「モノ言う株主」について
株式の持ち合いが盛んであった頃、メインバンクや生損保会社、主要取引先等が安定株主として企業の株式を大量に保有していたものである。文字どおりに「持ちつ持たれつ」の関係だから、お互い、あまりうるさいことは言わない。つまりは、「モノ言わない株主」であった。
高度成長期から、しばらく後になるまで、こういう感じの体制がどこの企業でも当たり前であった。よく、「日本は、世界で最も成功した社会主義国」と言われたのも、株式の持ち合い制度と無関係ではない。大企業ほど、誰が所有者なのか、ホントのところよくわからないような状況であったからである。
会計基準が時価会計になったことなどもきっかけに、株式持ち合い制度はかなりの割合で解消されつつある。それでも欧米の金融機関に比べると、日本のメガバンクなどは、まだまだ取引先企業の株式を保有していると言われるが、それでも従来の比ではない。
それとは逆に機関投資家、なかんずく「アクティビスト」(モノ言う株主)の存在感が増している。
「アクティビスト」とは、株主としての権利を積極的に行使して、企業に影響力を及ぼそうとする投資家を指す。いわゆる「モノ言う株主」であり、経営陣との対話・交渉のほか、株主提案権の行使、会社提案議案の否決に向けた委任状勧誘等を行なうことがある。活動目的は投資先企業の企業価値を高めて利益を獲得することであり、より具体的には、増配や自社株買いなどの株主還元策、事業売却、経営陣刷新等を要求する。旧村上ファンド系とか、フジテックの記事に登場するオアシス・マネジメント、あるいはサーベラス・グループ等、有名どころだけでもたくさんある。
こうしたアクティビストが、日本ではネガティブなイメージを持つのは、昔の株式持ち合い制度が一般的だった時代からの「モノ言わない株主」に慣れ切っているからである。あまりうるさいことを言わず、ムラ社会的な仲良しグループで過ごしてきたため、資本の論理に基づいて、あれこれと社外から口うるさく注文をつけられることを好ましく思わないのであろう。
だが、資本主義的には、会社とは株主のものであり、株主は保有株式割合に基づいて、正当な要求を行なう権利を有する。経営者がサボっていて、企業価値を高めるための取り組みをせず、結果として株価が低迷しているようならば、経営者を取り換えるように要求するのは当然の権利である。
日本の上場企業の約半分強がPBR1倍割れになっているが、これなどは、欧米に比べて、日本企業の経営者がまだまだ甘やかされているからであると言える。あまり短期的な株主還元ばかりに走るのはどうかと思うが、経営者と株主との間には一定の緊張感があって然るべきである。
もしも、株主にばかり気を遣わず、もっと中長期的な視点でじっくりと企業経営に取り組みたいとか、所詮は外部のシロウトである株主の顔色ばかり見ていては機動的な意思決定ができないと考えるのであれば、MBOでもやるしかない。MBOとは、「マネジメント・バイアウト」、つまり経営陣(マネジメント)による自社買収(バイアウト)である。株式を非公開にして、経営陣をはじめとする少数の株主だけで支配権を獲得すれば、外部の株主に気を遣う必要はない。
竹中工務店、サントリー、YKK、ヤンマー、竹中工務店といった企業は、名門大企業であるが、敢えて株式を上場していない。オーナー企業の方が、経営効率が良いという調査もあったと記憶している。長寿企業の多くは、オーナー企業である。短期的な業績に一喜一憂する必要がなく、中長期的、戦略的な経営に取り組めること、必要であれば思い切った意思決定ができること、最終的な責任の所在がはっきりとしていること等が、オーナー企業の利点として考えられる。株式持ち合い制度を背景としたサラリーマン経営者による企業経営とは、まさに対極に位置付けられる。
要は、会社をどうしたいのかである。誰からも口出しされずに、自分の意のままに経営したいのであれば、文字どおり自分の会社にすればよい。オーナーであれば、「竈の下の灰まで」自分のものであるし、会社を潰すも自分の自由にすればよい。
それができないのであれば、せいぜい株主に気を遣うしかない。株式の持分(シェア)によって、発言権に大小の違いはあるものの、モノを言う権利はある。従来のように「シャンシャン」で終わるような生温い株主総会しか経験のない経営陣にとっては、ひどく辛いことかもしれないが、経営者と株主との間には一定の緊張感があるべきであるし、企業の成長にとって悪いことばかりではない。株主との真摯な対話を通じて、経営者は鍛えられて成長するのである。