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「無敵の人」について

今の世間には、「無敵の人」と呼ばれる人たちが存在する。

社会的包摂性とか、地縁・血縁といったものから切り離されて、孤独・孤立化してしまい、生活にも困窮して、将来の展望も描けないような人にとっては、もはや何も失うものがない。派手に人殺しでもやって、刑務所に入る、あるいは死刑になったとしても構わないくらいに開き直ることができれば、世の中、怖いものは何もない。

大きな事件を起こして、警察や世間が大騒ぎしてくれることは、一種の爽快感さえ感じているのかもしれない。今まで生きてきて、誰からも注目もされることもなく、存在さえも無視され続けて来たような人にとっては、人生で最初で最後、他人から大いに注目されて、承認欲求を満たすことができるチャンスと言えよう。

我々のような、いろいろなシガラミの中で生きている人間にとっては、自らの手で実際に犯罪を犯すのはもちろん、犯罪の被疑者になることでさえ、大いなる代償を払わなければならなくなる。だから、世間の目を気にしながら、身を慎んで何事も辛抱しながら生きているのだ。失うものが多々ある人間とはそういうものだ。

北九州で昨年末に起きた中学生の殺傷事件、今回の長野駅前での殺傷事件、詳細はわからないものの、過去の、「京王線刺傷事件」「小田急線刺傷事件」「川崎市登戸通り魔事件」、さらに遡れば、「秋葉原通り魔事件」「附属池田小事件」にも通じるものがあるように思う。

いずれにも共通するのは、何も失うものがない強みをもった「無敵の人」の存在である。

今回のこの2つの事件の被疑者は、いずれもいわゆる「氷河期世代」に属する。「氷河期世代」というのは、生まれ年では、70年生まれから86年生まれまでを指す。今の年齢にして、38歳から54歳といったところである。この世代は、学校を卒業して社会に出た段階での新卒での就職がうまくいかず、その後も非正規雇用の不安定な職業にしか就くことができなかったという意味で、スタート時点から恵まれない人生を送っている人が少なくない。

「無敵の人」の増加と、「氷河期世代」、単身世帯・生涯未婚者の増加等との因果関係をきちんと検証したわけではないが、昨今の物騒な事件を見ていると、まったくの無関係とも思えぬ。「氷河期世代」以降、日本の労働者の非正規雇用の割合は増加したままであり、同年代での格差はまったく解消されない状態が続いている。社会に出た時点で、「勝負あり」で、挽回のチャンスがあまり期待できないとなれば、自暴自棄になって大暴れしたくもなる。

そこまで行かなくても、昨今の刑務所は、無料で利用できる宿泊所みたいな様相を呈しているという。生活に困窮しており、食べていくのがやっとみたいな生活を送っている人にとっては、ある意味、天国のようなものであろう。何よりも、衣食住が保障されている。軽作業をやれば気晴らしにもなるし、ちょっとした小遣い稼ぎにもなる。病気になれば無料で医者に診てもらえる。だから、刑期を終えて出所しても、置き引きとか無銭飲食のようなセコい犯罪をやって、塀の向こう側への逆戻りを企てる輩も少なくない。

日本にも「一億総中流」なんて言われていた時代があったが、中間層が空洞化して、食べるのに困らない豊かな人たちと、その他大勢との二極化が進むにつれて、社会が不安定になり、治安が悪化し、国内の分断が起きる。洋の東西を問わず、歴史的に見ても、これは普遍的な真理である。

日本には、欧州や米国に比べれば、まだ移民があまり多くはないが、今後、移民が多くなって来れば、さらに治安は悪化し、世相が悪くなるであろう。既に川口におけるクルド人のように、社会問題化している地域もある。あと10年くらいすれば、同じような問題は、日本中のあちこちで起きているかもしれない。

じゃあ、どうするのかと言われても、たぶんウルトラCのような特効薬はない。

核家族化、社会的包摂性の欠如、これらは日本人が自分たちで選択したことである。昔のような地縁血縁に基づく暑苦しい人間関係から離脱して、自由気ままな生活の方を選んだ結果、特に都市部においては、地域のコミュニティが機能せず、隣人が何をしている人かもわからないという世知辛い状況になってしまっている。

社会の枠組みから転落してしまって、困窮状態にある人たちを、自己責任、自業自得と片付けるのは簡単であるが、「氷河期世代」以降の世代の非正規雇用者の割合の増加というのは、本当に自己責任なのであろうか。為政者の失敗、人災の要素も皆無とは言えぬ。いずれにせよ、我々だって勤め先が倒産したり、リストラされたら、明日は我が身である。いざという時に備えた、セーフティネットがしっかりと機能するような社会でなければ、安心して生活できない。

そもそも、「親ガチャ」なんて言葉があるように、生まれた時から人は平等ではない。「機会の平等」自体が絵空事である。したがって、ある程度は、社会的弱者に手厚いサポートを用意しなければ、社会的格差は拡大することはあっても改善されることはない。

「結果の平等」についても同様である。人間の能力にも格差がある以上、「機会が平等」であったとしても、結果に開きが生じるのは避けられない。悪平等はよろしくないとしても、ある程度は「結果の平等」を担保するための施策も必要になる。沈んだら沈みっぱなしでは、周囲を巻き添えにして、自爆テロを起こしたくなるのは止められない。

きれいごとではなく、社会を安定させて、平穏無事な社会生活を維持するためにも、コミュニティの活性化、セーフティネットによるサポートは重要である。適当な言い方が思いつかないが、「保険」のようなものである。

話が逸れるかもしれないが、結婚であったり、パートナーとのマッチングというのも、社会の安定化に資すると思う。家族がいない単身者ばかりだと、社会は不安定になる。したがって、結婚相談所やマッチングアプリの利用に対して国や自治体が補助金を出すというような施策があっても、別に不思議だとは思わない。

地域社会の再構築を推進することは、枕を高くして、安心して生活できるようにするために避けて通れない課題であると思う。そのために必要な施策であれば、あまりカネを出し惜しみしない方が良い。


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