司馬遼太郎について
今年23年は池波正太郎、司馬遼太郎の2人の生誕100周年にあたるのだという。
僕個人の趣味・嗜好の話で恐縮であるが、池波正太郎は好きだが、司馬遼太郎はあまり好きではない。
いや。もっと正確に言うならば、司馬遼太郎は若い頃は好きだったのだが、今はあまり好きではないというべきであろう。
人間の好みというものは、年を重ねると変わってくるものである。渡部昇一の『知的生活の方法』にも書いてあったが、再読、再々読を繰り返していくうちに、自分なりの趣味が形成され、自分なりの古典とも言うべき作品が確立されていくものである。そういう意味で、僕にとっては、池波作品は僕にとっての古典となったが、司馬作品はそうはならなかったということである。
この話は前にも書いた。決して司馬遼太郎をディスっているわけではない。単に今の僕にはちょっと合わない、もっと正確に言えば、長い時間を経て、自分の趣味にだんだんと合わなくなってしまったというだけの話である。他の人が違う意見を持ったとしても、それはそれで一向に構わない。読書の趣味など、唯一無二な正解が存在するものではないからである。
もっとも、司馬遼太郎の作品を熱心に読んでいた時期もあった。中学生から大学生を経て若手社会人の頃までの期間である。最初は父親の書棚に司馬遼太郎の作品を見つけて読むようになったのがキッカケである。『国盗り物語』、『関ケ原』、『城塞』といった戦国物からスタートして、『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、『花神』、『世に棲む日日』、『坂の上の雲』といった幕末から明治にかけての一連の作品、『空海の風景』、『項羽と劉邦』、それに『人間の集団について』、『街道をゆく』、『この国のかたち』等のエッセイや紀行文等々、代表的な作品はだいたい読んでいると思う。
司馬遼太郎の作品の醍醐味は、ビルの屋上から地上を俯瞰的に眺めるような気分にさせてくれるところにある。ご本人も、「私の小説作法」というエッセイに似たようなことを書いていたと思う。で、高いところから見下ろすように、「要するに、こういうことである」ときっぱりと断定的に、物事を単純化して、わかりやすく解説をしてくれるので、過去の歴史的な出来事や人物を「わかった」ような気持ちにさせてくれる。
これはなかなか気分が良い。なんだか自分が少し賢くなったような気にさせてくれるからである。まだ社会経験もあまり十分ではない若造にとっては、中毒性を持った薬物のように高揚感をもたらしてくれる。だから、若い頃の僕は司馬作品を熱心に読んでいたのだと思う。
しかしながら、冷静になって考えれば、単に司馬遼太郎のフィルターを通した彼の「私見」を押しつけられていただけに過ぎないと、今ならば思う。一種の洗脳である。高いところから眺めるようなストーリー展開を身上とするので、個々の人物の中身にまで入り込むことはない。外観や出来事を淡々と語るだけなので、人物造形は総じて表層的なものにとどまる。たぶん司馬自身は登場人物の中身や心象風景にはあまり興味がないのだろう。「そんなこと、後世の我々にわかるはずがない」と考えていたのかもしれない。
「余談だが」と、物語の途中で著者がたびたび登場して、物語の展開とはあまり関係のないエピソードやプチ情報みたいなものが紹介されるのも司馬作品の特徴の1つであるが、そういう点からも、司馬は歴史上の人物を「ネタ」にして、結局のところは、自分自身の見解を語りたい人なんだろうと思う。意地悪な言い方をするならば、自分のことが大好きで、自分語りが始まると止まらなくなるような饒舌な人物が、自分語りの延長線上で書いた作品といった印象が、司馬作品にはある。
若い頃は好きだったのに、以上のような、断定的で、単純化されたわかりやすい解説が、結局は司馬自身の見解の押しつけにすぎないと思うようになってしまうと、その「臭み」が鼻につくようになり、だんだんと司馬作品を敬遠するようになってしまったというのが、僕の個人的な体験である。
加えて、いわゆる「司馬史観」なるものも、何やら表層的で一面的すぎると感じられるようになったことも、司馬作品に共感しづらくなったことと関係がある。
司馬が大日本帝国の軍部について語る際に、明治期の軍人を理想化して、昭和の軍人を極端に暗愚視する点については、いろいろな人が指摘しているところであるが、実際には単純な二項対立のように語るべき問題ではないと思う。昭和の軍人はたしかにポンコツだったと思うが、旧帝国軍人たちがポンコツになる萌芽は既に日露戦争の頃にも見られることであるし、日露戦争に勝てたのも、偶然と僥倖がたまたま幾つも重なっただけにすぎない。明治と昭和はシームレスに繋がっているのだ。司馬自身が大戦末期に軍人として酷い目に遭ったからか、たぶん個人的な恨みつらみが目を曇らせているのだろう。
加えて、所詮は大衆向けの娯楽小説に過ぎないのに、読者が多く影響力が絶大なために、作品に描かれている内容を史実と受け取るような読者が多いことも気になる。もっとも、これは読者が悪いのであって、司馬の責任とは言えない。しかしながら、司馬の生前からそうした風潮が既にあったのを意図的に看過していたのだとすれば、司馬にも責任の一端はあると言えなくもないのだが。
司馬は、96年に死去しているので、既に死後四半世紀以上が経過している。それでも書店に行けば、大量に司馬作品が並べてあるので、たぶん今でも大勢の読者に支持されているのであろう。だが、あと10年、20年と経過するうちに、少しずつ風化し、忘れられていくような気がしてならない。
一方で、90年に死去した池波正太郎の作品については、司馬作品よりも生命力を保ちそうな気がする。それは、池波作品の登場人物はどれも複雑で陰影が濃くて、一面的な割り切りができないことと関係がある。それに、池波は司馬のように自分自身の意見を滔々と語るほどに野暮ではない。さらに言えば、意見や主張というものは多くの場合、やがて陳腐化する。
池波作品については、次の記事で書くこととしたい。