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兎角日記〜愛着障害の父〜

こんにちは。
硫化カピバラです。
今年の残暑も長く続くらしい、
という報道に怯えています。

以前、父についての記事が
存外好評だったので、
今回も父について書こうと思います。

父は昔のことは
あまり話したがりません。
話すことはいつも楽しかった、
悪友たちとのイタズラの話ばかりです。

加えて父方の祖父はすでに亡くなっており、
祖母は少しボケてしまっています。
それを煩わしく思っている父から
強く当たられ、自由に会話ができません。

僕としては父方の祖母は苦手なので、
ある種ラッキーなのですが、
見ていると可哀想なくらい父から怒鳴られています。
知らない人が見たら、通報されてもおかしくないです。

また父には仲の悪い兄(僕から見れば伯父)がいます。
父は自分をすごく見せるための話は
大好きなので、
よく兄のことを馬鹿だと罵りながら、
彼にまつわる面白い、愚か話を聞かせてくれました。

今は伯父が無職で祖母の
スネを齧っている状態であるので
いよいよタブー視され、
僕、妹、母は父に対して父の家族のことは
自分からは絶対に話しかけません。

ですので父の育った環境については
母が昔父から聞いたものを、
僕に教えてくれた範囲でしか知りません。

もしかしたら父を嫌っている
母の極端な受け取り方が
混ざっている可能性があります。
しかし母から聞いた話を本当とした方が
父の今がしっくり来るのです。

パートナーのモラハラ的な言動が
気になる方がいらっしゃれば、
この記事が彼らへの理解の一助になれば
と思っています。

母曰く
父方の祖父は孤児、
祖母は満州で育った人だそうです。

父が小学生だった時点で
父家はあまり裕福ではなく、
共働き家庭だったそうです。

父の昔からの友人は皆、鍵っ子ばかりです。

父の悪友とのイタズラ話は
寂しかった時間の裏返しなのではないか、
というのが母の考察です。

祖父は寡黙な人で、且つ早くにこの世を去ったので
子育てについてどういうスタンスだったのか、
どの程度影響力があったのかは定かではありません。

しかし孫である僕に会っても
ほとんど喋らず、恥ずかしそうにしていたところと
当時のジェンダーについて勘案するに、
祖父は子育てに関しては祖母に
任せきりだったのではないでしょうか。

さらに祖母は化粧品販売で
バリバリ働いていたので、
父は放置されて育ったと考えられます。
当然虐待のレベルではないです。
食事も、ある程度の金銭的なケアもあったそうです。

しかし少年野球チームに入りたかった父が
ユニフォームを買ってもらえず、
お古の運動着(か、お下がりのユニフォーム?)を
持たせられたことを
非常に屈辱的と感じていたと言っていた、
と母が言っていました。

祖父母の生きてきた時代から
父の少年時代を比較すると、
衣食住が揃い、学校に通えて、
これ以上何を望むのだろう?
という感覚だったのかもしれません。

でも父が寂しかったのは
父にとっての事実なのでしょう。

地頭が悪くなく、兄もいたことから
(兄の自慢を聞くという形で)勉強の予習が
できていたため、父は小学校時代は
勉強で困った記憶はないそうです。

中学校でも概ね良好でしたが、
英語は壊滅的に苦手だったようです。

なまじ得意分野があったこと、
そして尻を叩かれた経験がないこと、
あるいは元来の性格もあるのかもしれませんが、
苦手なことからは逃げまくる性質は
ここから顕著になっていきます。
なお本人には自覚がないと思われます。

悪友たちと遊び、ほどほどに学び、
昭和感満載な部活動に励みます。
部活ではとても厳しい扱きがあったらしく、
これがきっかけなのか、
父は今でもスポーツに関しては
前向きで、ある程度は向上しようとする
姿勢があります。

ここまでを振り返ると、
大人、特に親からの愛情ある接触が
父に足りるほど与えられていなかった。
それでいて優秀であるという評価を
周囲から度々もらい、
それゆえに苦手な分野から目を背け、
得意を伸ばすようになる。
という感じですかね。

