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『自分を知る』~どういうこと?No.1~

皆さん、こんばんは。ごきげんいかがでしょうか。
私は、すこぶる元気であります。

私が『自分を知る』ということを先生から、伝えて頂く中、そこまでに至るまでも、色々とあったなと思い返す。

まず、3年間という約束から始まった「お話し会」は、名前がついた。「自分」は「I(アイ)」だから「I(アイ)の会」という名前になったようだ。

「I(アイ)」は「自分」とも言うし「愛」とも書く。メッセージ満載な言葉でもあり、見事なまでの「そのまんま」のネーミングである。

私の住む町にも、先生は、わざわざ足を延ばして出向いてくれていた。のちに先生から聞いたのだが、なぜ、私の町まで来てくださったのかは、それぞれの県に集まるメンバーがいるが、その場所に、そのメンバーとやらが2名いたら、出向くことにしていたとのことだった。

私の町以外、もうひとつ、候補の町があったそうだ。先生は感じる力が凄くて、先生が色んな方々と出逢う中で、それぞれの何かを感じ取っていて、その中で選択し、自分の道を歩いているように見えた。ただ、その感覚は、まるで分からない。

先生は数県にまたがり「アイの会」を開催されていた。そのあと1県が、私の県か、もうひとつの県だったのだ。私の県には、そのメンバーが2人いたから最後の県として決まり、来てくださることになったそうだ。

もし、他の県に決まっていたら、先生と出逢う確率は数百倍、可能性がなくなっていたであろうと分かる。だから超ラッキーだったのだ。いや、そんなものではない。今だからこそ分かる、この運命の分かれ道の奇跡は、

私が毎日、100億円の宝くじに当たるような運の良さでも、かなわないほどの価値ある奇跡の出逢いだったと思っている。ようは表現しようのない奇跡だった。私にはそれほどの、運命を左右する先生の選択であった。

もちろん、そのメンバーが、どうしてその方々なのかは分からなかったが私ではなかったのだ。そして面白いことに、先生が私の町に来てくださることになった決め手の、お2人も、私を誘ってくださった方も、20年後の今は、いないのである。

人生は、選択の積み重ねだというが、本当に出逢いにより、人は大きく変わるのだ。私は、このことを先生と出会う前から信じていた。苦しくて、何をしてもキツかったが、

「こんな私を絶対に分かってくれる人がいるはずだ!そして、その人こそが私の結婚相手だ!」

と思っていた20代。常に結婚相手にするところはメルヘン病ではあるが、誰かを探していたのは間違いなかった。その中で「相田みつを」さんの『人間だもの』に出会った。

『そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある。よき出逢いを』

この言葉は、とても響いた。
ずっと探していたが、誰といても「この人ではない」になり、諦めかけた時に、この言葉が私を奮い立たせ、また気持ちが折れない為の、自分を支える言葉になった。

「必ず、いる。どこかにいるはずだ。絶対に出逢える。この言葉のように、人生を根底から変えるほどの人に出逢えるはずだ!」

これが私の力となり、支えとなり探していた。ところが31歳になっても出会えず、結婚もしていない状態だった。

「この歳になったら妥協するわぁ。私には、そんな相手しか見つからないはずだし。それで今の旦那に決めた。」

と、当時、私より2歳年下の可愛らしい顔をした同僚が話していた。私は28歳くらいだったと思う。

「どうして、そんな可愛い顔をして、妥協なんぞをするんだ?なぜ、自分の人生の大きな選択の一つの、旦那さんを選ぶ時に妥協などをするのか。なんて人生を放棄する選択を堂々とやってしまったんだ、アンタはっ!」

と思っていた。その子の自宅にお邪魔し、感じの良い、優しそうな旦那さんとも会って、ご挨拶をして帰る時だったかは忘れてしまったが、結婚当初は、よくケンカをしていたことや、今は、どこで怒るか分かって来たので、地雷を踏まないように気をつけてる話もされていた。

外見コンプレックスの私は、
「目が二重で瘦せていたら、もうそれだけで人生に悩みもなく、少々のことがあったとしても、幸せになるだろうし万々歳であろうに。」

と思っていた。同僚の、その子は可愛らしく、背も小さく、150㎝なかったように思うし、ポニーテールがよく似合い、おとなしく、出しゃばらず、外見は可愛らしい女の子であった。

私が彼女にしたくなるような女の子であった。だから彼女が旦那さんを選ぶ時は、よりどりみどりで、さぞかしモテまくって、数あるライバルがいる強豪の中から、彼女をゲットした旦那さんは、それはそれは幸せだろうし、どんな素敵な旦那さんなんだろう。などと、空想、妄想で膨らみまくっていた私であった。

