イウ
思ったことぜんぶを口に出しちゃいけないとか、でもそんなこと言われる筋合いはなくって、だから「ハイ、ベンキョーニナリマスー」とか言って、身体はすこし頑丈になった。
だれにでも優しくありたくって、だから誰をも愛していたくって、でもそんなの傲慢だって知ってる。でも知ってるのとできるのはまた違う。小学生の頃にハンドボールのやなコーチが、「なんで分からないんだ」ってブチギレてて納得いかなかった、だって俺は分かってたから、ただできなかっただけで。できないことと分かっていないことは根本的に違うのだ。これは完全なる余談。
とにかく、俺は誰にでもいいところがあるって本当は信じていたくて、だから誰かと話してるとその人の良いところばかりが目に入って、すぐ人を信用したり好きになったりしてしまう、なんて烏滸がましい言い訳だけど、でも丸亀の鶏の天ぷらもきら星の豚骨ラーメンも好きなみたいに誰のことも抽象的なまま好きになってしまう。
だから無闇矢鱈に誰にでも優しくして、あとから傲慢だって怒られる。良くない、本当に良くないよ。辞めたほうがいい。何を? すべてを? 人生とか?
だから、最近は具体的な人だけ、というか具体的な明度をもってちゃんと話せる人だけを大切にしようなんて思うけど、でもやっぱり俺のさじ加減で決める以上それは傲慢なんかなって、え、これもしかして自意識過剰すぎ? キモい?
お前の匙加減でいいじゃん! とか言わないで。俺は実存主義を信じられないの、無神論者なのよワタクシ、そんな押し付け、推論、評論、傲慢じゃない? ねえ、キミ。
ほらね。
なにしても傲慢になっちゃうでしょ。だいたい最近みんな傲慢すぎんだよ。多様性とか傲慢すぎ。あんなんゴミ。ふざけてんのかなんなのか、吹き出しそうになっちゃう。寝言言う前に寝な、早く。夜更かしばっかりしてっからだよ。余計なことばかり言うのは。
寂しいから、はやくあっためてほしいんだけど、でも依存したりされたりしたくないからほどよくいたくて、ああ、なんてヤマアラシなの。泣いちゃわないで。
とにかく、言いたかったのは、誰のことも平等に愛するなんて、みんなに唾を吐きかけてるのとおんなじ、いやもはや社会善としてはもっと悪どい所業なの。俺は何も分かっちゃいなかった。
誰をも平等に愛するなんてもう隣人愛とかとおんなじようなもので、それ神になろうとしてるんじゃない? 神に近づきすぎた影響で言葉をバラバラにさせられちゃうよ、カタカナしか喋れなくなっちゃう、「ハイ、ベンンキョーニナリマスー」とかばかり言って過ごさなきゃいけないんだよ。やでしょ?
もう、好きとか言っちゃいけない、愛とか語っちゃいけない、人はみな無口で埼京線を北へと急げ。乗り換えは足早に。
全体主義と多様性の担保って質的にすごく似てるから怖い。全部悪の所業の繰り返し。この世はすべてジョーンズタウン。気づいたら大移住。みんな人間っていう自意識の宗教の渦中。思想のために八十億総心中。
熱狂して楽しそうでよかったね。
ねえ、ここまでどう? 思ったことぜんぶを口に出しちゃいけない? ちょっとこの文章ウザい? ああ、そう。そうか。それは本当にベンキョーニナリマスネエ。サイキョウセンハシュウデンガオソイデスネエ、アア、ソウデウスカ、ソレデハゴキゲンヨウ。