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映画「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」について
英国の王朝の歴史において、いちばんドロドロしていて興味深いのはチューダー朝のヘンリー8世(1491年 - 1547年、55歳没)の時代である。ヘンリー8世は、6人も妻を娶った君主であり、そのためにカトリックとは袂を分かち、イングランド国教会を立ち上げるに至る。
彼は知力・体力に優れた人物だったらしいが、相当な暴君というか独裁者気質の人物であり、自分に従わない人物の多くを捕えて、反逆罪に仕立てて処刑している。その中には有名な人物も少なくない。トマス・モア(元大法官、『ユートピア』の著者)、トマス・クロムウェル(元側近)などである。6人の王妃もひどいものである。6人中2人が刑死している。
①キャサリン・オブ・アラゴン(1509年結婚、1533年離婚):メアリー1世の生母。スペイン王家出身。
②アン・ブーリン(1533年結婚、1536年離婚):エリザベス1世の生母。元キャサリン・オブ・アラゴン侍女。離婚後に姦通罪と近親相姦の罪で ロンドン塔で刑死。
③ジェーン・シーモア(1536年結婚、1537年離婚):エドワード6世の母。元アン・ブーリン侍女。エドワード出産後、産褥熱で死亡。
④アン・オブ・クレーヴズ(1540年結婚、同年離婚):ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公の娘。肖像画が実物よりも美化されすぎていたのが離婚の理由だという話がのこされているが、離婚後も王族として遇されて、6人の王妃の中ではいちばん最後まで生き残っている。
⑤キャサリン・ハワード(1540年結婚、1542年離婚):アン・ブーリンの従妹で、ジェーン・シーモアの再従妹。姦通罪と近親相姦の罪で刑死。
⑥キャサリン・パー(1543年結婚、1547年死別):この映画の主人公。
トマス・モアはカトリック教徒で、イングランド国教会の分離独立反対派、宗教改革反対派であり、王とキャサリン・オブ・アラゴンの離婚に反対したために処刑されたという。
一方、トマス・クロムウェルは、宗教改革推進派で、王の寵臣として一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、王とアン・オブ・クレーヴズとの政略婚姻を推進したことがきっかけで失脚している。クロムウェルが描かせたアン・オブ・クレーヴズの肖像画が、実物よりもあまりに美化されすぎていたことで、王の不興を買ったという逸話が残されている。
無能で仕事ができないのは論外だし、王の意に沿わず、疎んじられてもアウト。寵臣であったとしても何か失態をやらかしたらアウト。また誰かに足を引っ張られるような隙を見せるようではダメ。この時代に廷臣として生き残るには、相当にタフで頭も切れなければ無理であろう。ヘンリー8世の6人目の王妃として迎えられたキャサリン・パーとて、安閑としていられる立場ではない。彼女がヘンリー8世の王妃となった時点で、存命中なのは、④アン・オブ・クレーヴズただ1人のみである。
キャサリン・パーは、優れた教養人だったヘンリー8世と対等に会話ができて、王が欧州遠征中には摂政に任じられるほどに優秀な人物だったとされている。エドワード、メアリー、エリザベスの教育係も任されていたという。当時の貴族女性としては、たいへんな読書家であり、高い学識の持ち主だったに違いない。
彼女自身は、プロテスタントとされているが、カトリック、イングランド国教会、プロテスタントの関係性が、我々にはわかりにくい。
元々が、カトリックの英国内での勢力を削ぎ、国内にある莫大な教会財産を収奪し、何よりもキャサリン・オブ・アラゴンと正式に離婚して、アン・ブーリンと結婚するという世俗的な魂胆に基づいて、カトリックからの分離独立、宗教改革を推進しただけなので、ヘンリー8世自身は、基本的にはプロテスタントに否定的な考え方であったという。英国教会の教義的にも、プロテスタントよりもカトリックに近いとされている。
当時の王室メンバーを思想・信条的に色分けするならば、
カトリック:メアリー1世(長女)
英国教会:ヘンリー8世(本人)、エドワード6世(長男)
プロテスタント:アン・オブ・クレーヴズ(前々王妃)、キャサリン・パー(現王妃)、エリザベス1世(次女)
といった整理になるであろうか。
いずれにせよ、思想・信条に関する微妙な違いによって、異端か否かが判定されて、それによって社会的立場を失ったり、下手したら火刑に処せられたりするのだから、たまったものではない。
キャサリン・パーも異端の嫌疑をかけられて、枢密院の調査対象となり、逮捕も間近というところまで事態は悪化する。この映画では、病床に伏す王を彼女自身の手で殺したことになっているが、その真偽はともかくとして、ヘンリー8世がもう少し長生きしていたら、キャサリン・パーも、アン・ブーリンやキャサリン・ハワード同様、逮捕され処刑されていた可能性はあるかもしれない。
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いずれにせよ、ギリギリのタイミングで生き延びたキャサリン・パーは、ヘンリー8世の遺言により、毎年7,000ポンドの年金を生涯にわたって国庫から支給されるという、人も羨む身分となる。にもかかわらず、ヘンリー8世の崩御後半年も経たないうちに宮廷を出て、かつての恋人だったトマス・シーモアとさっさと再婚している。翌年、トマスの娘を出産するのだが、すぐに産褥熱で亡くなっている。享年36歳くらいである。ヘンリー8世の崩御からまだ2年も経っていない。娘も早世している。
で、キャサリン・パーと結婚したトマス・シーモアも、その後、実兄エドワード・シーモア(初代サマセット公爵)との権力争いに敗れて、処刑されている。
初代サマセット公エドワード・シーモアは、ジェーン・シーモア、トマス・シーモアの兄であり、エドワード6世の伯父にあたる。エドワード6世の即位後、護国卿(摂政)にまで昇り詰めるが、ウォリック伯ジョン・ダドリーとの権力闘争に敗れて、こちらも処刑されている。
ついでに書くと、ウォリック伯ジョン・ダドリーは、エドワード・シーモアに代わって、政治を主導する立場となり、ノーサンバーランド公爵に叙せられるが、エドワード6世崩御後、バリバリのカトリック教徒であるメアリーの即位を防ぐために(ウォリック伯はプロテスタント)、ジェーン・グレイの女王擁立を企てたことにより、メアリー即位後に処刑・爵位剥奪されている。ちなみに、エリザベス1世の寵臣として有名なロバート・ダドリー(初代レスター伯)は、ジョン・ダドリーの5男である。
この辺りの歴史は、実にややこしい。同じ宮廷内の貴族同士で足の引っ張り合いや権力争いを繰り広げているのだ。韓国の歴史ドラマみたいだ。
この映画の標題「Firebrand」というのは、「たいまつ、燃え木」という意味であるが、「革命・変革等の火種となる人物、扇動者」といった意味もあるという。
キャサリン・パーは、英国の宗教改革の支持者であり、その後の宗教・政治の行方にも影響を与えたこと、そして権謀術数に満ち満ちた当時の宮廷にあって、「燃え続けるたいまつ」のように、彼女が最後までしぶとく生き延びたことを象徴しているのだろう。
英国の歴史に興味があり、映画「エリザベス」「エリザベス:ゴールデン・エイジ」「ブーリン家の姉妹」といった作品を観たことがある人であれば、面白い作品であると思う。