沖縄ほにやと言う疑似空間
沖縄ほにや=創価学会の疑似空間、揶揄すれば、創価ほにや。
沖縄ほにやの作り主が創価の人間であった。
沖縄ほにやでは作り主であるリーダーは創価のように、池田大作賛美ができない。その代わり、ほにや、ほにやのよさこい踊りへの陶酔、賛美を行うことにした。
その傾向は、もーれもーれチャンプルー祭りという3月(2003)のイベントに出演して、演舞を成功した後、以降に強くなったと思う。
沖縄ほにやに入ると、リーダーは、池田大作の偉大さを語れない代わりに、高知のほにやの偉大さやほにやのよさこい踊りの偉大さを語りまくっていた。同時にほにやは対等でない人間を下に見るとも語り、プライドの高い尊大な団体とも語っていた。
今思うと、それは、ほにやに逆らえないための洗脳だったと思う。
リーダーはほにやを賛美、絶賛しかしなかった。その影響でメンバーの大半は、よさこい踊りは素晴らしいと陶酔してた。
Xにほにやへの文句を書いている過程で分かった。
リーダーにとってはほにやは、ローマ教皇の様な権威だから。永遠な物と思っている。
よさこい踊りを踊る事は楽しむ事が普通で、笑顔して踊る事への楽しさがあり、見方変えると刷り込もうとしてたと思う。他の惜しい人はもちろんいたが、楽しいと思う人々は理想を追求しすぎてて、踊ってなぜ楽しいかと疑問に思う私のような人間とは乖離があったし、広がっていた。
元々は、リーダーがほにやの踊りを踊るために、8月、高知で行われるよさこい祭りに参加して、素晴らしいから、沖縄で広めたいと言ってほにやに直訴して作った組織が沖縄ほにやだった。
今は解散したそうだ。
この動画見ていると、創価には入ってないが、沖縄ほにやと言う団体が、創価学会の疑似空間な事を改めて実感する。
踊りへの自己陶酔によっての悦楽のみが主張されてて、楽しむこと以外やほにやを賛美する事への違和感を言いにくい空気感を思えば、なおさらに。
以上、前に書いたブログの加筆。