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リーダーについて
自民党の総裁選挙が終わり、石破茂が次期総裁に選ばれた。
僕は、今回の9人の候補者の中では、高市早苗が適任者ではないかと思っていた。
理由はシンプルである。
話が明快で、やりたいこと、考え方を自分の言葉で簡潔・明瞭に説明でき、今までの日本の政治家には少ないタイプだと思ったからである。
他の人たちは、申し訳ないが、何をしたいのか、まったく不明瞭である。カンペを読まないと、まともに喋れないようなリーダーは不要である。
石破茂も、曖昧な言説を駆使して、結局、結論が明快ではない。経済学者の高橋洋一は、彼を称して、「3分で説明できることを、30分かけて説明して、結局、何が言いたいのかわからない」と言っていた。総じて、そういう感じである。あと、何事に関しても、自分の意見を先に言わず、「議論せねばならない」と言う。
リーダーというものは、右に進むのか、左に進むのか、明快に指示ができなければならない。当然に、自身の判断や指示に対しては、結果責任が伴う。
有事の際に、「議論せねばならない」と言って、ああでもない、こうでもないと議論している時間などない。中国が台湾に攻めてきたら、あるいは大規模自然災害が起きたら、あれこれ議論しているヒマなどないからである。
そういう意味で、石破茂に日本の将来を委ねるのは心許ない。その点、高市早苗ならば、たとえ間違うかもしれないが、言を左右にして、判断から逃げたり、迷ったりすることはなかったのではないだろうか。
だが、日本の社会の場合、過去を振り返っても、この種のリーダーはあまり好まれないのだ。
皆にあれこれと議論をさせて、それによってガス抜きもして、ボトムアップで意見を上げさせて、リーダーはそれを最終的に承認する。そういうやり方が好まれる。トップダウンのリーダーは、「独善的」と言われる。
昔も今も、理想のリーダーとして、徳川家康が好まれるのも、そういうことと無関係ではない。
したがって、自民党の重鎮のうち、岸田現首相、菅前首相などは、決選投票では、全力で高市早苗の選出を阻止した形跡がある。「他の誰が総裁になっても構わないけど、あいつ(高市)だけはイヤだ」ということであったに違いない。
もちろん、活発に議論できること、部下の良い意見に謙虚に耳を傾けることは、とても重要である。周囲にイエスマンばかり揃えていたら、優秀なリーダーもバカになる。
でも、有事においては、自信をもって断固たる判断ができないことには、リーダーの資格はない。部下の意見を聞くのは良いが、最後はリーダーが自らの職責で決断するしかない。リーダーは孤独なのだ。
それとこれは重要なことだが、平時のリーダーと有事のリーダーは異なる。今の日本は、ハッキリ言えば、有事である。少なくとも、そういう危機感を持つことが重要である。
30年以上も経済成長せず、国民の多くが貧困化し、将来に夢や希望を抱けないような国になって久しい。その間にも諸外国は成長しているのだから、日本は相対的に貧しい国になっているのだ。国家存亡の瀬戸際に近づいていると言えなくもない。
そういうことを認識した上で、成長戦略を語れないようなリーダーに国を指導してもらいたくない。経済成長と安全保障は国の役割の根幹である。
今回の総裁選で、高市早苗が総裁に選ばれなかったことは、返す返すも残念極まりない。日本が再浮上するチャンスだったかもしれないからである。27日(金)の株価の推移を見ても、マーケットも石破ではなく高市を新たなリーダーとして待望していたことは明らかである。
財務省と中国の顔色ばかり見ているような首相では頼りない。高市であれば、どちらに対しても毅然とした態度で臨めたはずである。
石破茂は、早期解散、早期総選挙と言っていたので、あとは総選挙で自民党が下野しない程度に大敗して、石破茂が責任を取って退陣するのを祈るしかない。
そうなれば、ワンチャン、高市首相が実現する可能性があるというものである。
そもそも論として、総理総裁になるのが目的という人にはご遠慮いただきたい。そんな「記念受験」みたいなノリで、一国の指導者になってもらっては困るのだ。
総理総裁として何をやるのか。そこが明確な人にこそ首相になってもらいたい。今回の9人を見ていると、やりたいことが明確だったのは高市早苗だけだった。