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映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」について

「インディ・ジョーンズ」シリーズの第5作となる、「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を観た。

このシリーズの過去作はすべて観ている。映画として一番よくできているのは、やはり最初の「失われた聖櫃」であろう。僕個人の好みでは、「失われた聖櫃」と「最後の聖戦」が好きで、「魔宮の伝説」と「クリスタル・スカルの王国」はちょっと微妙な感じである。いくら娯楽映画とはいえ、墜落する飛行機からゴムボートで脱出してみたり、冷蔵庫の中に避難して核爆発から生還したりと、いくらなんでも「これは無理でしょ」と思うような設定が多すぎて、あまり楽しめなかったということもある。

で、今回の第5作であるが、ハリソン・フォードの年齢の問題もあるし、今作がシリーズの大団円となることを意図してつくられた映画であることは明らかである。そういう文脈において、作品全体を通して描かれているのは、「時代は変わってしまった」ということと、「インディ・ジョーンズも年老いてしまった」ということである。

時代設定は1969年とある。前作に登場した息子は、ベトナム戦争で戦死してしまっており、そのことが原因で妻のマリオンとも熟年離婚に向けて協議中。独居老人のインディは、小汚いアパートでひとり寂しく荒んだ生活を送っている。世の中は、まさにアポロ11号が月に着陸し、科学技術がもてはやされている時代である。辛気臭い考古学の授業など聴講する学生はもはや絶滅寸前であり、老インディもまさに定年を迎えて、公私とも寂しい境遇に置かれていることがわかる。

旧作シリーズで冒険を繰り広げていた頃の格好良いインディを知る人の多くは既に死んでしまったか、少なくとも彼の身の回りからは去っており、彼自身が忘れ去られた骨董品のような存在になってしまっているのだ。作品冒頭部分の大戦末期頃の大活劇シーンとの対比が少々痛ましい。

映画のストーリー自体はここから急展開を遂げる。冒頭場面で偶然に手に入れた「アンティキティラのダイヤル」を旧友の娘に奪われ、それを取り返したかと思ったら、旧ナチスの残党に奪い返されたり、ダイヤルの残り半分の行方を求めてエーゲ海の海底に潜ったり、シチリア島の洞窟にあるアルキメデスの墓を発掘したりと、いつもながらの冒険活劇のハラハラドキドキが続くことになる。旧4作品はいずれも2時間前後くらいの長さであるが、本作は2時間半ほどで、シリーズ中でも最も長尺の作品になるのだが、場面展開が目まぐるしく、あまりダレる場面もなく退屈することはない。

しかしながら、ハリソン・フォード=インディの年齢問題は如何ともしがたく、旧作に比べると、本作のインディはあまりアクティブとは言えない。80歳の年齢(作中のインディの年齢設定は70歳)としては随分とがんばっているのだが、それでもやはり限界があるのは否めない。作中でも、すっかり年を取って、カラダ中もうボロボロだとインディが愚痴を言う場面があったかと思う。アクション面でのインディの負担をシェアしているのだろうが、若いヘレナとテディが活躍する場面が多かった。今作でのインディは、まさに「最後の聖戦」における父親役のショーン・コネリーの立ち位置であり、ヘレナがかつてのインディの役割なのだと思えば、納得がいくような気がする。ちなみに「最後の聖戦」当時のショーン・コネリーは御年59歳であったことを考えれば、80歳のハリソン・フォードは十分すぎるくらいに健闘しているのは間違いない。

ストーリーの展開の中で注文をつけるならば、モロッコ市街でのカーチェイスの場面はやや冗長で、もう少しコンパクトでも良かった。ヘレナの元婚約者は登場させる必要はなかったように思った。逆に、シチリア島のアルキメデスの墓は、行き着くまではそこそこ手間取っていたのに、戻って来る時はやたらスピーディだったり、同様に、時空の隙間をくぐり抜けて2,000年前に戻るのはわりと時間をかけていたのに、現代に戻る際はシーンの切り替えで完了していたりと、なにぶんにも映画の尺の問題もあるのだろうが、場面展開が少々ご都合主義的であるとの印象を持ったのは僕だけだったのだろうか。さらに言えば、ヘレナにぶん殴られて気絶したインディが次に目を覚ましたら、アパートのベッドに寝かされていたというのは、いくらなんでも寝すぎである。

もっと解せないのは、登場人物のキャラ変である。ヘレナは旧友の娘とはいえ、もともとはカネ儲けのために盗品を違法オークションで売り飛ばすようなワルなのに、途中からインディを助けるイイ奴キャラになっていたのは少し無理がある。マリオンも同様である。息子を失って、離婚協議をしていたにもかかわらず、ヘレナから連絡があったくらいで、いとも簡単にインディとの仲が修復するものであろうか。この辺もいくらエンタメ映画とはいえ、少々都合が良すぎないか。

さらに言えば、インディは殺人事件の容疑者として指名手配をされていたはずなのに、眠りから覚めた時点では、すっかり解決していたような雰囲気なのも不可解である。そもそも指名手配犯が簡単に飛行機に乗ってモロッコまで行けるものだろうか。このあたりは突っ込んでも仕方がないのかもしれないのだが……。

いずれにせよ、年老いたインディが老骨に鞭を打つようにしてやり遂げた最後の冒険が本作である以上、明らかに「もう次はない、無理」という感じである。今度こそ、大学からも冒険からも引退して、マリオンと余生を楽しむことになるのだろうが、ベランダに干していた帽子(フェードラ帽)をラストシーンで取り込んだのは、「まだまだ生涯現役」を意味するようにも思えるのだが如何なものか。まあ、年齢を考えれば、次作に登場する可能性は限りなくゼロのような気がするし、ハリソン・フォード以外のインディを見たいとは思わない。

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