「がんばれ」について
朝ドラ「あまちゃん」のBSでの再放送が始まってから、既に1週間が経過している。
「あまちゃん」については、また別の機会に触れることがあると思うのだが、このドラマにおける東日本大震災の描き方について少し書いておきたい。
このドラマが放映されたのは、13年度上期である。震災について触れたのは、9月頃の放映分であった。ドラマの中では、震災や津波の直接的な描き方はされず、ナレーション、それと北三陸鉄道の線路周囲の瓦礫、壊れた海女カフェ等の最小限の表現によって震災の被害について語られたのみであった。
脚本の宮藤官九郎は宮城県出身である。もっと、「これでもか」とばかりに震災について真正面から描くこともできたかもしれないが、敢えてそれをやらなかったところに、東北人としての意地がうかがえるように感じた。
劇中でアキに、「励まして頂かなくても、自分たちで何とかするし。やってるし。だから、お構いねぐ(お構いなく)」と言わせていたのが印象的であった。テレビ局の人間が、地元の復興に取り組む彼女らの姿を発信することで、全国のファンから励ましの声が届くと言ったことに対する彼女の回答である。
被災しなかった人たちからの同情、憐みは必要ない。自分たちをかわいそうだと思ってもらいたいとは考えてはいないという意思表明であろう。
また春子のセリフに、「東北の人間が、働けと言っている」というのもあった。震災後、仕事が手につかない鈴鹿ひろ美に対して春子が喝を入れる場面であった。「同情するならカネをくれ」ではないが、働ける人間は、それぞれの持ち場で働いて経済を回していくべきなのである。何もせずに、感傷に浸ったり、自粛するだけでは、単なる自己満足、ナルシシズムである。
東日本大震災後、テレビでは、「がんばれ」モードのCMが無責任に垂れ流されていたのに何やらすごく抵抗感があった。中でも僕がいちばん大嫌いだったのは、トータス松本が出演するCMであった。「日本は強い国。長い道のりになるかもしれないけど、みんなでがんばれば絶対に乗り越えられる」といったナレーションであったが、被災者でもない人間が、何を上から目線でエラそうにと思った。トータス松本は喋らされているだけであろうが、それでもすごく気に障ったものである。その当時はウルフルズまで嫌いになったから、とんだ八つ当たりである。
僕は、「がんばれ」という言葉を安易に使う人間が、昔から大嫌いである。ある意味、とても無責任な言葉であるし、既に精一杯「がんばって」いる人に対しては、とても残酷な言葉でもある。まだ「がんばり」が不足しているから、もっと「がんばれ」と言っているような感じがするからである。
自分もハンズオンの立場で、一緒に「がんばろう」と言うのであれば、まだ許せるが、単なる「がんばれ」には、自分のことは棚に上げて、一方的に他者の献身のみを要求するような響きしか感じられないのだ。単に僕がひねくれていて、素直じゃないだけなのかもしれないのだが……。
いずれにせよ、苦しい立場や状況にある人を励ますつもりで、安易に「がんばれ」などと言うべきではないと思っている。失礼である。
もし自分に何か困ったことがあれば、アキではないが、他人から励まされなくても、自分たちで何とかするしかないのだ。
その時は、力強く「お構いなく」と言い放てるようになりたいものである。