なので、旦那さんに会い、二人の仲を聞いて驚いた。

「妥協されたのか、この旦那さんは。そんなこと知らないだろうなぁ、この旦那さんは。良い感じに見えるがなぁ。これは絶対に言ってはならない内容だな。」

と心に決めつつ、旦那さんが、ふびんにも思えてしまった。

「そんな選択を私は絶対しないな。それに妥協するなんて、まず相手に失礼だし、自分の人生にも申し訳ないだろう?」

とも思っていた。また

「なぜ、あなたが妥協するのか。あなたは誰を選ぶかなんて、相手が沢山いすぎて迷いまくる人生ではないのか?」

と、普通に思ったし、意外な事実に驚いた。そして私の思考は真逆だったのだ。

「ここまで来て、見つからないのだったら、もうあとに引けないぞ!ここまで来たなら、逆に妥協なんてしてられるかーっ!徹底的に探してやるっ!見つかるまで諦めんぞっ!」

になったのである。普通は、全てが真逆のセリフになるのが正常ではないだろうか?ましてや、私は間違いなく、美人や可愛さの真逆にいた存在でもあったのである。

「ここまで来て、見つからないのだったら、もう引くしかない。ここまで来たなら、もう妥協するしかない。徹底的に妥協するしかない。見つからなかったんだから諦めるしかない。」

これにならなかった。逆に燃えていたのである。また強烈な勘違いも爆裂していた。私は自分を「いい女」「完璧な女」だと本気で思っていたのである。私を嫌う男性や、私を良いと思わない男性がいたとしたら、それは

「フンっ。見る目がないだけだ。私の良さが分からないだと?こっちから願い下げだ。まだまだ、幼稚だな。私の良さが分からないなんて。女性というものを知らないな。まぁいい。私の魅力が分かる人は必ずいる。その人に出逢いさえすればいいのだ。」

だった。自分でも驚く思考回路である。言葉にならない。こんな状態であったが、一向に、おめがねにかなう相手が見つからないと思っていた時、

「……。
いない。やはり私の魅力が分かる人は、もはや日本にいないのでは?もしかしたら、外人か?いやぁ、そうかもしれない。だから見つからないのか!そうか、そうに違いない。よし!こうなったら外人かもしれない。待とう。必ず出逢うはずだ!」

だった。

そして、誰もいなくなった。

「もう、無理だ。もしかしたら、本当にいないのかもしれない…。」

こうやって諦めた時に、先生に出逢ったのである。完全なる一目惚れ状態であった。その相手に、人生で、親にも他人にも言われたことのないセリフ。

「嫌い、嫌い、大嫌い!」

と言われた時の衝撃は、ご理解いただけるだろうか。
ただ普通なら、ここで二度と顔を見せなくなるだろうし「アイの会」に参加しなくなるのが普通だが、この時も真逆の思考になる。

「先生は「二度と来るな!顔を見せるな!参加するな!」とは言ってない。それを言われたらおしまいだが、言われてない。でも、もし言われたら?嫌われたくはないから顔は出さずに、外にいよう。

そのあとは?もう会が終わるまで待つしかない。参加させてくれと、直談判するしかない。それでも断られたら?…。何回でも行って、先生が根負けするのを待つしかないな。」

である。ハッキリいって、たちの悪いストーカーまがいの執着であるし、すでに嫌われていることも忘れている。

こうやって先生と出逢い、強烈なパンチを食らっていったのである。ただ、どうしようもなく惹きつけられてしまう存在に初めて出逢い、質問も山のようにあった。先生を独り占めして、今までの疑問を延々と聞きまくりたかった。

さしで向かい合い、ずっと質問をしまくりたかった。が、皆の質問が長いのなんの。

「一体、いつまで、そんなつまらん質問をしてるんだ。早く、私に順番を回してくれ!」

と叫んでいたのだから、2年以上前から参加しているメンバーに質問がないとしたら、私が行ってもいいだろうと、当然のように思い、そして承諾を得れた。

それは意外にも、先生の承諾ではなく、主催者というか「そこに参加していいか?」を管理する役の方がいて、その方に許可をもらえれば参加していいとのことだった。

さっそく2年以上前から参加している方の中に突入していくことになるのだが、その前にこんなことがあった。



さて、まずは、このへんで、ひとまず区切ろうと思う。長くなるからだ。
まだ余力のある方は、次のページにお進みください。

それでは、また。次なる世界へ。


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