脱「年功制」について
今日の新聞に書いてあったが、NTTが脱「年功序列」を推し進めており、20歳代でも管理職に就けるようになるのだそうだ。
専門性の高い人材の育成や確保を目指すのが狙いとのことである。
一方、大阪の企業で、「人生100年時代」を見据え、60歳の定年後に100歳まで継続して働ける再雇用制度を導入したという話も耳にした。
米国では、そもそも人種、年齢、性別に基づく採用選考は違法であり、採用のための書類選考は年齢と性別の記載や写真なしで行われるのが基本だという。
日本企業では、「新卒一括採用制度」とセットで、年功序列的な人事制度が長らく一般的であった。そうした人事制度では、入社〇年とか、年齢とかが、昇給や昇格を決める際の重要な基準になっていたわけであるが、間もなく、日本企業の人事制度においても、「年齢」というファクターが何の効力ももたなくなるのかも知れない。
大企業とは異なり、中小企業、スタートアップ企業の場合、新卒一括採用をやっていない(やろうにも、やれない)ところが多いし、慢性的に人材難なので、適材適所で臨機応変な人員配置をやらざるを得ない。したがって、脱「年功制」と言ったところで、伝統的な大企業以外では既にそんなものはなくなっているか、最初から存在していないかのどちらかなのであろう。
脱「年功制」については、僕個人としては大いに賛成なのであるが、「役職定年制」はどうするんだろうかと疑問に思った。
多くの企業で、組織の活力維持や、社員の士気向上の狙いで、「役職定年制」を導入している。数に限りがあるポストに、中高年社員にいつまでも居座られては困るからである。僕も50歳を少し過ぎたところで、銀行から追い出された。
ここから先は僕の提案というかアイデアなのであるが、「年齢」というファクターを人事制度から除外するのであれば、「役職定年制」も廃止すれば良いと思う。
組織の活力を維持したいのであれば、代わりに、同じポストに在職する期間に上限を設ければよい。〇〇課の課長ポストの在職上限期間が5年だとすれば、5年経ったら、改めて改選する。昇進してどこかの部長ポストに就く人もいる一方、やっぱり他に適任者がおらず、前課長が重任する場合もある。横滑りで△△課の課長ポストに就く人もいるかもしれない。あるいは管理職ポストを維持できずに平社員になる人もいるかもしれない。それぞれのポストのその時点での複数の候補者の中で、一旦リセットして、オープンに競わせるのである。
そうするメリットはある。若くてもモチベーションダウンして退嬰的な人もいれば、心身ともに活力に満ちたおじさん社員もいる。若さが失われた分を経験とスキルでカバーして熟練した仕事ぶりを発揮するタイプもいるだろう。それぞれの持ち味を活かして競争させればよいのだ。少なくとも、〇歳になったからというだけの理由で、暴力的にポストから外すよりか、よほど会社の活力維持に貢献しそうな気がする。
考えてみれば、人間以外の動物、たとえばライオンやらゴリラ、サルなどの群れでは、同じことが行われている。ボスはいつまでもボスの座に安住できるわけではない。若いオスが虎視眈々と後継者の座を狙っているからだ。それでも年齢を重ねても若い競争相手を退けて長期政権を維持することができるボスもいれば、肉体的な衰えによって追い落とされるボスもいる。多くの場合、ボスの座は1つだけだし、会社みたいに顧問とか相談役みたいなポストはないから、群れから追われることになる。年老いて群れから追われたら、肉食獣の場合は獲物も狩れなくなるので、やがて野垂れ死にするしかない。とてもシビアであるが、合理的でもある。
サラリーマンをやっているとわかることだが、若い頃に頭角を現す人もいる一方で、少し年齢を重ねてから「いい味」を出すタイプもいる。どこで伸びるかは人それぞれなのである。
軍隊であれば、現場の指揮官の肉体年齢というのも、重要な職務要件の1つとなるのだろうが、企業の場合、運動神経や体力はまるで関係ないとは思わないが、軍隊ほどの重要な意味は持たない。
そういう意味で、脱「年功制」を推進して、「年齢」というファクターを人事制度から排除するのであれば、「役職定年」も廃止して、よりオープンな競争原理を導入するというのは良いアイデアだと思う。一種の「バトルロイヤル」制度である。シビアかも知れないが、常に緊張感があるし、逆転、再逆転も可能という点でフェアでもある。
だいたい、50歳くらいで役職定年を理由に責任あるポストから外されてしまって、100歳まで働いても構わないと言われたところで、残りの50年のサラリーマンとしての余生はあまり面白そうではないし、心ときめくような気がしない。今の中高年は心身ともに若い人だって少なくないのだし、もっと刺激が欲しいではないか。