人望について
兵庫県の斎藤知事については、いよいよ本日の議会で「不信任決議案」が可決されることになりそうである。
そうなると、失職するか、議会を解散するかという二択を迫られることになるが、前にも書いたが、本当に彼が自らの言動に問題がなかったと本心から思っているのであれば、是非とも議会解散の方を選択するとともに、自らも辞職して(失職ではなく)、知事選挙と県議選挙のダブル選挙を実施することで、県民の民意を問えば良いと思う。
斎藤知事は、20年居座った前任者からの禅譲を受けた対立候補を排して、「改革派」として兵庫県に乗り込んできた。
彼の主張する実績の主たるものとしては、
①公用車を高級車「センチュリー」から、アルファードに変更
②外郭団体役員に再就職した退職職員の年齢規制
③県庁舎再整備計画を撤回
④県立大無償化事業
⑤不妊治療への支援の強化
⑥水素社会を先導する取り組み
⑦ヤングケアラー支援の充実
といったものがある。
掲げた公約173項目のうち171項目を達成、また着手しており、公約達成率は98.8%というデータもある。
パワハラとか、おねだりばかりがクローズアップされてはいるものの、3年間、何もせずに遊んでいたわけではないことは、彼の名誉のためにもはっきりと言っておく必要があるだろう。
そして、ここに来て、「陰謀論」めいた話もネット界隈では飛び交っている。要するに、斎藤知事は、彼と敵対する勢力から、「ハメられた」というのである。
今までの話の繰り返しになるが、彼の「パワハラ気質」や、「ごっつぁん体質」を擁護するつもりはないし、自分に歯向かう奴は徹底的に排除するという、ワンマンにありがちな「暴君気質」についても否定できない。でも、人柄は良いけど何も実績のないリーダーと、性格にはかなり問題があるけどちゃんと実績をあげたリーダーのどちらを望ましいと考えるかに関しては、兵庫県民に判断してもらうしかない。
同じようにパワハラ問題を起こした明石市の泉元市長が、辞職後の市長選で返り咲いた事例もある。明石市は住みやすい街ということで若い人たちの評価が高く、隣の神戸市の人口減少が続くのに対して、人口増加が続いているという。明石市民は、口は悪くても仕事のできるリーダーを選択したのだ。
「改革派」であるから、旧来の馴れ親しんだ仕事のやり方を否定されたり、ダメ出しされるわけだから、兵庫県庁の職員たちとしては面白かろうはずがない。会話をICレコーダーで録音された明石市の泉元市長同様、スキがあれば足元をすくってやりたいと考える勢力もそれなりに存在したと思われる。
県庁OBの天下りに手を突っ込んだのは、県民からすれば溜飲が下がる思いであったろうが、公務員としては老後の生活に直結する話であるし、自分たちが長年かけて獲得した既得権を剥奪されることである。県庁内で相当な恨みを買ったのは間違いない。
神戸港や姫路港のような港を抱える兵庫県の特殊事情に絡む話であるが、港湾関係の利権にメスを入れたことで地雷を踏んだという説もある。港湾関係者には、今は知らないが、昔は反社会的勢力もいただろうし、地元を基盤とする政治家にも利権を持っている連中もいるのかもしれない。そういうデリケートな領域に部外者が土足で踏み込んだら無事で済むとは思えぬ。
ただし、これらの情報について検証する立場でもないので、これ以上はコメントを控えたいが、最近のマスコミの報道を見ると、「斎藤知事=悪役」という構図で、「早く辞めさせろ」という論調ばかりになってしまっていることに、ちょっと違和感を感じてしまうし、「大丈夫か」と心配になってしまう。
もちろん、「パワハラ気質」や「ごっつぁん体質」、「暴君気質」については、たぶん(デマ情報も含まれているようだが)間違いないのかなと思うし、インタビューでの杓子定規な応酬を見ていても、ちょっと人の上に立つ器じゃないのかもという感じがするのだが、県知事としての彼の実績についてまで全否定するのは、公平な態度とは言えない。
今回の兵庫県での騒動を見るにつけ、日本的な組織でのリーダーのあり方というものについて、改めて考えさせられた。
つまり、正しいことを言い、正しいことをやったとしても、周囲の人たちの支持が得られないと、結局、リーダーとしては最終的に評価されないのだ。
その典型というのは、関ケ原の合戦の際の石田三成である。大義名分であったり、主義主張に関しては、石田三成は決して間違ったことは言っていないし、むしろ政権を奪取するために無理筋を通したのは徳川家康の方なのであるが、周囲からの人望や人気がなかったことが仇となってしまったのは、歴史を見れば明らかである。
逆に、「人たらし」と言われた豊臣秀吉は、周囲の人間をよく観察して、何で釣れば転びそうなのかを見きわめつつ、詐欺師か魔術師のような手腕を駆使して、うまく神輿に乗って、天下人にまで昇り詰めてしまった。
斎藤知事の件で兵庫県は大騒ぎであるが、自民党の方も総裁選挙で揺れ動いている。
候補者が9人も乱立しているが、一般国民が決めることではなく、自民党の党員と国会議員の投票で決まることである。公職選挙法も関係ない世界であるから、裏側での貸し借りや、密室での談合等が大きくものを言うに違いない。札束も飛び交うのだろう。
そうなると、いくら政策立案能力があろうと、主義主張が正しかろうと、候補者のそうした個人的能力だけで勝敗が決まるものではないということになる。
喋っている内容を聞いている限り、明らかに高市早苗が候補者9人の中では抜きんでているように思える。というか、石破は何を言っているのかよくわからないし、小泉ジュニアは相変わらずポエムみたいな発言しかできないし、要するに政策について自分の言葉でまともに議論できる人物は他に見当たらないのだ。
だが、先ほども書いたとおり、個人的能力でリーダーが決まらないのが、日本という国なのである。むしろ、正論を声高に主張すればするほど、いろいろな人から足を引っ張られる国だということは肝に銘じておいた方が良い。
伝統的日本企業のトップなども、結局は、仕事ができる人というよりも、あまり敵のいない人が選ばれているのである。「神輿は軽い方が良い」という言葉もあるのだ。
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