「シニア人材の活用」について
先日、海外旅行をした話を書いたが、帰りに飛行機の機内で映画を2本見た。1つが「マイ・インターン」、もう1つが「トップガン マーヴェリック」である。
特に意識して選んだつもりはない。どちらも前に見たことがある映画で、内容もよく知っている。
あくまで適当に選んだ映画であるが、これら2本の映画には共通のテーマがあると後で気がついた。それは、すなわち「シニア人材の活用」である。
「マイ・インターン」の主人公のベン(ロバート・デ・ニーロ)は、70歳の老人で、大学卒業後、40年間も電話帳の会社に奉職していた人物。妻には先立たれ、有り余る時間を使っていろいろな趣味に打ち込んではいるものの、何やら満たされない思いを募らせている。たまたま見つけた「シニア・インターン制度」に応募して、やり手の若い女性社長が経営するEC企業でインターンとして働くことになる。若い社員たちの中で、最初はかなり浮いた存在だったが、過去の豊富な経験や細やかな洞察力を活かして徐々に社内に居場所を見つけていき、女性経営者ジュールズ(アン・ハサウェイ)にとっても得難い存在になっていくという話である。
「トップガン マーヴェリック」の方は、前作の30数年後の話。輝かしい戦歴を誇る天才パイロットのマーヴェリック(トム・クルーズ)も、世の中の移り変わりや技術革新の波には抗えず、徐々に居場所を失いつつある。その彼に昔の盟友で今や海軍大将にまで出世したアイスマン(ヴァル・キルマー)が手を差し伸べて、トップガン卒業生の中でも選りすぐりの若手精鋭パイロットたちに対して、きわめて難易度の高い特殊対地攻撃作戦の訓練を施す教官としての任務を任されるという話である。
どちらも高齢化社会におけるシニア人材の活用について考えさせられるストーリーであるという点で重なり合うものがある。
僕もアラカンだから思うのだが、定年退職を迎えて、第一線を退いたとしても、人間は社会に参画することで誰かの役に立ちたいと考えるものである。趣味を楽しむのも悪くはないが、それだけでは生きている手応えのようなものを得るのは難しい。
マズローの「欲求5段階説」にあるように、「生理的欲求」「安全欲求」だけではなく、「社会的欲求」(社会から受け容れられたい)、「承認欲求」(他者から認められたい)、「自己実現欲求」(「あるべき自分」になりたい)といった思いは、たとえ幾つになろうと消えるものではない。
マーヴェリックのような余人を持って代え難い高度な専門スキルの持ち主は言うまでもないことだが、そこまで特殊技能を持ち合わせていないベンや我々のような普通のシニア人材であっても、やれることはいくらでもありそうである。何十年もの社会経験は決して無駄なはずがない。
若い人が知らないこと、経験したことがないことで、我々が知っていること、経験したことは必ずある。逆に若い人に教えてもらうことだってたくさんある。その場合は謙虚に教えを請えば良い。
学ぶ姿勢や好奇心があれば、幾つになっても新しいことは覚えられる。お互いに持ちつ持たれつである。年が上だからとエラそうにするのは良くない。
「ダイバーシティ」という言葉がある。性別、国籍等に着目しがちであるが、年齢層の多様性もあって良い。いろいろな世代の人がいれば組織は活性化する。
僕が今いる会社は、社長も40代前半、総じて若い人たちが多い。また女性も多い。僕などは、まさに「マイ・インターン」のベンみたいな感じである。僕は、ベンのように人格者でもないし、どこまで周囲の役に立っているかはわからないが、会社の中で「変わり種」であることは間違いない。「変わり種」による「ちょっと変わった視点」というものが、会社にとって何か役に立つこともあるかもしれない。そう思って、特段、遠慮もすることなく、「変わり種」ぶりを大いに発揮している。
従来の日本企業、特に伝統的な名門企業は、「金太郎飴」のように上から下まで皆んな同じ価値観を持った人ばかりのところが多かった。また「金太郎飴」であることを誇るような雰囲気もあった。
やることが決まっていて、皆んな揃って同じ方向に向かっていれば間違いがなかった時代ならば、それでも構わないのかもしれないが、今はそうではない。何が正解かわからない。「金太郎飴」では、全員揃ってズッコケる危険性が大いにある。
「ダイバーシティ」というのは、先が読めない時代において、一種の「保険」であると思う。性別や国籍の多様性と同じくらいに、年齢層の多様性も是非とも重視すべきであろう。
シニア人材の活用とか言うと、何やら後ろ向きなニュアンスになるが、そんなことはない。もちろん、頭が固くて、フットワークも悪くて、どうしようもない高齢者だって中にはいるだろう。でも、中には使える人材も必ずいるはずである。
たとえが不適切かもしれないが、シニア人材は、一種の「都市鉱山」のようなものである。「廃棄」(?)されるはずだったものの中に、もしかしたら「掘り出し物」が隠れているかもしれないし、活用次第では「宝の山」になるかもしれないからである。
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