「リモートワーク」について(続編)
前にもリモートワークについて書いたことがある。
その際に、リモートワークに対してあまり積極的になれない会社の1つの要因として、経営者の社員に対するスタンスを挙げた。
つまり、「俺が目を光らせておかないと、社員はサボるものである」という性悪説のような考え方から逃れられない経営者がいると、毎日、社員を定刻に出社させて、執務スペースで机を並べて仕事をさせなければ安心ができない。そういう経営者がいる限りは、リモートワークなど積極的にやろうということにはならない。
だが、サボる社員は会社に出社してもしなくてもサボるものである。そもそも、オフィスワーカーの会社に対する貢献度などは、机にへばりついている時間の長さでは測れるものではない。
「遅れず、休まず、働かず」という言葉がある。僕が銀行員だった頃にも、毎日、始業時刻よりも遥か前に出社して、退社時刻は誰よりも遅いにも拘わらず、仕事のパフォーマンスはたいしたことのない社員はいた。上司から命じられた仕事は納期に間に合わず、営業成績も目標に届かない。はっきり言えば、問題社員であり、不稼働資産みたいなものである。
のどかな時代であれば、こういう社員であっても、「彼はコツコツと頑張っているから」と言って、庇ってくれる上司もいたのかもしれない。はっきり言って、そういう上司もゴミみたいなものである。だが、部下が机にへばりついている姿を見ないと安心できない経営者もまた同様である。
それぞれのメンバーの役割課題・責任が明確で、年次(期次)、月次、週次単位でやるべきことがはっきりとしておれば、どこにいて、どういうやり方で仕事をしようが、そんなことは部下の裁量に任せておけばよい。
「釣りバカ日誌」という映画がある。主人公の浜崎伝助(浜ちゃん)は、趣味の釣りを何よりも優先する。遅刻も多いし、就業時間中もすぐにサボる。勤務態度は最悪である。それでも、釣りを介した人間関係を通じて、取引先のキーマンをしっかりと掌握している。たまに大型案件も獲得しているようである。
釣りじゃなくても、飲食やゴルフで仕事が取れるほど昨今の現実は甘くはないと思うが、取引先の実権者の懐に飛び込む天賦の才能を持った営業マンというのが世の中には存在する。浜ちゃんはおそらくそういうタイプなのであろう。
しかしながら、こういう人材の取り扱いや評価に関しては、多くの企業において議論が分かれる。
全員に対して杓子定規にルールを遵守するように強制して、もしルール違反をしたら厳格に処罰するというのも1つの考え方である。浜ちゃんの勤務先の幹部連中は概してそういうタイプのようである。ただし、「角を矯めて牛を殺す」というコトワザがあるように、こういうやり方では、個々の人材の持ち味や強みも殺すこととなり、たいていの場合、うまくいかない。
個々の人材の強み弱みを十分に見きわめた上で、適材適所でうまく活用するというのが、もう1つの考え方であろう。多種多様な人材に対して、ある程度の裁量権を与え、いろいろな働き方を許容することになるので、画一的な管理よりも、マネジメントのための労力や負担が増大する。管理者側もよほど有能である必要があるかもしれない。
コロナ渦を経て、おそらく今の先進的な考え方の会社においては、リモートワークを許容するか否かというようなレベルの議論は既に決着済みであり、成果や実績を上げてくれる前提であれば、社員がどこで、どんな働き方をしたいと希望したとしても、積極的に受け容れるべきであろうというところまで時代は進んでいるような気がする。
家で仕事したいと思えば、在宅ワークをすれば良いし、たまにはチームメンバーと机を並べて仕事をしたいと思えば、オフィスに出勤すれば良いし、都会を離れて田舎で仕事をしたいと思えば、ワーケーションをすれば良い。請け負った仕事さえやってくれるのであれば、どこにいるかは大した問題ではない。勤務地の制約がなければ、人材採用の選択肢も広がる。
もちろん、出社しないとできない仕事に就いている人はそういうわけにはいかない。製造現場とか配送業務などである。だが、それ以外の仕事はかなりの部分、オフィスにしばられる必要はない。技術的には既にそういうことが可能な時代である。
つまるところ、この問題は、個々の会社の「社員に向き合う姿勢」の問題ということになる。社員に対して一律業績的に型にはめるような管理がしたいのか、裁量権を与え自由な働き方を許容する覚悟があるのかということである。
言い換えれば、リモートワークに対する取り組み姿勢は、個々の会社にとっての一種の「踏み絵」みたいなものだと考えるべきであろう。