保護司について
保護司とは、Wikipediaによれば、<法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする>ものである。
今回、保護観察付き執行猶予期間中の人物が、担当の保護司を殺害した疑いで逮捕されるという事件が起きた。
実は、僕の家族の1人も、保護司を務めている。したがって、今回のような事件は、まったく他人事とは思えない。
保護司を引き受けている(引き受けさせられている)人というのは、<人格及び行動について、社会的信望を有すること。職務の遂行に必要な熱意及び時間的余裕を有すること。生活が安定していること。健康で活動力を有すること>といった条件をクリアした人ということになる。
要するに、人物的に問題がなくて、生活面や健康面も心配がなくて、時間の自由が利くような、各地域の篤志家みたいな人たちが多い。
非常勤の国家公務員ということになるのだが、そもそも無報酬である。正確には、引き受けた案件によって、月額数千円程度の実費弁償金が支給されるが、職責からすれば、まったく割に合わないような金額である。
言い方が悪いかもしれないが、人からモノを頼まれたら断れないような人たちの善意につけ込んで、本来であれば、国が果たななければならない重大な仕事を、タダみたいな報酬で押しつけているような制度である。
こういうのも、一種の「やりがい搾取」になるのであろう。首謀者が国であるだけに、余計にタチが悪い。
誰にでも任せられる仕事ではないので、それなりに厳正なる人選は行なわれているようである。しかしながら、何度も言うが、職責が重大なわりには、ちっとも報われない仕事だから、なり手は少なく、着実に高齢化が進んでいる。しかも、04年以降、76歳以上に対しては再委嘱しないということになっているので、今後、大量に退任者が出る見込みである。平均年齢は実に64.7歳(15年1月)であるという。公募制にする案も検討されているとのことだが、いまだ実施されてはいない。このまま放置していたら、いずれ保護司がいなくなってしまう可能性だってある。
じゃあ、どうするんだという話であるが、まずは、職責に見合った正当な対価を払うというのは、資本主義社会においては当たり前のことであろう。
本件に限らず、何事に関しても言えることだが、現代社会においては、すべての商品やサービスに値段がついているものである。他人に何かをやってもらおうと思えば、難易度や責任の度合い、リスク等に見合った適正な報酬を支払わないことには、いずれは担い手がいなくなってしまう。少なくとも、期待するスペックを備えた優れた担い手を集めるこをは難しくなる。
国会議員に領収書のいらない通信費を毎月100万円も支払う財政的な余裕があるのであれば、非常勤の国家公務員たる保護司に対してまともな報酬を支払うくらいのことは是非ともやってもらいたい。
わが国の財政というのは、どうもおカネがないないと言いつつ、つまらないところに浪費して、本来負担すべき費用をケチるような、しみったれた性分が抜けきらないようである。介護とか保育といった業界が、慢性的に人手不足だと言われながらも、低賃金に抑えられているのも同じことである。国として制度を見直す気があるかないかの問題である。「官製ワーキングプア」と言っても良い。保護司に関しても同じようなことが言えそうである。
報酬を高くしたら、保護司としての職責を果たす能力や意識もない人材が流入してしまうかもしれないが、現状のように高齢化により担い手がどんどん減少している状況を打開するには、まずはなり手を増やさないとどうしようもない。質の担保については、追々、考えることである。任期期間中の実績について、さまざまな指標に基づいて評価するような制度を導入して、不適格者は再委嘱しないとか、何か問題があれば任期途中でも解職することができるようにするとか、やり方はいくらでもある。
知り合いの保護司に起きた話であるが、逆恨みされて、自宅に放火されたことがあったらしい。今回の事件にも言えることだが、職務遂行上、いろいろな人から恨まれたり、誤解されて、保護司個人に危害が及ぶ可能性は常にある。したがって、保護司を守る対策は是非とも講じてもらいたい。
基本的に、保護司の自宅に元犯罪者を招き入れるというのは危険である。保護司の自宅住所、勤務先等の個人情報は開示しないとか、面談する場所は、対象者の自宅、もしくは公的施設に限定するといった対策は必要であろう。
また職務遂行上、保護司本人や家族に対して危害を加えられたりしたことによる被害については、国が責任をもって賠償するのは当然であろう。
何度も言うが、本来、国が果たすべき役割を、美辞麗句によって、善意ある人たちに押しつけているのが、現行の保護司制度である。そもそも、制度設計が誤りなのである。今回の事件を教訓として、早急に制度そのものを見直した方が良いと思う。