「適材適所」について
長年、サラリーマンをやっていると、だんだんとわかることであるが、管理職に向いている人、向いていない人がある。能力の優劣の問題ではない。得手不得手というか、それぞれの人材の持ち味の問題なのである。
しかしながら、まだまだ年功序列的な人事制度が主流の日本企業の場合、ある程度の年次になると、本人の適性や希望にかかわらず、管理職的なポジションに就けられる。キャリアパスが単線的に設計されており、ずっと平社員のままだと昇給もさせられず、周囲とバランスがとりにくくなる。
キャリアパスを複線的に設計して、本人の適性や希望に基づいて、いろいろな働き方を選択できるようにすれば、この辺りの問題は解決する。
管理職になり、いずれは会社の経営に参画したいと思っている人には、そういうキャリアパスを用意して、若い頃から、いろいろなポジションの経験を積ませて、適任者を絞り込んでいく。
逆に管理職にはなりたくないが、ずっと同じ仕事でスペシャルな仕事をきわめたいという人には、そういうキャリアパスを用意する。営業職などは、わかりやすい。高い実績を上げることで、インセンティブを付与すれば、管理職にならなくても上司よりも高い給料を貰えるようにすればよい。生命保険の外務員のおばちゃんの中には支社長よりも高給取りがいくらでもいる。同様に経理のプロ、人事のプロ、クリエイティブのプロとかもあっていい。
勤務地も選択できるようにすればいい。管理職として会社の枢要なポジションに登用されることを希望する人は、会社の発令次第で全国(海外も含めて)どこででも勤務する覚悟を持ってもらう必要があるが、そうでなければ、基本は地域限定職ということで、隔地間転勤は免除される。
そもそも正社員として同じ会社に縛られる働き方ばかりが選択肢とは思わない。正社員ではなくフリーランスになって、いろいろな会社から業務を受託する方が自分の専門性を活かせると考える人だっているだろう。
コロナ渦以降、働き方改革にもっともっとドライブがかかるかなあと思っていたのであるが、意外と動きが鈍いのが予想外であった。
欧米だと、管理職と平社員とでは最初から採用の入り口が異なるという。平社員が管理職になりたいと思えば、同じ会社か他社の管理職ポストの募集にエントリーして登用されるしかない。
オーケストラのコンサートマスターと平楽員とでは最初から募集窓口も選考基準も異なるのが普通である。
そもそも冒頭に書いたとおり、管理職に向いている人もいれば、向いていない人もいる。サッカー監督は、日本だと元選手といった経歴の人が多いようだが、海外の有名監督にも選手経験が皆無かそれに近い人は多い。ジョゼ・モウリーニョ、ラファエル・ベニテス、アンドレ・ビラス・ボアス等々。たぶん他にもたくさんいるはずである。名選手は必ずしも名監督にあらずなのである。
なぜこういうことを書くかというと、管理職にたいして向いていない人、あるいは管理職の仕事にあまり興味や情熱を持てない人の配下で仕事をしなければならない部下が気の毒だからである。
すぐれた管理者が組織を束ねた場合、1+1+1は3ではなく、4にも5にも、あるいはそれ以上にもなり得る。化学反応が起きるのだ。それとは逆に、メンバーの戦力の単純な足し算よりもパフォーマンスが下回るケースだってあり得る。それくらいに管理職の役割というのは重要である。
大企業と異なり、「のりしろ」の乏しい中小企業の場合、そもそも管理職の適性を有する人材自体が乏しい。なのに伝統的企業を模倣したような人事制度を導入して、部長、室長、マネージャー、リーダー等々、いろいろと管理職的なポストばかり増やしても仕方がないし、組織としての生産性を阻害することになる。
組織はできるだけフラットにするととともに、キャリアパスは単線ではなく複線、いろいろな選択肢を許容するような、いわば融通のきく、もっと言えば適当で何でもアリな制度にしておいた方が、何かと便利だし、これからの世の中に対応できるように思える。