同じ話、前にも聞いたよ?
こんばんは。
私は昔から友人や家族に、
何回も同じ話をしてしまいます。
そしてタイトルの文言でつっこまれます。
それを言われるたびに、
「そもそもなんで同じ話を同じ人にしてはいけないの?」
と思ってました。
オチがわかるから?
でも漫才や落語はオチが分かっていても、
何回も聞きたくなるじゃん…などと。
しかし、旦那と付き合いだしてから、
同じ話を聴いている側の気持ちに気付きました。
旦那は私以上に同じ話を何回も何回も何回も話してきます。
1個の知識を得ると、それを飽きるまで繰り返すんですよね。
前に「植物のイチョウは生きた化石」という話をどこかで聞いたらしく、
イチョウという話題が出ると「イチョウは何千年も前からその形を変えずナントカカントカ…」とダラダラ知識をぶつけてくる時期がありました。
「銀杏」ではなく「胃腸」の話でも、スイッチが入ったように話してきました。
それを受け止めて、私は気付きました。
「同じ話は、つまらない。」
漫才や落語はその道のプロが話すから面白いんですね。
素人が同じ話を何回もすると
「それ知ってるよ、もう言わなくてもわかるよ」という気分になると気付きました。
それからは「素人の同じ話は危険」と認識し、できるだけ違う話をするように心がけています。
しかし、他人に何を話したか
逐一メモしているわけではないので、
忘れっぽい私は
その話をしたか、していないのか、
分からなくなってしまいます。
最近はこのnoteについても、
記事がだいぶ溜まってきたので、
同じ話題の記事を書いていないか心配になります。
今日も、本当は引っ越しのドタバタで失くした免許が見つかったので、
それに関する話題を書こうとしていました。
しかし、前に「免許をなくして再発行した」的な記事を書いた気がして辞めました。
「免許をなくした記事」を書いたことを忘れる私は、
いつか免許を無くした過去も忘れ、
そのうち免許を取ったことすら忘れてしまうのでしょうか。
そのうちこの世に免許が存在することも忘れ、
運転の方法も忘れ、
免許が必要な車という乗り物の存在も忘れたら…
考えすぎてなんだか怖くなりつつ、
逆に、
免許の存在、車の運転方法、などなど
いろんなことを覚えていられる自分ってすごくね?
という気分になってきました。
皆さんも、
毎日寝ること、起きることを忘れない時点で、すごい。
同じ話を何回もしない人は、もっと、すごい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?