評価される→苦手から逃げる
は感情的には僕は正直理解できません。
しかし敢えて理屈づけするのであれば、

親とのコミュニケーション不足から、
他人からの評価を屈折して受け取ってしまう
ようになってしまったのかもしれません。

スポーツが得意だね、数学が得意だね、
と言われると謎のツンデレを発揮し、
「別にそんなにすごくなくない?」
と言いつつ天狗になります。

反面、
英語が苦手だね、歌が苦手だね、
と指摘されると
(俺は優秀という評価だったはずなのに)
と怒りを覚え、ヘソを曲げてしまうのでしょう。

典型的な愛着障害のパターンですね。
愛着障害がある場合、
アンビバレント(二律背反的な)な態度が
よく見られるそうです。
加えて試し行動のように、
相手を疑ってしまうくせがついているのでしょう。

この人が言っていることは本当なのか?
この評価は本当なのか?
と疑いに疑いを拗らせた結果、
全てに背を向けてしまうのかもしれません。

父は結局得意なことも
中途半端なのです。

高校受験は英語を捨てて挑み、
中の中の上くらいの学校に進学します。
そこでも友人と遊びに遊び、青春を謳歌します。
尤も父から、男友達の話は聞きますが、
女性に関する話は一切耳にしませんでした。
(そこもコンプレックスなのかな?)

大学受験を志すも失敗、
祖母に頼んで予備校に入れてもらうも、
アルバイトや遊びにあけくれ
挫折し専門学校に一浪して入学します。
この時祖母に念願のバイクを買ってもらい、
以後乗り回すことになります。

見栄っ張りな父は
バイクは俺も金を出した、
と言っていますが
母が知っている話では祖母からの
プレゼントだったそうです。

父は専門学校でシステムエンジニアとしての
勉強をし、その後就職します。
その後のことは時系列が曖昧な状態で
母から断片的にしか聞いていません。

母と職場で出会って交際に至ったこと、
母は実家が厳しく早く一人前と認められたく、
加えて金銭的にも実家から独立したかったため
羽振りが良く年上の父に魅力を感じていたこと、

父と母の同棲が始まるも父は一銭も
家賃を払わなかったこと、
結婚して初めて交際中の羽振りの良さが
借金によるものだったと知ったこと、

先天性の疾患を抱えた僕が生まれた時に
喘息持ちだった母が父方の祖母から
強烈になじられたこと、
母方の祖父母に父が金を借り、
返すように催促すると「金に汚い」と罵ったこと、

僕が小学生の頃に貯金を無計画に
使い込み底をつかせたこと、
そこから全面的に金銭の管理を母に丸投げにしたこと、
躾などの育児の嫌な側面からは一切母に任せ、
自分は全面的に子供の仲間ヅラをしていたこと、

僕と母が強烈な喧嘩をした時に
夫婦として大人として母の見方をするのではなく、
母を孤立させたこと、
離婚の話が出るたびに世間体を気にして
それを絶対に許さなかったこと、

あらゆる説教の中で「素直」を乱用し、
意に沿わない発言は全て「素直じゃない」として
長時間にわたり叱責したこと、
挙げ句の果てに
父を僕も妹も母も腫れ物を扱うように、
そして避けられる範囲で自己防衛のために避け始めると
鬱になった、と診断も知見もなく
適当にほざいたこと。

……完全な恨み節になってしまいました。
色々溜まっていたようです。
話はそれましたが、
父の様々な問題行動は幼少期の
母子関係、ひいては愛着の形成に起因しているという
感覚が一緒に暮らしている
僕たちにはあります。

苦しいです。
辛いです。
しかし父が母と共に得た我が家も
通院などに非常に便利で、
加えて都会にあることから、
父から離れるために自立することに
あまりメリットがありません。

複数の疾患を抱える障害者が1人で暮らせるほど
世の中甘くないですね。
それに妹や母を取り残して逃げ出すことも
本意ではありません。

いつの日か、
僕と妹と母とで、
父に怯えることなく過ごせる日々が
来ることを願います。

硫化カピバラ

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