カピバラかぁちゃん

人生の折り返し地点を過ぎ、壁にまたぶつかった。いつも気づいたら乗り越えてたりするけど。 ふと、気づく。私って人生の壁、多くない?

カピバラかぁちゃん

人生の折り返し地点を過ぎ、壁にまたぶつかった。いつも気づいたら乗り越えてたりするけど。 ふと、気づく。私って人生の壁、多くない?

最近の記事

ギャンブル依存と共依存。そして、今。

借金が発覚するたびに大きな喧嘩を繰り返してきました。それも小さな長女の前で。 怒りで物に当たり、娘のおもちゃを壊したこともあります。 今は子どもの前で夫婦喧嘩を見せることも虐待にあたります。今ならば通報は間違いなくされていたでしょう。 彼の借金は合計300万を超えてました。 私もお金がつき、旦那の家族に相談しました。もちろん家族からも旦那は叱られ殴られ、、、。 繰り返す借金、、、離婚ももちろん考えました。しかし、旦那は娘を溺愛し、娘もまた、旦那が大好きでした。そんな娘か

    • 借金発覚

      貯金から下ろしたお金は自分の家族に渡したと言いました。 せめて、相談してから下ろして欲しいと頼みました。旦那だけのお金ではないので相談は最低限するべきだと。 しかし、同じようなことが何度か繰り返されました。その都度喧嘩になりました。 旦那は仕事が早く終わると近所のパチンコ屋にその頃通ってました。 電話をすると、今玉が出てるから遅くなると。 幼い娘とお父さん遅いねぇと話しながら夜を待ってました。 パチンコに勝った時はお土産や買ったお金を家庭に入れてくれました。 パチンコに勝

      • 新しい生活と暗雲

        遠距離を数ヶ月続けてた時に、生理がこない事に気づきました。二十歳の時に産婦人科で妊娠し辛いと聞いていたので、私は戸惑いより嬉しさが強かったのは覚えてます。 妊娠検査薬も陽性。産婦人科では、配偶者がいない事が書かれたカルテを見て、産むか産まないか次は選択して来てと言われ、産みます!産むつもりです!と答えて病院を後にし、その足でたまごクラブを買いました。 オフ会で子どもを連れた仲間がいて、その子と遊ぶ彼や、子どものママが子を叩いた時に、しっかり彼女を叱った彼に好感を持っていたた

        • ネット依存と旦那との出会い

          私と旦那はネットで知り合いました。 今は珍しくないけれど、携帯電話が普及し、iモードという、携帯電話でインターネットが繋がるという事が出来始めたばかりの、ネットで知り合うなんて周りがびっくりするような時代です。 その頃私は、付き合っていた彼氏と色々あって、別れざるおえなくなり、悲しみに暮れていた時に、あるチャットルームを見つけ、そこで旦那と知り合いました。 チャットルームはいろんな人が出入りしましたが、常連の数人はずっと居続け、毎晩常連メンバーが揃ってくだらない会話が続きま

          薬の効き目

          薬を飲み始めてしばらく経ちました。 昔から薬を飲み忘れてしまう事が多いので、寝る前に私が声をかける事が日常になってます。 壁にかける薬飲み忘れ防止のウォールポケット?を買おうかと相談したら 「ボケたおばあちゃんじゃないんだから」 と言われました。いや、それ君が忘れなきゃいいんだよ、と間髪入れずツッコミましたが。 1日目は副作用で吐き気が来るかもと言われ、気持ちが吐き気になってしまい、気持ち悪いかも、、、と言ってましたが2日目から副作用もなく飲み続けてます。 本人も効果が一週

          診断結果

          一週間後、娘は1人で通院に行きました。行くまでに財布を忘れただとか、スマホが通じないとかいろんなトラブルはあったものの、無事、心療内科へ到着し、診断を受けてきました。 私が帰宅すると娘は帰ってました。病院の話を聞いたら、副作用がないから薬が半錠から一粒になった事、今日は先生と一緒に笑って話した事を教えてくれました。テストの結果は?と聞いたところ、 「ADHDだって。AC傾向が高いと言われた。不注意型だって。くっきりでてるねって。」 AC?アダルトチルドレン? 人の顔色を気

          思わぬ障がい名

          心療内科のその先生は沢山話を聞いてくれました。 運動すると良いなど、生活の仕方を教えてくれたり、今後、就労支援も希望なら受けられるなど将来的なことも娘に教えてくれました。 他に何か聞きたいことがあるかと聞かれた時、娘が自分がADHDではないかと不安を伝えました。 それに対して先生は、子どもの頃どうだったか?と私と娘に聞き、3ページ程のテストをすることに。 結果は、来週と言われ、その日は帰りました。 私は仕事柄、子どもの障がいについて一般の方より知っている方だと思います。な

          三つ目の診療内科

          訪れたのは街中の心療内科でした。 ホームページに女性専用とあったとおり、待合室は女性ばかりでした。 それも私たちのような年頃の親子が5組ほど。 娘が呼ばれ、しばらくすると娘が診察室からでてきて私を連れに来ました。 私が診察室に入り、椅子に座ると同時に 「娘さんは病気ですよ、今まで苦しかったでしょう?」 と医師から言われました。 やはり、病気だったんだ、となんだかようやく辿り着いた思いでした。 前に不安症と言われたけど、薬が出て、また苦しくなったらおいでと言われただけて、腑に

