刈り上げた髪を見せに君の家に行くよ。
また今日も朝まで飲んでしまった。
なんの爽やかさもない真っ白い朝日にジリジリと照らされながら、ダルい身体を階段の上まで持ち上げて、眩しい青空を睨みながら新宿駅の改札を通過した。
6時台のガラガラの電車の座席に腰掛け、まだ酔いが抜けないままふわふわして、なんとなく大学の時や高校生の時に聴いていた懐かしい曲を再生して最寄り駅まで向かいながら私は、早く帰って寝なくてはなどと思った。
今日は高校の時からの友人が住んでいる家に行き、集まる日である。
ぐずぐずと身支度をして、普段乗らない電車に乗り向かった先にはみんなが居て、高校の時に借りた漫画が置いてあって、ゲームをしている者もいるのは学生の頃の放送室の雰囲気と何も変わらないのに、その友人だけがその場におらず、私はもう認めざるを得なかった。
もうその人はこの世にはいないのだ。
いつ本人がひょっこり出てきてもおかしくないのに、いつまで経っても出てくることはなかった。その代わりに普段、にやりとしか笑わない友人の奇跡的な笑顔の写真が置かれていた。
居場所のない地獄みたいな学校の中で、唯一のびのびといられる場所を提供してくれた友人だった。
大学生になって私が鬱で動けなくなった時、関東から京都まで駆けつけてくれたこともあった。
東京に来てからも何度か、私のしょうもない悩みを聞きに飯に行ったり、皆で飲みに行ったりしてなんやかんやで最近まで付き合いが続いている唯一の同級生だった。
うまく説明できないが、なんか仙人みたいな奴だった。
達観していた。
当時を共に過ごした仲間たちの口からぽつぽつと思い出がこぼれてきて、自分も話しながら少し泣いた。
皆と話している場の雰囲気は時間が経っても当時と変わらずゆるやかでおだやかに流れていくものだから、嗚咽とともにとめどなく涙を流すようなことはなかった。
悲しみを皆で分け合っているからなのだと思ったが、私は本当は声を上げてわんわん泣きたかったのだと、翌日お酒を飲んだあとに大号泣して気付いたのだった。
そういえば、友人が亡くなったと聞いて私はまず、「身なりを整えなくては」と思い、刈り上げていた髪をさらに刈り上げるためいつもの美容院に行った。
気合を入れるのと、自分のなりたいかっこいい姿で会いたかったからだ。
同時にストレッチと緩い筋トレを開始し少し腹回りと体重を絞った。
後半に、皆で友人の私物を見る時間がありお宝の一部であるフィギュアやカードをもらった。
もちろんご家族はどうぞどうぞと言ってくださったのだが何だか申し訳なく「もらうわあ」と写真に伝えた。
本人に言ったところでただ「さっさと持って行け」と言うであろうことは明白である。これは儀式なのだと思い遠慮なくいただいた。
結論この話だって何が言いたいかって、何も言いたいことなんかないのだ。
ただ私に面白い友人がいるって話だ。
ああ明日も仕事か。うるせえな。
すげえ時間が経ってしまったけれど書かなきゃあと思ってこれを書いた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?