映画「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」について
11月23日(木)から上映されている映画。
どうしても観たくて仕方がなかったというわけでもないのだが、先週くらいに前作がTV放映されていたので、天王寺まで買い物に来た後の空き時間を利用して、何となく観てしまった。上映初日だったのも、後から知ったくらいである。
それにしても、「シニア料金」という制度は、誠にすばらしい。恥ずかしながら、ごく最近まで、こんなありがたい制度があるとは知らず、定価料金を支払っていたのだ。バカである。
料金1,200円ならば、どんなにしょうもない内容の映画でも、諦めがつくというものであろう。
結論としては、本作に関しては、「観て損をした」とは思わなかった。あくまで架空の作品世界内のファンタジーとしてではあるが、地元ネタ、自虐ネタが満載のわりに、最終的に誰も傷つく人がいないように配慮されており、わりと楽しむことができた。
前作にも共通して言えることであるが、人というものは、何かしらの理由に基づいて、マウントを取ったり、取られたりするものである。出身地や住んでいる場所に基づいて、バカにしたり、バカにされたりというのは、その典型であろう。埼玉、千葉、茨城といった、首都圏でありながら、東京ではないエリアというのは、東京人からディスられる対象になりやすい。
僕は、さいたま市浦和区(旧浦和市)に、2年ほど住んでいたことがあるが、とても便利で住み心地の良いところであった。僕は、過去に東京にも住んだことがあるし、横浜にも住んだことがあるが、これら「都会指数」が高いとされる都市と比較しても、決して卑下する必要などない魅力的な街だと思うのだが、それでも「ダサい」などという差別用語(?)が、既に日常用語と化してしまっているのは、本当に理不尽なことだと思う。
だが、先ほども書いたように、些細な「差異」を見つけては、マウントを取ろうとするような人は、一定数必ず存在するものである。
東京都民であっても、23区内とそれ以外の郊外、23区内でも「都会指数」の高い中心部とそれ以外といった具合に、マウント合戦は果てしなく続く。神奈川県も同様である。横浜市民たちは、横浜市とそれ以外を一緒にするなと言うし、同じ横浜市内であっても、西区・中区以外は横浜ではないと真顔で主張する人は少なくない。
京都も同じである。本作に登場する京都市長(川崎麻世)は、「洛中」、つまり、京都御所を中心とする、北は北王路通、南は九条通までのエリアしか京都として認めないと言っていたが、さらに限定的な「田の字」エリア、つまり、四条烏丸交差点を中心として、北は御池通、東は河原町通、南は五条通、西は堀川通に囲まれた京都の中心部のみが真の京都であるという意見も根強い。
本作に登場する大阪府知事(片岡愛之助)は、「古墳しかない」堺市出身だということで、妻である神戸市長(藤原紀香)にディスられていたように、大阪府内でも北摂と南部では根深い対立構造があるし、大阪市内においても、所得格差、生活保護受給率等によって、西成区を筆頭に、一部エリアは本当に迫害されている。「都構想」が頓挫したのも、そうした住民間の格差意識が根底にある。
兵庫県も、阪神間(神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市に代表される「ハイソ」と言われるエリア)は、それ以外の地域とは、一緒にされたくないだろうし、同じ阪神間であっても、阪急神戸線沿線の山の手住民などは、阪神電車が走っている沿岸部の住民を遥か格下に見ている。
本作でもネタにされていたように、さいたま市であっても、浦和と大宮の争いは今後もたぶん永久に決着がつきそうもない。
要するに、キリがないのだ。
「秘密のケンミンSHOW」という番組がある。いろいろな都道府県に独特な行事とか習慣、グルメ、県民性等を紹介する番組である。日本は狭いと言われるが、食文化だけを取り上げても、多種多様で興味が尽きない。
つまり、いろいろな地方があって、それぞれの独自性を競っているから、面白いのである。本作のように、「日本全土が大阪になってしまう」ような事態となれば、とても退屈で面白みのない国になってしまうであろう。同様に、麻実麗や白鵬堂百美らが推進する「日本埼玉化計画」だって、やはり困るのだ。いくら特筆すべき特徴がないことが埼玉の特徴であるとはいえ、日本全土を同じカラーで塗りつぶすような企ては、やはり避けるべきであろう。
前作の埼玉、千葉、茨城のポジションが、本作の和歌山、奈良、滋賀であり、大阪府、神戸市、京都市に見下される設定になっている。
もちろん、映画の中のシャレである。正直なところ、近畿圏とはいえ、和歌山はとにかく遠いし、奈良は寺社仏閣ばかりで学校の遠足で行く場所という感じしかないし、滋賀は琵琶湖と鮒寿司くらいしか思いつかない。京阪神の住民からすれば、決して彼らを見下しているつもりはなくて、知っているようで実はあまり知らない場所というのが正直なところであろう。
映画の製作にあたっては、「ここまでは大丈夫」「ここから先はダメ」といった具合に、慎重にネタの選別作業を行ない、誰かが本当に傷つくような表現にならないように配慮されたという。コンプライアンスが重視される昨今の世の中においては、それは当然の話である。ファンタジーとはいえ、あくまで映画内のシャレとして楽しめる範囲でなければ、文字どおり、シャレにならなくなってしまう。
最後に1つだけ突っ込ませてもらうが、大阪府知事が、「甲子園に放り込んどけ!」と怒号を飛ばす場面があったが、甲子園の所在地は、兵庫県西宮市であって大阪府下ではない。それとも、和歌山県の白浜と同様に、西宮市の甲子園も既に大阪府の植民地になってしまっているということであろうか。映画の世界の話だから、どうでも良いのだが、元兵庫県民(阪神間出身)としては、ちょっと気になるところであった。
あるいは、和歌山は大阪の植民地になっても構わないけれども、西宮は困ると考えること自体が、知らず知らずのうちに、兵庫県にある西宮市 > 和歌山県の白浜、という具合に、僕が考えてしまっていたということの何よりの証拠になるのだろうか。
いずれにせよ、こうした無意識のうちのマウント合戦こそが、本作および前作でおちょくられている、我々全員に共通した愚かな行為なのかもしれない。