銀行の未来について
銀行については、今までもいろいろと記事を書いている。これでも元銀行員だったからであるが、基本的には、もはや銀行は「オワコン」だと思っているし、将来有望な産業だとは思っていない。
願わくば、僕の寿命がある間、無事に企業年金を払い続けてもらえれば、後はどうなろうと知ったことではない。
それでもメガバンク+αくらいは生き残るのかもしれないが、地銀はダメだろう。意外と信金・信組はしぶといような気がするが、それとて先々はどうかわからない。ゆうちょ銀行とか、JAバンクなんてのもある。つまるところ、日本全体として、銀行もどき、エセ銀行的な業態も含めると、オーバーバンキングなのである。人口が減る中、こんなに金融機関はいらない。
高度成長期は庶民の貯蓄を集めては、そうした資金を企業に融資するという間接金融の役割が重要な意味を持っていたのであろうが、今や預金を集めても、適当な融資先もない。一般庶民が相変わらず貯蓄するから金融機関が必要なのか、金融機関がたくさんあるから庶民が貯蓄するのか、どちらが正しいのかは知らない。いずれにせよ、金融機関は多すぎる。もっと少なくても構わない。
金融機関の支店や窓口にいる担当者の仕事は、大半は機械で代替可能である。ただし、すべてなくなるわけではない。高付加価値な顧客(=儲かるお客さん)のところには、優先的に優秀な担当者を配置するだろうが、マス顧客向けのチャネルはATMとネット主体ということになる。そういうメリハリの利いた配置転換が、今後、ドラスティックに推進されることになる。定型的な事務しかできない人材はあまり必要ない。少なくとも正社員としては必要ない。大規模なリストラも起きるだろう。
先ほど、「メガバンク+α」と書いたが、「+α」は、りそな銀行だと思っている。というか、メガ3行のうち、システム障害ばかり起こしている青色の銀行が「+α」になって、りそな銀行がメガになっても不思議ではないと思っている。実のところ、僕は隠れ「りそなファン」なのである。
りそなのどこが良いのか。変なプライドがないところである。メガバンクはそれぞれプライドがあって、いろいろな変革の邪魔をしている。所詮、日本の銀行など、世界的に見れば二流か三流なんだし、IT化にも出遅れているし、プライドなどあっても邪魔なだけであるが、かつての栄光を忘れられないのだ。
りそなは、もともとの出自が、大和銀行、埼玉銀行、協和銀行等々、都市銀行の下位の方ばかりである。不良債権を抱えて実質的な経営破綻も経験している。
JR東日本出身の細谷英二さんを会長に迎えた頃から、窓口の営業時間の延長、待ち時間の短縮等の取り組みを開始、サービス業としての品質向上に成果が認められるようになった。細谷さんが着任当初は、「鉄道マンに銀行経営ができるのか」と経営手腕を疑問視する声もあったようだが、鉄道も銀行も社会インフラであるし、巨大な装置産業である点は大差ない。むしろ、「銀行員の常識は、世間の非常識」であり、純血主義で凝り固まった他行の経営トップよりも、よほど客観的に銀行のダメさ加減がよく見えていたに違いない。
日本の銀行は、長らく「護送船団方式」と呼ばれて、いちばん出来の悪いところが潰れないように全体の統制を図っていたが、もちろん今やそういう時代ではない。にもかかわらず、メガも含めて、お上のご意向を忖度することばかりに長けて、自分たちであまりモノを考えない。
でも、お上(=金融庁)だって、迷走しているし、たいしてアテにもならない。スルガ銀行など、一時期は、金融庁が誉めまくっていたこともあった。シリコンバレーバンク(SVB)だって、日本の金融機関のロールモデル的な好意的なコメントをしていたのではなかったか(あまり記憶が定かではないが)。所詮はその程度の見識なのである。あまり頼りにしない方が良い。
要するに、当たり前の話であるが、他産業と同様に、あまりお上の保護をアテにすることなく、優勝劣敗の健全な競争環境でライバルと競い合い、ダメなところは淘汰される、そういうバトルロイヤルを繰り広げるべき時期がようやく金融業界にも到来したのだと考えるべきであろう。
そうした競争を繰り広げるうちに、競争力の弱い銀行、競争力の弱い業態は淘汰されていく。あと10年くらいで地銀は半減、もしかしたら地銀という業態そのものがなくなっているかもしれない。「メガバンク+α」も、もしかしたら、今と顔ぶれが入れ替わっているのかもしれない。