「危機管理」について
安倍元首相が狙撃された事件によって、警察庁長官と奈良県警のトップが引責辞任をした。
まあ、仕方ないのかなというのが、国民の大多数の反応であろう。僕もそう思う。
危機管理というのは、何事も起きなくて当たり前であり、何か起きてしまったら即アウトという、いわば、かなりな「無理ゲー」である。
何事も起きないようにしようと思えば、あらゆるリスクを細大漏らさず洗い出して、それらすべてに対して万全の対策を取るしかないが、実際問題としては、予算や人員、準備期間等の都合もあるので、優先順位を設けつつ、ある程度の割り切りも迫られることになる。
選挙の応援演説なんて、選挙期間中はあちこちでやっているんだろうし、急なスケジュール変更とか無茶な注文とかもあるだろう。あまりに厳重な警戒をやりすぎると、候補者やその支持者から苦情が来る。
現場の警察官としては、すべての注文や要望に真面目に対応していたら、身が持たない。したがって、「まあ、これくらいやっておけば、いいか」といった感じになってしまうのは、致し方ない。
もちろん今回の場合、元首相であり、かなりの大物である。奈良県警としてもそれなりに真面目に準備もしたのであろうが、それでも人員やら準備期間の制約は否めない。
で、今回の事件が発生してしまった。いろいろな意味でお気の毒としか言いようがない。
奈良県警のトップは警備畑のプロだったらしいが、それでもこういう事態が起きてしまう。神さまではないのだから起きるときは起きる。それ自体はどうしようもないと思う。でも、1つだけ突っ込みたくなったのは、今回の警備計画は現場の担当部門が策定したものを、本部長は書面を見ただけで承認をしたということである。キャリア警察官というのは、2年か3年ごとに転勤を繰り返す。今回の事件が発生した当時の県警本部長は福岡出身とのことである。現場の土地勘が果たしてどこまであったんだろうかと少し疑問に思った。大和西大寺駅周辺の地形や道路、人の流れ等が具体的に頭の中で描けるかどうかの違いは大きい。
もちろん多忙な県警トップが、日々、発生する案件の1つ1つに細部まで関与することはできない。ある程度は担当部門任せとなることは仕方がない。信じて任せるというのもトップの仕事だからである。
しかし、重要そうな案件とそうでない案件を嗅ぎ分けるのも、組織の管理者にとっては大切なセンスの1つである。全部の案件に対して同じ対応を取ることは不可能であるが、せめて重要そうな案件くらいは自分の目で細部に至るまでいろいろと確認してから判断するといった「メリハリ」はあってもよかったのかなと、(もちろん所詮は後講釈であるが)思った次第である。今回のケースであれば、必要ならば現地に臨場して実際に自分の目で駅周辺を確認しながら警備計画をヒアリングするくらいのことをやっていたならば、そこは警備のプロなんだし、警備のための人員配置の盲点くらいは気がついたかもしれず、補強や改善を指示できたかもしれない。
「ハンズオン」のリーダー、「ハンズオフ」のリーダーというものがある。定義はいろいろだが、ざっくりと言えば、現場で率先垂範、何事も自分でやらないと気が済まないのが前者、任せることは任せて、大所高所から全体を統率するのが後者ということか。大きな組織であればあるほど、リーダーは大部分において「ハンズオフ」にならざるを得ないが、ここぞという時に「ハンズオン」に切り替えて、トップ自らが動くことになる。
「オン」と「オフ」のスイッチをどこで切り替えるかは、リーダーが自分で判断するしかない。「重要だし、これは部下に任せられない」と思う切り替えポイントをどこに設定するかということである。組織の状況にもよるし、その時々の優先順位にもよる。
「オン」と「オフ」の切り替えは、「平時」と「有事」の切り替えと言い換えることもできる。
今回の事件に関して言えば、奈良県警のトップは、「ハンズオン」のリーダーシップを発揮するべきタイミングを見誤ってしまったところに最大のミスがあったのかなという気がする。
必要なタイミングで、「ハンズオン」に切り替えるためには、平時は「ハンズオフ」でなければならない。やる必要のないことはやらないと決めて、手を空けておかなければならない。ふだんから日常業務に埋没しているようなリーダー、箸の上げ下ろしまで指示しないと気が済まないマイクロマネジメント好きなリーダーは、「オン」「オフ」の切り替えもできないし、「メリハリ」もつけられない。
したがって、多忙自慢をするようなリーダーというものは、所詮は「平時」の能吏ではあっても、いざという時、つまり「有事」のリーダーとしては頼りにならないものである。