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奨学金について

『東京貧困女子』という本を読んでいて、奨学金制度なるものについていろいろと考えさせられた。

日本の大学生の2人に1人が、何かしらの奨学金を活用していると言われているが、その中でも主たるものは、「独立行政法人 日本学生支援機構」(旧「日本育英会」等が合併して、04年4月に発足した)の運営する奨学金事業によるものである。

具体的には、「給付型」と「貸与型」に分類され、「貸与型」はさらに「第一種奨学金」と「第二種奨学金」に分けられる。前者は無利息であるが、成績と経済状況に基づく選考がある。後者は有利子である。また、奨学金を利用している学生の7割が貸与型で、残りの3割が給付型であるという。

「貸与型」というのは、実態は学生ローンと同じである。卒業後は弁済する必要があるが、奨学金の返還滞納問題については、旧日本育英会時代から積年の課題となっている。民間金融機関などと違い無担保で、債務者は学生本人であり、将来の弁済能力は考慮されない。

ローンと同じであるから、日本学生支援機構としては延滞増加を解消するため、滞納者の個人情報を信用情報機関に登録したり、連帯保証人への督促、強制執行の申し立て等の法的手段に訴えることになる。信用情報機関に延滞情報等を登録された場合、携帯電話端末の割賦契約、保証会社を利用した賃貸住宅の契約、公営住宅の入居、クレジットカードの作成、各種ローン契約ができなくなるので、社会生活上、いろいろと支障が生じることになる。

もちろん、借りたおカネを返済しない方が悪いのだが、今は同世代の半数以上が大学に進学する時代である。いわゆる「Fラン」大学も少なくないし、大学卒の学歴に見合った職業に就ける保証はない。就労者の約4割が非正規雇用労働者なのである。うまく就職できたとしても、勤め先の倒産、リストラや雇止めによる失業といったリスクは常につきまとう。卒業後、20年間も平穏無事に返済を継続できる人たちは、むしろかなり恵まれている部類に属するのかもしれない。

日本学生支援機構にも「給付型」、つまり弁済義務のない奨学金制度はあるし、各大学による奨学金制度もある。だが、いずれも成績や経済状況に基づく選考があるので、誰もが利用できるものではない。奨学金制度を利用する大学生の約7割は「貸与型」、つまり学生ローンを利用しているので、大学卒業と同時に、数百万円単位の多額の債務を背負って社会人生活をスタートすることになる。

学生時代の負債を抱えた状態のままであることは、その後の人生においても、いろいろな場面で障害となり得る。奨学金の債務を抱えているとなれば、結婚相手から敬遠されるかもしれない。結婚できたとしても、家計に奨学金返済の負担が圧しかかる。マイホームを持ちたくても、既に債務がある上に、住宅ローンが追加されることになるので、ますます返済負担が増す。未婚の若者が増えているが、借金があって、不安定な職業に就いている状況で、結婚して子どもをもうけようとは思わないだろう。彼らからすれば、結婚も子どもも贅沢品でしかない。

じゃあ、どうすれば良いのかという話であるが、パッと思いつくのは、ドイツみたいに、大学の学費を無料にすれば良いではないかという話であるが、大学進学率も違うし、入学しても卒業するのが難しくて、そもそも小学校でも成績が悪かったら平気で落第させるような国と、わが国とを同列に考えるのは難しいかもしれない。ただし、日本の大学進学率は先進他国と比較しても、あまり高い方ではなくて、「低学歴化」が指摘されていることを勘案するならば、国民の教育に対して、日本はもっとおカネを使うべきなのだろう。

奨学金の総額ベースでの予算規模を見ると、「給付型」「貸与型」合計で、約1兆6千億円ほどで、うち「貸与型」は、約1兆円ほどである。一方で、国民医療費は、ざっと43兆円ほどになる。年代別の内訳だと、65歳以上の前期・後期高齢者が約6割を占める。つまり、年寄りのための医療費をちょっと削れば、現在「貸与型」の奨学金となっているものを、「給付型」に変更してもお釣りが来そうである。

政治というものは、突き詰めれば、集めたおカネをどう配分するかという問題に行き着く。いろいろな利害関係者が自分たちの意見を反映してくれそうな政治家を介して利害調整を行なう場 = 政治、と言い換えても良い。

現在の日本では、世代間での不公平がしばしば指摘されている。「勝ち逃げ」老人たち世代は恵まれているのに対して、若者たち世代は不遇であるという話である。これも、老人対若者の世代間の利害調整において、老人有利となってしまっていると解することができる。その背景には、政治家の多くが老人たちであること、老人たちは総じて投票率が高いこと、いろいろな分野で既得権益を握っているのも老人たちだからといった理由が考えられる。

だが、日本の未来を担う若者たちのために、老人たちが孫世代のために自分たちの医療費の一部を削るくらいのことは、もっと真面目に考えても良さそうであるし、どうしてそうした意見が出てこないのか不思議である。

こういう話をすると、「分数の計算もできない大学生たちのために、どうしてそんなに手厚い保護をしなければならないのか」といった意見が必ず出てくる。たしかに、そういう大学生が一定数存在することは否定しない。いわゆる「Fランク」大学では、中学校の復習みたいな授業をやらないことには、授業が成立しないという話も耳にする。

だが、日本の大学教育の体たらくについては、初等中等教育に関する諸問題の積み上げの結果であるし、若者たちはその犠牲者という考え方もできる。それに、たとえ「Fランク」であっても、大学に進学して何がしかの勉強をすることは、その後の人生において決して無駄にはならない。

老人たちから孫たちへの「仕送り」だと思えば、簡単なことである。それによって、若者たちが借金を背負わずに、未来に希望をもって、社会人生活をスタートさせることができるわけだから、冒頭に紹介した『東京貧困女子』に書かれているような、売春や風俗店勤務を余儀なくされる女子大生も減るであろう。若年層の死因第1位が自殺であることや、特殊詐欺のような犯罪に手を染める若者が後を絶たないことも、若者たちの「生きづらさ」と関係がないとは思えない。

少なくとも、これからの社会を担う若者たちよりも、老人をたいせつにするような国に明るい未来があるはずはない。




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