          三つ目の診療内科

          PMDD

          タイトルの名前は病気の名前です。 月経前気分不安障害と言うらしいです。 私は数ヶ月前、この病名を知りました。人に聞くと意外とみなさん知ってました。もう、ポピュラーなのでしょうか?「〇〇のCMでも流れてるやつでしょ?」と、言われました。 その病名を知った数日前の事でした。 娘が、新しいバイトを始めてから数ヶ月経って、新しい彼氏が出来き、私も何回か一緒にご飯を食べました。 その彼の前で、あることが起き、その彼から私に電話がきました。 「昨日の夜から気分の落ち込みが激しく、死に

          夜中に

          バイトをやめてしばらく、なにもしなかった日々でしたが、自動車学校に通うという日中の使い方があったので、とりあえず見守ってました。それからもう一つ、ずっとやってみたかったアルバイトを申し込みをしていたので連絡待ちの日々でもありました。 憧れのアルバイト先から連絡があり、入社説明会を行うという数日前、また状態が狂いだしました。 夜中、ガシャン!という音と娘が泣き叫ぶ声がしました。嫌な予感を抱えながらキッチンに向かうと包丁を持ちだした娘が座りこんでます。スマホからは娘の彼氏の声。

          バイト始める

           実家から帰り、しばらくは朝早く起きる生活を続けていたが、また夜遅く寝て昼に起きる生活が始まった。 近くに飲食店ができる予定でスタッフ募集のポスターが大きく張り出されていた。 娘に話すと、何だかんだと言ってはいたが数日後、面接の日が決まったと報告された。 娘が外にでることが嬉しかった。また、社会に混ざることが嬉しかった。 高校の時も飲食店でアルバイトしていたし、しっかり接客も出きることは知っていた。 面接が終わり、無事採用。夜は終わるのが遅かったけど、良く働いていた。

          彼氏と。

           帰りのバスの中で娘にLINEしました。本人を残して戻ること、気持ちをしっかり受け止められなかったことを謝り、今はゆっくりして休みなさいねと。 娘からは、なにもなかったように自宅に着く朝頃には返事が帰ってきました。 ありがとう。 と。 数日たって、彼氏が実家のある地方に遊びに来るんだとLINEが入りました。 久々に嬉しいねと返事。 観光でもして帰るのかと思ったら、なんと実家に呼んだ様子。 そして、私には言葉を濁しながら、彼氏を実家に泊まらせ、一緒に農業の手伝いをさせて

          豹変

          新しくできた近所のショッピングモールに行ってみることにしました。しばらく洋服をみたり、小物をみたり、娘はマニュキュアをみて、欲しい色を探してみたりしていました。 さて、帰ろうかとした時、最後の店で娘がスマホケースを買おうか悩んでました。お願いされたらお金をだすつもりでいましたが、兄からバイト代もしっかり貰ってましたから、「買えば?」と一言話したとたん、「もう、いらない」と途端に不機嫌になりました。  買ってあげるよ?と話してももう聞く耳も持たずなにも話しません。 実家につきご

          実家に帰省

          娘は毎日朝早く起こされ1日、実家の手伝いを頑張ってます。 私の兄は3日1度、娘の様子を面白おかしく報告しに電話をかけてくれ、娘も兄を冗談でからかったりと、うちにいた頃よりぐっと明るく、以前の娘に戻っているようでした。 それでも時々不安が襲ってくるようで、次の日に昨日はダメだったとLINEがくることもありました。 私は有休を取り、3泊4日で娘の様子をみるのと実家にお礼がしたくて夜行バスに乗り帰ることにしました。 娘の表情は明るく、食欲も戻っていて、少しふっくらしたようにも見

          わたしのこと③

          『目立っていたほいたほうが自分の居場所を作りやすい』 もともとの引っ込み思案な性格に蓋をしてチャンスがあれば目立とうとしていた中学時代。 いま冷静に考えたら勘違いしていたあの頃。 そんな私を最初は面白がっていた先輩もなんだかウザく感じたんだろう。 意地悪な先輩に自分だけ違うメニューをさせられたり、嫌みな言い方をされたりしていた。 少し調子に乗りすぎていた中3。 ある日急に男子中心に汚いもの扱いをされ始めた。中心は小学生の時に机をひっくり返したあの男子。 もともとの性

          私のこと②

          皮膚が弱く顔中がただれることがあり、下を向くことが多かった幼稚園時代。自分から人に話しかけることが苦手だった小学校低学年。 年上から好かれることはあまりなく、どちらかと言えばいじめられた経験しかない。 絵を描いていたら回りから、上手だねと声をかけられ、そこから友達に発展していく。 絵は最高の武器だったのかもしれない。 小学三年生の時、転校生が来た。 その子との出逢いが私を一転させた。 その子は私と正反対。明るくて積極的な女の子だった。その子といるとたくさんの子が寄ってきた