を恥とも思わないような人物が少なくない。平気で嘘をつく人、言ったことに責任を取らない人、自分の立場を利用して不当な利益を得たり、他人を虐げても平気な人。
「恥を知る」というのは人として大切なことだと思うのだが、彼らはそんなことも教わらなかったのであろうか。あるいはエラくなると、そういう基本的なことも忘れてしまうのだろうか。
彼らに対して、「良く生きよ」とか「名こそ惜しめよ」と言ったところで、馬耳東風なのかもしれない。言うは易しである。実践するのは、なかなかに難しい。>
2年前の僕の頭の中にあった、「恥を恥とも思わないような人物」が誰のことかは、もはや思い出せない。
しかしながら、昨今の兵庫県知事をめぐる「百条委員会」での質疑応答を見ていると、上記の内容をそのまま繰り返しておきたくなる。
都合の悪いことは、「記憶にない」と言い、見解を問われると、「適切であったと認識している」と言う。のらりくらりと知事サイドにかわされている感じであり、「百条委員会」の方はちょっとツッコミ不足という印象が否めない。
「パワハラ」疑惑に関しては、業務の範囲内の適切な指導という認識だったと主張されると、裁判ではない以上、双方の見解の相違ということになってしまう。
「おねだり」については、窃盗、業務上横領といった観点で、もっと厳しく追及できそうな気がする。また公務員倫理法・倫理規程違反でも追及できそうな気がするのだが、どうなんだろうか。
明らかにシロクロが明白なのは、「公益通報者保護法」違反の部分であろう。山口利昭弁護士もコメントしていたとおり、明らかに同法に違反していたと思うし、知事だけでなく彼の側近(=茶坊主)も含めて、同法を理解していなかった、あるいは理解していながら無視していたと糾弾されても仕方がない。知事側の証人として出席していた弁護士は、明らかにアタフタした様子であった。知事サイドから相談を受けた当初は、こんな大事になるとは思っていなかったのであろう。
ちなみに、山口弁護士は企業法務の大家で、彼のブログについては、前々から愛読させてもらっている。
阪神とオリックスの優勝パレードの際の、「寄付金キックバック」問題についても、巷で報道されている情報が本当だとすれば、明らかな違法行為であり、パワハラとかおねだりよりも優先して解明を急ぐべきであろう。
ただ、いくら「百条委員会」を延々と続けたところで、知事というものは、県民から直接選ばれた立場であるので、辞めさせることは容易ではない。
したがって、県民の心証が悪化している今のタイミングで、県議会は不信任決議案を可決させるべきだと思うのだが、ニュースを見ていると、まずは辞職勧告をするということらしい。県会議員たちとしては、議会を解散されて、自分たちが選挙で落選するのをおそれているのだろう。
しかしながら、これだけ全国区で注目を集めてしまった以上、知事だけでなく、県議会の方もスタンスが問われていると考えた方が良い。自分たちが失職するかもしれないから、腰が引けていると思われるようでは「恥だ」と考えて、知事と刺し違えるくらいの覚悟を決めた方が良い。
斎藤知事の威光を笠に着て、やりたい放題していた、片山元副知事は、さっさと退職しており、噂によれば、1,800万円の退職金を受け取っているという。斎藤知事も、来年7月までの任期を務め上げると、2,000万円の退職金をもらえるのだそうである。
これだけ満身創痍というか、ボロボロになっていても、地位にしがみついているのには、理由があるのだろうと思う。
前の記事にも書いたが、まだ46歳であり、県知事を辞めたら、長い長い残りの人生をどうやって生活するのか、キャリアプランを立てようがないだろう。
住宅ローンの残債もあるかもしれないし、子どももまだ小さいのかもしれない。これから先もまだまだおカネがかかる時期であろう。どれだけみっともなくても、少しでも多くのおカネをもらってから辞めたいと思うのは無理からぬ話である。
政治家としての生命はこれで断たれることになるし、テレビやマスコミも相手にはしないだろう。古巣の総務省だってさすがに就職先の世話などしてくれないだろう。
あとは回顧録か手記でも発表するしかないような気がするが、彼のことだから、仮に本を書いたとしても、「自分は悪くなかった」「悪いのは側近たち」といった具合に、自己正当化に終始するに違いない。そんな本は、たぶんどこの出版社も出そうとは思わないだろう。
それでも、「しくじり先生 俺みたいになるな!!」くらいであれば、出演依頼があるかもしれないが、きっとここでも、「自分は悪くなかった」と言い募るばかりで、反省の弁など期待できないだろう。それと、専任スタイリストとメイク担当、自分専用の楽屋を用意しろとか要求が面倒くさそうな気がする。
しかしながら、斎藤知事が繰り返し、壊れたテープレコーダーみたいに主張するとおり、「自分は悪くなかった」と本当に思っているのであれば、起死回生のアクションとして、不信任決議案を受けて議会を解散すると同時に自らも辞職して、知事選と県議選挙を同時に実施するというのはあっても良いと思う。
つまり、県民の民意に問うということである。ここまで印象が悪くなってしまった以上、斎藤知事が再任される可能性は限りなくゼロに近いと思うが、改革派としての実績をアピールすることで、もし再任されたとなれば、それはそれで県民の強いバックアップが得られたということである。
まあ、あとはそこまで腹を括る胆力があるかどうかであろう。