よさこい鳴子踊り団体の人間たち 箇条書き 2
高知ほにやにのれん分けされた団体 その雰囲気
この団体の雰囲気。
踊りを楽しもうという物だったその上での高知ほにやからいただいた踊りへの賛美、高知ほにやのすばらしさを言ってた。
しかし、すばらしさを言いすぎてた。
メーリングリストでも踊りへのすばらしさを言っていたが、そのせいか、踊りへの賛美がすごすぎて、私はそこに出てくる疑問や不満を言いにくかった。その為か思考する事にも鈍くなる。やめてみて初めて思考できることがしやすくなった。
リーダーが創価の人間であったのもあるかもしれない。
とにかく楽しく踊る事のみ強調されてた。それ以上にもらった踊りのコンセプトに聞いても、又は踊りの型について何を表現しているか聞いても、明確な答えてくれることがなかった。
メンバーは、ほにやの人間に聞いて初めて踊りのコンセプトが分かったと言うレベルだった。確か沖縄ほにやのブログに書かれてた。
それがわかっても、「ただ踊れ、楽しめ、笑顔しろ」という物には変わりなかった。
今思うと、笑顔して、楽しんで踊れと言うのは、一種の洗脳に近かったのかもしれない。その圧が強かった。それが当然の物として扱われてた。
リーダーの所属する創価学会のミサにも昔言ったことあるが、あの大先生の問いかけに聞いている学会員は素直に「はい」というだけだった。又は勝利を連呼してた。まぁ彼らは効率的な価値にしか関心がない。それを哲学だの言っていた。あの踊り団体でも、効率的で成功した価値によって自己を肯定してた。その意味ではリーダーの頭の中がわかる。
共通点は自己陶酔による価値の賛美だ。ほんと下らない。
成功した価値観のフォーマットをもらって効率的に価値を作り、実績を上げる。こちらは効率的でもないのにな。逆に言うと、この踊り団体は効率的な価値が停滞すると即座にパニックを起こしやすいのかもしれない。
今思うと、カルトの創価の人間の作った、疑似的な創価のような場所だった。踊り以外の価値には無関心な傾向高く、踊りを楽しめとなるのだから。