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沖縄のほにや その暖簾分けの団体
沖縄の踊り団体にいる時代、ほにやのすばらしさをたくさん聞いた。
ほにやという権威はよさこい踊りをいう。
その踊りは夢をテーマにしていた
言う割にのれん分けされた踊り団体は抑圧的なすばらしさで抑圧されてた。
踊りに自己陶酔する美徳を垣間見た。
夢は建前と知った。
そして個性の尊重、異文化礼賛とはいうが
中心にはない事を知った。
それを誇りにしているらしい
自分たちと対等でない者には
自己満足という規律を知った
団結には必要ないらしい
素晴らしい
団結するためには個人は否定される
すばらしさを知る
それが楽しむと言う事
笑顔をすることだろう。
素晴らしい
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踊りに悦楽する人々よ。
それが伝わらなくなると、自己陶酔していく。
強迫神経症になり呼び掛けていく。
ヒステリックさもあった
陶酔する様は、常に思う。
踊りの価値でのマウントとる女性達
他の場所で差別されての現象か?
不寛容であった
あの自己陶酔さは
踊りにより、自分等を肯定されての
物だろうか
あの当時は2000年代。女性の社会進出が言われていた。
しかし、どこか自分には違和感あった。具体的なイメージがなかった。
よく考えるが、女性の社会進出とは言ってたが、実際は男性社会の仕組みの中で、社会で働く場所に女性が進出して、女性が男のようにふるまう構図でなかったかと思う。家父長制の頂点に性別の存在が入れ替わるだけだ。
入れ替わっても仕組みは変わらない。女性の社会進出は言うが、この先の具体的なイメージは乏しかったと思う。
少なくとも、母系社会の仕組みとは違う。母系社会は一妻多夫で、父親という概念がない。中国の雲南省の少数民族、モソ族は母系社会だが「女は甘やかし(しかし)男は軽んじない」という言葉があるように対等な要素がある。母系社会で育つ男はマザコンが多いそうで、母親を敬う傾向が高い。
女性の族長は補佐として家族の叔父を相談役として使うようだ。
(参考 「女たちの王国「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす」著:曹 恵虹 (訳)秋山勝 /草思社(2017)より)/
どちらにしても、彼女らにはわからないだろう。
楽しむと言う踊りの悦楽のみでしか共有しないから。
この共有、又は共感性で、排他性が強かった。
いざ仲の良い人がいても、いざというとき、味方してくれない。なぜなら、踊りへの共感性で同調していくだろうし、沖縄では部族的な意識での結束、同調が強かった。
さっき上げた、母系社会と基本は変わらないか。