銀行の「土管化」について
銀行のような金融機関と、携帯電話キャリアのような電気通信事業者は、いずれも社会のインフラである。どちらも社会生活において不可欠であるが、「あって当たり前」「ちゃんと機能するのが当たり前」でもある。
そういう意味で、社会の黒子であり、「土管化」する運命は免れない。
ビル・ゲイツは、「銀行機能は必要だが、今ある銀行は必要なくなる」という趣旨の発言をしている。銀行機能がなくなることはない。カネとモノが流通しなければ、我々の生活は成立しない。
だが、表通りに林立する銀行店舗は必ずしも必要ない。メガバンクにおいて、急激に店舗網の縮小が進んでいる。人件費の高い営業担当者が対面で担っていたような業務の大半は、バックオフィスの低廉な人件費で雇われた事務スタッフか機械で代替できるからである。
「土管化」するということは、今ある全ての銀行が生き残れるということではない。携帯電話キャリアだって、楽天がそろそろ脱落しそうである。大手3社の牙城を突き崩すのは難しかったようである。通信品質や人口カバー率で見劣りするようなキャリアなど、たとえ料金を安くても安心して使えない。「土管」である以上、信頼性や安全性がよりシャープに問われるのだ。
銀行も同じである。「規模の経済」が働くから、大手の数行に収斂されることになる。前にも書いたが、地方銀行はもはや使命を終えることになるだろう。地方銀行よりは、信金・信組の方がしぶといと思うが、それとて未来永劫どうかとなるとわからない。
信頼性と安全性となると、大手であっても、しょっちゅうシステム障害を起こすようないい加減な銀行は、どこかで人々の支持を失うかもしれない。
それでも、生き残ることができれば、携帯電話キャリアと同様に、「黒子」として、「チャリンチャリン」と裏側で黙っていても、手堅く稼ぐことは可能になる。
ただし、「黒子」として、あらゆる場所に銀行としての機能は「埋め込まれる」ためには、信頼性と安全性に加えて、機能性、汎用性といった使い勝手の良さについてプラットフォーマー等の川上サイドのプロの目で常に評価されることになる。したがって、絶えざる技術革新にキャッチアップし続ける必要がある。
僕などは、良き時代に銀行を卒業できて本当に良かったと思う。