中居正広について
芸能人とか役者は、なろうと思えば、誰でもなれるものである。「自分は、芸能人である(役者である)」と自称さえすれば良いのだ。何かの国家資格も不要であり、どこかの役所の許認可も要らない。
ただし、おカネを払って、雇ってくれる相手がいなければ、職業としては成立しない。
元SMAPの中居正広が、女性問題で大きな騒ぎを起こしている問題について、自身のコメントを発表した。
一読して違和感を持ったのは、<⽰談が成⽴したことにより、今後の芸能活動についても⽀障なく続けられることになりました。>というくだりである。
彼の理屈としては、当事者同士の問題は既に金銭的に解決済みであるから、部外者には何も問題はなかろうということなのであろう。民事上の問題は解決済み。いまのところ、刑事上の問題にはなっていない。だったら何も問題ないじゃんということであろう。
たしかに、そのとおりである。
が、しかし、冒頭にも書いたとおり、彼におカネを払ってくれる相手がいなければ、芸能人や役者という職業は成り立たない。つまり、芸能活動を続けるのは彼の勝手であるが、プロとしてやっていけるかどうかを決めるのは、カネを払う側であって、中居ではない。そこのところを、どうやら甘く考えていたようである。
彼がかつて所属していた事務所も、創業者の性加害問題で権威が失墜してしまい、今や名前も経営者も変わってしまっている。数年前までならば、抑え込めていたことも、最近では通用しなくなってきている。民放というものは、スポンサーがいなければどうしようもない。脛に傷を持つ芸能人を、わざわざ使うはずもない。何事もなかったかのように番組やCMで使えば、一般大衆の矛先は自社に向かう。コンプライアンスに過剰なまでに気を遣う、昨今の世間の空気の中、どこの会社もそんな危険を冒す度胸はない。
少し前であれば、しばらく謹慎期間を経て、ほとぼりを冷ましてから、シレっと活動再開するということが十分に可能であったが、昨今はそういうのも難しくなってきている。YouTubeとか、舞台に活動主体を移すのであれば、何とかなるとしても、地上波で従前と同じような活動を再開するのは難しくなっているようである。
何らかの罪を犯したのであれば所定の方法(例:禁固、罰金、執行猶予等)で罪を償った後であれば、本来ならば、まっさらの人間として再出発できるのが、本来のあるべき姿であろう。社会的な制裁も受けているのだ。たった1回の過ちだけで、一生を棒に振るしかないようでは、健全な社会とは言えない。
最近読んだ、『現代日本人の法意識』という新書にも書かれていたことだが、日本では、人々の道徳的、応報的感情に便乗するような格好で、犯罪化や厳罰化が進んでいるのだという。しかしながら、我々だって、きれいごとばかりではなく、人に言えないことも大なり小なりやっているかもしれないのだ。悪いことをすれば処罰されるのが当たり前といった、感情的レベルでの報復主義が正当化されてしまい、そうした傾向はますます強まっているという。欧米の潮流とは明らかに相反している。
不倫のような、所詮は配偶者同士の約束ごとに違反しただけのことであっても、社会的に厳しくバッシングして、配偶者の不倫相手まで責め立てるのは、日本独特の傾向である。そこには、相手に対する報復感情の正当化、さらに言えば、戦前の姦通罪処罰に通じる古い価値観が存在するという。
犯罪化や厳罰化が進むことの要因については諸説あるようだが、人々が現在の世の中に閉塞感を感じていることを背景に、為政者がその捌け口を用意することで社会の安定化や治安維持を図ろうとしている可能性はある。
この問題について、これ以上ここで議論するつもりはないが、中居正広としては、さしずめ、世の中の「空気」を読み誤ったというところであろうか。
SMAP時代の元メンバー、草彅剛とか稲垣吾郎も、かつて不祥事を起こした後、謹慎期間を経て、仕事に復帰した経緯がある。中居正広も、元同僚のそうした前例を参考にしていたのであれば、「その当時とは、時代が変わった」としか言いようがない。
こういうものは、「あるべき論」が通用しない。何度も言うが、僕個人としては、今のように何事につけてコンプライアンスを持ちだす世の中は、窮屈だし、息苦しいと思う。他人をバッシングできるほど、自分自身が身ぎれいだとも思わない。だからこそというわけではないが、もっと寛容な世の中であってもらいたい。
でも、そういう世の中ではない以上、文句を言っても始まらない。スポンサーとしても、世の中の「空気」を無視することはできない。
以上のようなことを考えると、松本人志と中居正広は、地上波で以前と同じように活動することはおそらく不可能であろう。ネット社会において、いろいろな情報はタトゥのように記録に残り、未来永劫、抹消されることはない。10年経とうが、彼らがやったことはググれば出てくる。彼らの代わりが務まるタレントや芸能人は他にいくらでもいる。スポンサーとしては、無用のリスクは冒そうとは思わない。みんなサラリーマンなのであるから。