賛美 崇拝のすり替え
沖縄ほにや
高知のほにやとそのよさこい踊りを賛美、陶酔する。
その一方でほにいと高き存在であり、自分たちと対等でないものを下に見るとリーダーから聞いた。
一見、すごいように見えるが、それは洗脳しているに等しい。なぜなら、踊りの与え主のほにやを批判しにくくさせているからだ。ほにやを批判させずにするために。
沖縄ほにや自体、創価学会の人間が作ったサークルである。
創価は池田大作を崇拝と賛美することでなっているが、沖縄ほにやではそれは出来ないから、崇拝の対象をほにやとほにやのよさこい踊りを賛美していくようにする。
賛美するのは、恐怖心を持たせるため。客観的にさせないため。リーダーが #創価 の為か、過剰に栄光と恐怖を語る。 メンバーに無意識に服従を刷り込む為。賛美と陶酔は思考停止をさせて運営するため。
事実、私もあそこにいる限り陶酔性にまみれていて、沖縄ほにやを客観的に見ることができなかった。陶酔と賛美の中でメンバーの自己は肯定されていると言う幻想があったのだろう。
沖縄ほにやは事実上、創価の疑似空間だった。創価ほにやとも言えた物だった。